歌に願いを~SONG FOR YOU~
陽夏忠勝
第1話、Starting Over(プロローグ)
少年は待っていた。
自身の通う、ジャスポース学園、その裏山にある伝説の樹の下で。
「まさか、すっぽかされるってことはないと思うけど……」
伝説の樹。
その樹に伝わるもの。
それは、もうどうしようもないくらいありがちで使い古されていて、ベタなものだった。
その樹の下で意中の人に告白をして成功すれば、永遠の愛が約束される。
あまりにありがちすぎて、どこが伝説なのか分からなくなってくる、益体もない話題の一つにすぎない噂話。
当然のように、その伝説を真に受け信じようとするものなど、ジャスポースの生徒たちにはいないわけだが……それでも少年はそこにいた。
見上げるほどに高く、分厚い幹に背を預け、僅かに苦笑を浮かべている。
男としては褒められているとは言えないのかもしれないが……少年は美しかった。
いや、どちらかと言えば可愛らしいという部類に入っているだろう。
だが、そうはいっても特段少女のよう、というわけでもない。
『歌』が失われ、人という種族が変容していても珍しいとされる白灰色の髪は、少年らしく短く刈ってあり、銀の混じるその眉は、その意志の強さを表わすかのように太く、大きな瞳に潜ませたアメジストの輝きは、やんちゃで純粋な光を湛えている。
似合わない苦笑を浮かべているのは、これからのことに対しての緊張のためだ。
そう、少年……サウザン・ロマンティカは、この場所で意中の人に告白するつもりだった。
幼馴染であり同じクラスでもある、リコリス、という名の少女に。
物心つく頃からの付き合い。
お互いに良いところも悪いところも知っている。
融通が利かなくて、怒りっぽくて、頑固者で。
だけど、面倒見がよくてしっかりしていて、何より心が綺麗な女の子。
幼馴染のサウザンにはいつもつっけんどんな態度で。
何が気に入らないのかいつも怒っているけど。
長い付き合いのサウザンは知っている。
それは照れ屋な彼女の本心を隠そうとする行為だってことに。
それが……うぬぼれじゃないと自信が持てるくらいの長い付き合いは。
しかしお互いの距離を縮めるための弊害にもなった。
告白、いざお互いの距離を縮めようとすると、そのためには多大な勇気が必要だった。
彼女に付き合ってけんか腰になるわけでもなく、思いを伝える暇もないくらいお互いの話題が豊富なわけでもなかったけれど。
やっぱり勇気が足りなかったのだろう。
ジャスポース学園中等部の頃、この気持ちを理解して早数年。
サウザンには、どうしてもその一歩が踏み出せなかった。
こんな伝説の樹、なんていうベタで笑い話にしかならないシチュエーションで誤魔化すことでようやく踏み出せた一歩だったのだ。
ジャスポース学園高等部二年の、学園祭最終日。
後夜祭が始まるまでの、合間の時間。
もう数刻もすれば辺りも夕闇に包まれるだろう。
サウザンは、夕日の赤に照らされたこの場所で、その闇が訪れるよりも早く、一世一代の勇気を搾り出し、告白するつもりでいた。
リコリスには、後夜祭が始まる前に『伝説の樹の下に来て欲しい、伝えたいことがある』と言付けている。
ただ……それより先に、みんなの見ている前で告白まがいの『伝説』を作ってしまっていて。
学園中の噂になっていたから。
照れと怒りで真っ赤なリコリスの顔が容易に浮かんできて、サウザンは再び苦笑を浮かべた。
リコリスがやってきたのは……その時だった。
学園の裏手から、伝説の樹のある裏山へと続く飛び石の道を、上ってゆく姿が見えて。
「……セン?」
ちょっと冷たく、でも甘い。
きっと歌えば世の人を虜にするだろう……なんてありえない妄想をしてしまうくらい大好きな声が、名を呼ぶ。
―――『セン』。
それは彼女がつけたサウザンのあだ名で。
何でもまだ歌が存在していた頃の……『前世界』の言葉で、サウザンの事を呼ぶとそうなるらしい。
