第2話、眠ったままの情熱


深い闇にのまれたサウザンの記憶。

それは、物語が始まる五日前まで遡る。


確たるものを持っていたわけではなかったが……。

サウザンは確かに感じていた。

いつもと違う、何もかも世界が変わってしまうかのような、その綻びのような違和を。





「甘いっ!」

「かはっ……」


骨まで響く打撃音。

頭の芯まで届く、聞き慣れたアルトの声。


相手を打ち倒す。

そんな強い意思が、そのまま伝わってくるのではないかと思えるらいの熱が、木刀叩きつけられた胴に伝わる。


込み上げてくるものを吐き出すよりも早く、意識がふっと飛びかける。

その後の無防備な状態での追撃を受けるのが怖いという、根性があるんだかないんだかよく分からない理由で沈みかけた意識を無理矢理引き戻し、サウザンは自ら手に持つ木刀で、体重を支えた。


そして、今まさに惚れ惚れするような動きでサウザンに胴を打ち込んだ一人の少女へと視線を向けた。



―――ガーベラ・ロマンティカ。


拾われっ子のサウザンとは違って、次代の『神候補』の一人……『火(ロマンティカ)』の字名を掲げるに相応しい、美しく気高き少女。


その瞳に潜む輝石は紅髄玉。

ロマンティカ家の正当な後継者を示す燃え盛る炎のような緋色の髪は、後ろでくくって袴姿の肩口に垂らされている。


「サウザン、やはりお前には剣は合わないようだな」

「は、はっきり言うね……姉さんってば」


サウザンが好きで主に使っているのは片手剣だった。

確かに、本物の『炎の剣(フランベルジュ)』を愛用している目の前の少女ならば、言うまでもなくサウザンよりうまく扱えるのだろう。


お前は戦うことに向いていない。

暗にそう言われた気がして、思わず苦笑を浮かべ、ぺたりと木張りの地面に座り込むサウザン。


それが、今日のトレーニングの終わり。

サウザンなりの白旗だと少女は理解しているのだろう。

少しだけ名残惜しそうに、身体から火(ロマンティカ)の『唱力(アジール)』を沸き立たせた後、ゆっくりと腕を下ろした。



「これが実戦なら、お前は三度命を落とすことになる。その事を肝に銘じて、次からは対処することだな」

「……うん、頑張るよ。肝に銘じとく。何せ、一度も負けるわけにはいかないからね。今回のジャスポース学園最強決定戦は」


稽古後の、もはや習慣と化してしまっているガーベラのお小言。

いつもなら、今まで一度たりともまともに勝てた試しのない情けなさもあって、言い訳じみた反論を返すこともあるサウザンだったが、今回ばかりはガーベラに負けないほどの気合いの入りようで、素直に頷くサウザン。


戦いに不向きな性格であるのは、ガーベラとの長年の稽古でサウザン自身重々に自覚してはいたから、この際それは置いておくとしても。


サウザンには、目標があった。

数週間にも及ぶ準備が滞りなく終了し、本日から五日間に渡って行われるジャスポース学園の学園祭……その四日目に行われる、『ジャスポース学園最強決定戦』。

それに出場し、優勝するという目標が。


ガーベラの言う実戦とはつまり、負けたら終わりのその本番のことを言っているのだろう。

ガーベラに言われなくとも……言われて余計にサウザンの気持ちは引き締まった。


その戦いで負けるわけにはいかない理由がサウザンにはある。

いつもの稽古をよりハードにしてもらったのも、サウザンの意思だったから。

毎日毎日うんざりしていた朝の稽古も姉のお小言も、いつもより余計に自分にとって身になるものと思えるのだから現金なものだとサウザンは思ってしまう。



「……そうか。目標があるのはいいことだ。悔いが残らないよう、しっかりとな」

「う、うん」


そんな事をサウザンが考えていると、タオルを手渡してきたガーベラが、そんな事を言って笑った。


慈愛満ちた優しい笑み。

滅多に見られないその表情にサウザンはうろたえてしまう。


それは、何だかちょっと珍しいなって思ったせいもあるのだろう。

ガーベラは自分に厳しく他人にも厳しい。


まして身内には、もちろん厳しくて。

そんな風に笑いかけられることなど、滅多になかった。


しかし、それだけであったのならば、何かがおかしいなんて、漠然とした不安をサウザンが持つことはなかっただろう。

今日は、ガーベラ姉さんの機嫌、よかったな、くらいで済んだのかもしれない。



「ジャスポース学園最強決定戦か。私も参加するかな。稽古でないサウザンの戦いも見てみたいしな」

「ええっ!? そ、それはっ……」


真の意味で最強を決めるのならば、確かにガーベラが出場しないというのは正しくない気もしなくもないサウザンであったが、予想だにしなかったガーベラの言葉に、サウザンは動揺を隠せなかった。


