第30話、白い記憶



「本気で言ってるのか、ロウ・ランダーさんよ?」


喜望の塔へ向かうと決めて。

やってきたのは、ババロアの作りし世界、ワカサの地下倉庫だった。



「本気じゃよ。そのためにおぬしの世界へと足を運んだも同然なんじゃからな」


そして、埃かぶったいくつもの荷物をどかした向こう……随分と古ぼけた黒い輪の前で、何やらロウとババロアは言い争いをしている。


埒があかないので割って入ってサウザンが詳しく聞いてみると、なんと目の前にある古ぼけた黒い輪は、【隠家範中】と呼ばれるババロアが好んで扱う歌の力で。

今いるババロアの世界を作る領域(フィールド)の力に加えて、なんと、遠くと遠くを繋ぐことができるらしい。



しかも、この黒い輪の先に続くのは、喜望の塔なのだと言う。

なんでも二人がまだ世界が平和だった若人? の時に、この黒い輪の対となる白い輪を喜望の塔の中に貼り付けたのだそうだ。


それをあてにしてロウはここに来たのだという。

それがなかったらババロアの元には来なかったのか、何て議論はともかくとして。

しかしそのあまりに便利な瞬間移動の力には、欠点があった。



「向こう側は黒い太陽の巣窟なんだぞ? もう輪自体が壊されているかもしれないし、少しでも円が欠けてたら皆がバラバラに飛ばされる可能性だってあるのに」


ちなみに、完全に壊されていた場合、本当にどこへ行くかも分からないのだという。

つまりババロアは、危険だと、そう主張したいのだろう。

と、ロウはその言葉に、呆れ返ったかのように宙を見上げて。


「余計な事を。言葉は力じゃ。口にすれば現実となって取って代わるぞ」


そんな事を言った。

それに、思わず言葉を失うババロア。

結局、ロウはどうあっても譲る気はなさそうで。



「でも、こっから飛んでったら時間かかっちゃうんでしょ?」

「じゃな。ちと時間かかりすぎる」

「それでは、これを使うしかないのでは?」

「……分かった、分かったよ! どうなっても知らないからな!」


スピカ、ロウ、マリと立て続けにそう言われ、根負けしたようにババロアは叫び、その黒い輪へと近づく。


手を触れると、ぼぅと黒い輪を光が走り、輪がみるみるうちに広がってゆく。

そしてついには、人が楽々通れるほどになって。



「言葉に力か……まぁ、そうだよな。よし、みんなが無事で! それが第一だ。向こうで会おう」


まずはババロアが、先陣して黒い輪の闇の向こうへと消えてゆく。


「自分のために……必ずあなたの命をお守りいたしますわ、感謝しなさい!」


どっちの意味でも取れそうな、そんなハルカの言葉。


「最後の冒険だ! 何だかわくわくしてくるよね」


場違いだけど心強いスピカの笑顔が。


「サウザンさん。わたし、迷っていた答えにけりをつけようと思います」


凛々しく強い意志を秘めたマリの声が続く。



「勝っても負けてもこれで仕舞いじゃ。気合い入れていくぞい」

「はい、ロウ師匠!」


そして。

まだ会ってからそれほど経ってはいないはずなのに、長年頭の上にはロウがいたような、そんな錯覚すらサウザンは覚えて。

ロウの言葉通り泣いても笑っても最後の地へと。

サウザンは飛び出していったのだった……。




           ※      ※      ※




喜望の塔。

かつては『喜望』本社ビル、と呼ばれていた場所。


方向の分からなくなる激しい回転と酩酊感が長い間続いた後、いきなり中空に放り出されて、サウザンは呻き声を上げ、ごろごろ転がってゆく。



「いてて……?」


硬い、鉄板でできた地面の感触。

何だか感じたことのあるそれに、サウザンが起き上がって顔を上げると、そこには地面と天井を鉄板で固められた、そこそこ広いフロアだった。


僅かに開け放たれている分厚い同じく鉄板でできた扉がひとつ。

その脇の鉄壁には、向こうの通路が見渡せるガラス窓になっている。