どこで覚えてきたのか知らないけれど、今やそれもサウザンのお気に入りだった。
「きてくれてありがとう、リコ。ごめんね、忙しいのに呼び出しちゃって」
「ううん、別に構わないわ。……それで? 何なの、伝えたいってことって」
「……ええっと」
てっきり、「何であんなこっ恥ずかしい真似するのよ!」みたいな感じで怒られるだろうと踏んでいたサウザンは、出鼻をくじかれて言葉を失ってしまった。
代わりに返ってきたのは、そっけなく冷たい声。
その本気のようにも思える突き放した態度に、サウザンは不安になった。
自信は確かにあったのだが、それはやっぱりサウザンの独りよがりで。
本当はまんま嫌われているんじゃないだろうかと。
だが、今更ここまできて後には引けなかった。
なけなしに振り絞った勇気だったから。
今駄目だったら次はないかもしれない。
そんな強迫観念めいたものがサウザンの中にあって。
「あのさ、リコ。場所が場所だからなんだけど……これは冗談でもなんでもなくてさ」
「……」
それでも、続く言葉はなかなか出てこない。
なんだか重い沈黙。
リコリスの顔を見る。
何かを思いつめたような、切羽詰ったような顔。
サウザンの次の言葉を待っている。
(なんだ、リコも緊張してるんだ)
サウザンは、そんなリコリスの表情を見て、そう判断した。
その時、もう少し冷静にそんな彼女の表情について考えることができたのなら、事態は変わっていたのかもしれないけれど。
「……好きなんだ。リコリスのことが。僕の恋人になって欲しい」
曖昧な言葉は混乱を招く。
そう思ったサウザンは、勢いのままにシンプルで分かりやすい……そんな告白の言葉を口にした。
「……」
「……」
お互いに沈黙。
真剣な瞳が交錯する。
腰まで届くだろう艶のある黒髪。
常に潤んでいるかのように瑞々しい朱を秘めた、黒曜石の瞳。
怒り顔も笑顔も、今の真剣な顔も。
改めて好きになってよかったと思えるほどに、サウザンの胸をうつ。
賽は投げられた。
後は、望んだ答えが返ってくるのを待つだけ。
機械的な……ピアノの音が風に乗って、どこからか流れてくる。
きっとその返事を待つ時間は僅かなものだったのだろうが。
サウザンはその数秒を生まれてから最も長いものに感じていて。
綺麗な白磁の肌に映える珊瑚の口が、そっと開かれた。
サウザンは、それを食い入るように見つめている。
「……どうして、今なの?」
返ってきた言葉は、サウザンの予想の範疇から外れたものだった。
はいといいえの間に存在するものとは何か。
そんな突拍子もないことを考察するくらいには。
「え? どうしてって、ほら、学園祭の最後だし、僕にも勇気を出すきっかけって言うか、タイミングが必要だったって言うか……」
まさかそんな事を聞かれるとは思ってなかったから、言わなくてもいいことまで口にしてしまうサウザン。
内心しまったなと思いつつも、サウザンはリコリスのことを伺い見る。
合うはずの視線は、その長すぎるくらいの睫毛によって隠されていて。
俯いたままのリコリス。
サウザンは、とても嫌な予感を覚えた。
この流れは負けフラグじゃないのか、と。
「どうしてもっと早く言ってくれなかったのよ? どうして今更っ……」
と思ったら、リコリスの刺すような、責めるような視線がサウザンの心を抉ってくる。
好意的ではない態度はいつものことだったけれど、今のリコリスはその度を越してしまっている。
本気で怒って……そして悲しんでいる。
「ごめん。伝える勇気がなくてさ……お互いの距離が、あまりに近かったから」
何故早く言わなかったのか。
それはつまり、リコリスも期待していたってことなのだろうとサウザンは思って。
サウザンはそんなリコリスに何か言わなければいけない気がして。
やっぱり口にするつもりのなかった恥ずかしい本音を口にする。
それくらいの気持ちを見せなければ、許してもらえないような、そんな気がしたからだ。
……そう、この時はまだ、サウザンは許されるつもりでいた。