それは何より、今まで学園ではサウザンとの接触を極力避けている節のあった、ガーベラらしくない言葉だったからだ。


このジャスポースの世界にして、唯一と言っていいだろう『名』を持つもの。

サウザンのように便宜上つけられたまがい物ではなく。


次代の神候補として生まれてきた、正当な血筋。

この世界を支え、構成すると言われる、12の唱力(アジール)うちのひとつ、火(ロマンティカ)を継ぎしもの。



大多数の名字を持たない人間と、一握りの名を持つもの。

そんな二つの人種で成り立っているジャスポースの世界。

名字あるものとないものでは、その権威は比べるべくもなく。


お互いを壁は厚い。

何故、名字あるものとないものに分かれているのかは、サウザンは皆目見当もつかなかったけれど。


本来ならば、サウザンはロマンティカ家の者を名乗ることはもちろん、ガーベラ達とは話すことも許されないはずだった。


親知らず生まれ知らずの孤児。

そんなサウザンに名を与え、家族にしてくれたのはガーベラと、その母、スカーレットだった。


その頃は知る由もなかったが。

何故ロマンティカ家は、このような得体の知れない子供を養子にしたのか、などと非難もされていたこともあったらしい。

ロマンティカの名字を持っていることに、羨望の含んだいじめにもよくあっていて。


だけど姉であるガーベラは、一歩家の外に出れば、そんなサウザンをロマンティカ家のもの……弟として扱うことはなかった。


学年が違うこともあったが、話すことも近付くこともほとんどなかった。

幼い頃は、そんな姉に寂しさを覚えていたサウザンであったが。


最近はちゃんと分かっている。

それが厳しいながらも、姉の優しさだったのだと。


彼女がサウザンを気にかけ、周りに呼びかければ周りは大人しく彼女に従っただろう。

事実、彼女にはそれだけの力があった。


しかしそれは結局のところ、サウザンのためにはならない。

だからガーベラは、それをしなかった。

ロマンティカ家のものとしてではなく、サウザンというひとりの人間として自立させるために、あえて突き放したのだ。


そのおかげでロマンティカ家のものであることに関係なく、サウザンとしてたくさんの友達ができた。

辛いこともないわけじゃなかったけど、あえて突き放してくれたことに、今では感謝の気持ちすらあるサウザンであったが。


だからこそ突然のその歩み寄りに、サウザンは驚きを隠せない。

まぁ、今となってはロマンティカ家だからってどうこう言う者はいないどころか、悪友たちには女神候補のお姉さまを紹介しろとたかられるくらいである。


ガーベラがそう言うなら、それはそれで悪いことじゃないのかもしれない、なんて思い始めたサウザンだったけれど。



「そんな顔をするな。冗談だよ。第一、私自身学園祭の運営があるし、催しものに参加してる暇もないと思うしな」

「……」


さらに驚くべきことに、悪戯っぽく微笑んでサウザンの肩を叩き、そのまま稽古場を立ち去るガーベラの姿がそこにはあって。


サウザンは、世にも珍しい姉の姿に呆然と立ち尽くすことしかできなかった。

と言うより、ガーベラが冗談を言うこと自体、サウザンの想像の範疇を超えていて。


何かがおかしい。

ガーベラからしてみればそんな事くらいでそう思われるのは失礼な話なのだろうけど。



サウザンが続くはずの日常に違和を覚えた最初のきっかけは、まさしくその事で。

生まれるは漠然とした不安。


ここで姉の姿を見失おうものなら、二度と会えなくなってしまうような、そんな錯覚すら覚えて。


サウザンは、はっと我に返り、慌ててガーベラの後を追いかけたのだった……。



             (第3話につづく)






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