極めつけは何かを押さえつけていて……それでも押さえきれずに切れてしまったかのような、鎖のついた白塗りの壁だ。


それには凄まじい量の刀傷がつけられている。

いったい何がそこにいて、何があったらこんな事になるのだろうと首を傾げていると、頭の上にいたロウが、低い声を上げた。



「……だから下手なことは口にするなと言うたんじゃ。どうやら見事に分散してしまったようじゃな」


そこには、悔しさのようなものが滲んでいる。


「ここって、喜望の塔の中でいいの? ジャスポースの地下になんな似てるけど」

「ああ、それは間違いない。この刀傷はよく覚えとるよ。何を隠そう……」


そんなロウにまず第一なことを聞くと、きっぱり断言するように頷いて、過去の世界の事を語り始めようとする。

その間、サウザンは黒い太陽……完なるものの棲家なのに何故ガラス窓の向こう側は灯りがあるのかな、なんて思っていて……。



「……っ、師匠! 何か来た!」


その赤い灯りが、蠢く粘土のようなものであると認識し、それがガラス越しに近づいてくるのが見えて、サウザンはぎょっとなって声を上げる。

すると、その声に気付いたのか、赤い異形は瞳もないのにサウザンたちの方を振り向き、ガラス窓にへばりつく。



「『紅』じゃな。他の場所で見なかったから絶滅したかと思っとったが……」


みしっ。

なんて解説するうちにガラス窓に多大な負荷がかかる、そんな感覚。

続くのは、見慣れた火(ロマンティカ)の力。

すぐにガラスが真っ赤に腫れ上がって。



ガシャァンッ!


やばいと思った瞬間、熱風とともにガラス窓が吹き飛んだ。

慌てて下がるサウザンをロックオンしたまま、紅と呼ばれた異形は部屋の中に入ってくる。


「きゃつはこちらの『歌』の能力を学習するぞ! 極力楽具(ウェール)による物理攻撃だけで戦うのじゃ!」

「そ、そんなっ、急に言われても!」


おそらくは的確なのだろうロウの指示に、おたおたと慌てながら、自前の楽具(ウェール)……ここに来るまで使いもしていなかった炎の短刀を生み出そうとするサウザン。

しかし、その時ふいにそれを制止する、誰かの声がサウザンの頭の中に響いてきた。



(主よ、ここはボクに任せておけばいい。害するものに刃を振るう役目を負うのはボクだと、誓ったはずだろう?)



―――フェイ・レッキーノ。


元、氷の名を持つ神候補。

その声を聞いた途端、当たり前のことのようにその名が頭の中に染み込んで。

次の瞬間、手のひらには炎の短刀ではなく青ざめた直刃の、氷のような冷気を放つ刀が握られていた。



黒い太陽の脅威により愛する人を失い、失意のうちに死んでいってしまったフェイ。

彼に宿るのは明確な殺意と、憎悪だ。

サウザンは自分の意志を保ったまま、その感情に任せるようにして、一歩を踏み出す。


すると。

その一歩だけで目前に赤い異形の姿があって。

目にした瞬間、それは氷塊と化して砕け散る。

振るったサウザンにすら見えない斬撃。


何らかの感慨が涌くよりも早く、戦いが終わる。



「もたもたするな、スカーレットたちを探すのもそうじゃが、まずは他のものと合流じゃ」

「う、うん」


気付けばそこにいたはずのフェイの気配はもうなくて。

我に返ったサウザンは、言われるままに部屋を出て、駆け出す。


ロウによると、この喜望の塔は、地上10階、地下15階の構成になっているらしい。

今、サウザンたちのいるのが地下5階。

ババロアが取り付けたという白い輪は、15階にあるという。


地上階は黒い太陽によって破壊しつくされているだろう、ということで。

サウザンたちは、地下へと向かうことにしたのだった……。


           

            (第31話につづく)






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