第6話、magic



―――ジャスポース学園祭。


全行程五日間に及ぶそれは、ジャスポースの建国祭も兼ねた、一大イベントである。


一日目は、建国記念式典と、音楽会。

二日目から三日目までは、主にクラスごとの出し物や出店が中心の文化祭。

四日目は、サウザンの出場するジャスポース学園最強決定戦なども含めた体育祭。

そして最終日の五日目には、後夜祭(舞踏会)が予定されている。


その他、式典のある初日を除く四日間……ジャスポース学園講堂・『洗心館』では、学園祭実行委員会が主宰する各種イベントが用意されていた。


中でも四日目に行われる『ジャスポース・女神・コンテスト』……通称ミスコンは、毎年人気の目玉イベントであった。

サウザンはまだ一年あるが、最上学年のガーベラ……学園祭実行委員長を務める彼女の気合いの入りようはいつにも増して凄かった。


これで最後、というのもあるのだろう。

神候補として神の試練が始まるとなれば、みんなの神になってしまえば、自由はなくなる。

家族として当たり前に喋ることすらできなくなってしまうかもしれない。


現に、サウザンは現神のロウ・ランダーという人物を、一度も見たことはなかった。

男なのか女なのかすら分からない。

ただ崇めるべき存在として、この世界を守っている、そう聞かされているだけ。



だから、神に対しては様々な憶測が飛び交う。


神というのは名ばかりで、本当は黒い太陽の怒りを鎮めるための生贄なのだ、とか。

誰も足を踏み入れない地下深くで、世界を動かすための電源として、死ぬまでこき使われる、などと。

それこそ、嫌な噂は腐るほどに溢れてくる。




「ではみなさん、楽しんでください。今日からの最高の五日間を!」


サウザンがそんな事を考えながら、一日目の最初のイベント……気難しい式典を流し聞いていると。

そんな神になるかもしれないガーベラが、柔らかく気高い、余所行きの自愛に満ちた笑顔を振りまいて、開会の宣言をした。


そこで我に返ったサウザンと違い、隣いたディコとリコリスは、それこそ女神でも見るような顔つきで、そんなガーベラの事を見上げている。


当然サウザンにだってその気持ちはよく分かった。

自信に満ち満ち、神候補であることに誇りを持ち、ただその事に真剣な彼女を見ていると、そんな噂など取るに足らぬものだと思えるくらいには。



「……ん?」


と、開会の宣言をし、壇上から降りようとしていたガーベラの視線がサウザンをとらえたような気がした。

遠目だから、それは自意識過剰の気のせいなのかもしれなかったけど。

余所行きの仮面が剥がれ、どこか申し訳なさそうな……悲しそうな表情でサウザンを見ているような、そんな気がして。



「ねえ、ディコ。姉さん今僕たちのこと見てたよね?」

「え? そう? センが言うならそうなんじゃない。姉弟だし、目に付くことはあるでしょ」

「いや、そうなんだけどさ、なんていうか……」


どこか上の空なディコの、当たり障りのない返事。

だけど様子が少しおかしくなかった?