自分の思いが届くことを、勝つことを確信していた。
結局のところ、サウザンは自分のことばかり考えていたのかもしれない。
「距離が近いですって? 一体何を勘違いしてるの? 幼馴染だからっていい気にならないでよ。あなたがつきまとってきてるだけじゃない。いつもの態度見てれば分かるでしょ? いい加減、見込みないって気付きなさいよっ」
「……」
絶句。
いつもより余計に飛ばしております。
そう言ってサウザンは一笑に伏そうとしたが、それもできない。
本音ではないと思いたかったけれど。
そう言うリコリスに、鬼気迫るほどの必死さを感じ取ってしまったからだ。
どうしてリコリスがそんなに必死に拒絶の意志をぶつけようとしてくるのか、サウザンには分からない。
分からないけれど、彼女をそんな風にさせる何かがあるのは確かなようだった。
「もしかして家のこととか心配してるの? 確かにロマンティカ家は前世界から続く名家らしいけど……僕は別にその跡継ぎってわけでもないし、問題ないと思うけど」
サウザンが思いつくのは、そんな薄っぺらな世間体のことくらいだった。
だけど言っているサウザンですら、目の前の強く気高い彼女がそんな事を気にするとは思ってなどいなかった。
事情を聞くそのきっかけ、ただそれだけのために発した言葉だった。
「本当におめでたい人ね、あなたは。……いいわ、はっきり言ってあげる。サウザン・ロマンティカさん。わたしはあなたのことが大嫌いなの。だから今後一切わたしに関わらないで」
だが。
リコリスは、サウザンの思惑とは180度違う、にべもない決定的な言葉を叩きつける。
「……あ、ははっ」
思わず乾いた笑みが零れた。
なんてらしい、リコリスらしい断り方なのだろうと。
普通ならもっと相手が傷つかないようにとか、逆恨みされないようにとか、もっとうまい言い方もあるだろうにと。
リコリスの言葉は、どこまでもまっすぐだった。
いっそすがすがしいほどに、サウザンの独りよがりだったらしい想いを粉々に打ち砕く。
何より、さっきまであったはずの迷いのようなものがそこにはなかった。
「何がおかしいのよっ!」
「あ、ごめん。なんだかとってもリコらしいなって、そう思ったから」
苛立ったようにそう聞いてくるリコリス。
サウザンは、言い訳するようにそう言って、一歩下がった。
思えば確かに、リコリスはいつもこんな感じで。
その奥に気持ちを隠している、なんて勘違いは、やっぱりサウザン自身が彼女のことをどうしようもないくらい好きだったからなのだろう。
拒絶されてなお、その想いが冷めることはなく。
このままだとリコリスに迷惑をかけてしまう。
そんな気がして。
「重ね重ねごめん。変なこと言って。……僕もう行くよ。返事くれて、ありがとう」
これ以上、リコリスの顔を見ていられなくなって。
サウザンはそう言い残し、踵を返す。
「……」
リコリスの返事はない。
好かれる努力をしてきたつもりが、いつの間にここまで嫌われてしまったのか。
そもそも初めから見込みなんかなかったのか。
考えれば考えるほどドツボに嵌っていきそうな気がして。
心内から込み上げてくるものを堪え、サウザンは駆け出そうとする。
だが、その瞬間……。
サウザンが一生忘れることはないだろう絶望が。
日の落ちた闇の中、オーケストラを奏でる風に紛れてやってきた。
「……そんな、早すぎる!?」
初めに理解したのは、切羽詰ったリコリスの声。
条件反射で足が止まり、振り向くサウザン。
リコリスはサウザンの方を見ておらず、親の敵を見るような目で天井を見つめていた。
広がるは橙の空。
常識として、それがつくりものであることを知っていたサウザンだったが、本物の空を見たことがなかったサウザンにとってそれは、紛れもなく本物の空で。
「あれは……」
その橙の空は、夜の闇よりも暗いもやのようなものに浸食されている。
サウザンは、それに見覚えがあった。
かつて世界を滅ぼしたと言われる、『黒い太陽』……そのカケラ。