そう聞こうとして、サウザンは思わず息をのんだ。

何故なら、そのディコのさらに隣にいたマリが、ガーベラと同じ、これから始まる祭にはふさわしくない、悲壮ともとれる表情を浮かべていたからだ。



「マリさん、大丈夫? どっか具合悪いの?」

「……えっ? あ、ああ、平気ですよ。昨日興奮して眠れなかったもので、ちょっとばかり寝不足で」


自分が認識されるとは思ってもみなかった。

そんな感じのマリのリアクション。

でもそれは一瞬で、いつものほわっとした笑みを浮かべ、少し照れながらそんな事を言う。



「でも……いぎっ!?」


じわじわと溜まっていく、得体の知れない不安。

サウザンは、その衝動に圧されるようにして言葉を続けようとした。

だが、反対側右脇腹部分をつねられて、思わず変な声をあげてしまう。

涙目になりながら振り返ると、いつもより三割り増しの、怒った表情のリコリスがそこにいた。


あるいはうぬぼれでなければ、拗ねたような顔、と言ってもいいかもしれない。

もちろんサウザンの好きな顔だ。

いつだったか、あまり語ることのないシュラフに、「お前はもう手に負えないレベルでやられてるな」などと真面目な顔で言われたことのあるサウザンであったが。

それはあながち外れてないんだろうなと自身で思うサウザンである。


今まで抱いていた不安も忘れ、つい顔が緩んでしまう。

もう、どうしようもないくらいとらわれていることを自覚する。



「マリがなんでもないって言ってるんだから、混ぜっ返さないの!……女の子にはいろいろあるんだから」

「あ、そっか。何かごめん」


リコリスの言葉に素直に折れ、頭を下げるサウザン。

「ええっ!? いや、その。別にそう言うわけじゃ。……もう、リコってば」

「素直だなぁ、素直すぎるよ」


困りきった顔でリコリスを見やり、赤くなって縮こまるマリ。

そのやり取りを見て、ただ苦笑を浮かべるディコ。

さっきとは違い、気まずい……だけど何か心地よい、そんな空気が流れて。



「おら、お前ら、いちゃついてんじゃねっつの。出番すぐだぞ!」


そんな空気に一石を投じたのは、クラスの委員長というポジションからは逆ベクトルに激走してるように見える、だけど優秀な委員長である、ハヤテの大声だった。



「いちゃ……って! どこがよっ!」


それに真っ先に反応したのは案の定リコリスで。


「うおっ、だからキレるのはええって!」


式典後の音楽会の準備に向けてはけ始める生徒たちの合間をぬって逃げ出すハヤテ。

それを烈火のごとく追いかけるリコリス。


大人しくしてれば、ちょっと近寄りがたい雰囲気を持った深窓の令嬢といった感じなのに、そうやってすぐにあからさまな反応をして暴走するから、リコリスは本人の望まぬ形で有名人の人気者だった。


サウザンから言わせればその一挙動がいちいち可愛くて、からかうと面白いから。

どうも本音が隠れがちになってしまう。



「まぁ、傍から見てる分にはありか」


そんな葛藤をしてるサウザンに、いつの間にやらそこにいたのか、ニヤリと捨て台詞を残して講堂出口に消えたリコリスたちを追うシュラフがいて。


「はは……」


傍から見てるだけじゃ満足できないサウザンは、ただ苦笑を浮かべるしかなくて……。





それから、すぐに始まった音楽会。

サウザンたちのクラス……2‐火(ロマンティカ)組は、全体の二番手で舞台に上がる手はずになっていた。

一組目の始まりに相応しい上級生のクラスの熟達した演奏をバックに、バックヤードに集まった火組のメンバーは、各々楽器を手に、最終調整に入っている。



「さすが主役。集中してる」


バイオリンを手にしたディコが、サウザンと同じように、バックヤードの端に置かれた古びたグランドピアノの椅子に座り、スコアを凝視しているリコリスを見て、感心したように呟く。


「そりゃそうでしょ、うちにリコほどピアノを弾けるやつはいないだろうし」


アコーディオンを担ぎ直しつつ、リコリスからは視線を外さないままサウザンはそう言葉を返す。


そう彼女はこと音楽に対して天賦の才を持っている。

サウザンのように、彼女と同じ音が弾けるからと選んだアコーディオンとは訳が違う。


ピアノはリコリスが小さい頃から馴染んでいた楽器だ。

母親が有名な『楽具(ウェール)』使いの、ピアニストだったらしい。

学園祭の場だけで終わらすにはもったいない、そんな才能を彼女は持っている。



「ふふ、そうだね」


サウザンの他は見向きもしない一直線ぶりに苦笑を浮かべ、賛同の意思を示すディコ。

サウザンは、そんなディコのこともお構いなしに楽譜に集中して伏し目がちのリコリスを見ていた。



リコリスは、卒業後の進路はどうするつもりなのだろう、なんてサウザンは考える。

ピアノ奏者なんか天職だろうし、小さい頃に、お母さんみたいなピアニストになりたい、なんて話も聞いたことがある。


だけど。

サウザンには、勝手ながらその才能を生かせるものが他にある、なんて思っていた。


リコリスの声。

少女らしい、だけど芯が通っていて強い、サウザンの大好きな声。


そんなリコリスが歌を歌ったら、どんなに素晴らしいだろう。

サウザンは口に出してはいけないその想像を、ずっと秘めていた。




まだ、歌が当たり前のものとして存在していた、世界にあることを許されていた時代。

今ではロマンティカ家の書庫にしかないような歴史書の中だけの幻の世界。


世界には、歌を歌うことを職業としていた人がいるという。

名だたる楽器、その奏者を従えて、歌うものが中心になって音を作り出したり、歌だけで音楽を奏でることもあったという。


今ではありえないこと、あってはならないこと。

なのにサウザンは、その姿を実際でその目で見たかのように、想像できてしまうのだ。


ステージの真ん中に立つリコリス。

歌を、遠くのみんなへと伝えるための、マイクを持っている。


世界中に感動を、夢を、希望を、時には悲しみを。

世の中の綺麗なもの全てを伝える。


心通わせ、音を奏であう。

大切な仲間たちとともに。

そんな……リコリスの姿を。



「……っ」


そんな妄想めいたことを考えながらリコリスを注視していたのがいけなかったのか。

ふいにリコリスが、そんなサウザンに気付いて何よ、とばかりのきつい視線で睨みつけてくる。


ろくでもないことを考えていたのが気恥ずかしくて。

好きな表情を向けられて頬が緩むの止められそうになくて。

慌ててリコリスから視線を逸らし、譜面に目を落とすふりをする。


横合いから、くすくすとこぼれる笑み。

顔を上げれば、同じアコーディオンをずっと練習してきた、マリの姿がある。


きっと、一連のやりとりを見ていたんだろう。

サウザンは余計に恥ずかしくなり、わざと咳払いなんぞして。



「ははっ、なんていうか、今日でラストだけど、頑張ろうね」


誤魔化すようにそう言って笑う。


「……うんっ」


返ってきたのは、ふわふわした癒される笑顔。

あんまり嬉しそうだから、なんだかサウザンまで嬉しくなってきて。


「おい、あの人殺しそうな視線を止めろ。集中できん」


そこに、シンバルを持ったシュラフが、からかうでもなくあごをしゃくってそんな事を言った。



「う……ごめん」


言われて見てみれば。

確かに他の人には刺激が強すぎるだろう、リコリスの熱い視線が、サウザンに向けられていた。



「愛されてるねぇ……」


しみじみと呟くディコの言葉にみんなで半笑い。

恥ずかしいのを通り越してもはや達観に近い気持ちになって、サウザンはリコリスの元へと歩き出す。


その視線を一心に受けて、言い訳にも弁解にもならない、そんなリコリスを鎮める、そんな魔法の言葉を紡ぎに。


「こらこら、そんな顔してちゃ駄目でしょ。これからたくさんの人の前で演奏するんだからさ。……そんな顔されて喜ぶのは僕だけだよ」


おどけて、さも本気じゃないですよってフリをして、まるで小さい子をあやすみたいに、その綺麗な黒髪をぽんと叩く。

ここまで甘くて腐りそうな行動ができるのに、肝心な一歩を踏み出せないとは一体どういう了見だ、なんて内心不思議に思いながら。



「ば、ばっかじゃないの!」


それだけで射殺す視線は一瞬にして消え去り、白雪の肌が朱に染まる。


分かりやすすぎる反応。

いける、そんな確かな手応え。


もしかして今なら告白できるんじゃないか。

すぐ近くにクラスメートたちがいるのも忘れて、そんな事を思ったサウザンだったけれど。



「おーし、そろそろ出番だぞ、ヤローども!」


その行動は実行に移されることはなかった。

指揮棒を手に持った、ある意味あってるような気がしなくもないハヤテの号令が轟いたからだ。


「んじゃ、エスコートよろしく」


それに半分安堵、半分残念な気持ちになりつつも、サウザンはアコーディオンを掲げて笑って。


「……ばーか」


つられて、リコリスも笑う。

それは……なんだかとてもいい気分で。


白光降り注ぐ舞台へと飛び出す。


演目、タイトルは『太陽』。

誰も見たことの無い本物。


サウザンは、その誰も知らない真実に、無いはずの歌をイメージする。

歴史とともに消えてしまった詩をイメージする。


そう、リコリスの奏でる、優しく強いピアノの演奏に沿って……。



              (第7話につづく)













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