時折ジャスポースの世界にやってきて、生けるものを食み、滅する。
幼い頃襲われかけたことのあるサウザンの、恐怖の対象で。
その黒い太陽のカケラは、だんだんと大きくなり、徐々にサウザン達の元へと近付いてくる。
「セン!? 何してるのっ! 早くここから逃げなきゃっ!」
「えっ? うわっ、ち、ちょっと!?」
と、呆然と呟くことで、ようやくサウザンが立ち去らずにそこにいることに気付いたのか、リコリスは血相を変えてサウザンの手を掴み、物凄い力で引っ張り、駆け出した。
関わっちゃいけないんじゃなかったの、なんて冗談が出るヒマもなく。
サウザンもそれに合わせるようにして駆け出す。
物凄い力だと感じたのは、それだけリコリスが追い詰められ切羽詰まっていたから、というのもあるだろうけど。
その、夜闇よりも暗いもやは、物凄く早かった。
校舎に向かって駆け出すサウザンたちを嘲うかのように、その領地を広げてゆく。
演奏のスピードを増した、流れるオーケストラにつられるようにして。
「……っ」
風に紛れた、リコリスの声。
それまで強く握られていた手がふっと緩む。
勢いで坂道を転がり落ちそうになったサウザンは、たたらを踏んでなんとか転げ落ちるのだけは免れたが。
「腹ばいになって! 草の中に隠れるの!」
「わ、わかったっ」
今度は聞こえた、厳しく強い、リコリスの言葉。
思わず、言われた通りにしてしまうサウザン。
だが、リコリスは微動だにしなかった。
サウザンは不安になってリコリスの声をかけようとしたけれど。
―――闇に溶ける、露わになった愛よ……。
「……っ!」
ふいに聞こえてきたのは、ありえないものだった。
歌声。
リコリスの歌。
この世界に歌は存在してはならないもののはずなのに。
一度それを口にすれば、黒い太陽に連れ去られて二度と帰ってこられないって、誰もが知っているはずなのに。
リコリスの歌声は、甘く切なく、サウザンの心を波立たせる。
感動の嵐へと引き込む。
―――その手を掴み、光落ちる場所を目指して……。
それは、サウザンの想像するリコリスの歌声そのもので。
―――あなたは風を纏い旅立つ……。
やっぱり歌は、みんなが言うような悪いものじゃない。
そう確信したサウザンだったけれど。
「……えっ?」
目の前に突然現れた、新たな黒いもの。
辺りに広がる闇とも違う何かに、サウザンは思わず声をあげてしまう。
何故ならそれは、草地に伏したサウザンを覆うように伸しかかってきたからだ。
「な、なんだよ、これっ!?」
重さはないが、それとは違う何かの圧迫感があって、身動きが取れない。
「……静かにして、気付かれる」
そこに届いてきたのは、恐いくらいに落ち着いているリコリスの声。
何に? と訊こうとしたが、リコリスのその言葉にすら、強制力があるかのように、サウザンの口は開かなかった。
その代わりに、必死に首を持ち上げて、リコリスの方を見上げる。
薄い闇……その幕の向こう。
モノクロに映る、リコリスの後姿。
変わらず上空を見上げているのだろう。
長い長い黒髪のせいで、その表情は伺えない。
「……最悪。こんなはずじゃ、なかったのに」
サウザンはその時初めて、大好きな彼女の長い髪を恨んだ。
言葉の終わりは悲しみに満ちているのに。
どんな気持ちでリコリスがそんな言葉を発したのか、サウザンには分からなかったからだ。
(……あっ!?)
と、そこに。
闇が迫ってくる。
終末の赤の瞳と口を持った、この世で最も醜怪な……絶望の闇が。
背を向けたままのリコリスは。
それに食らわれる直前に。
何かに吹き散らされたかのように霞がかって消えてゆく。
血も流さず、悲鳴も上げず。
その闇と同化してしまったかのように。
「……っっ!!」
サウザンは、声の限りに絶叫したつもりだったのに。
それすらも、覆う優しい闇が許さない。
刹那にして、サウザンはその闇に包み込まれてしまった。
何がなんだか、何が起こってるのか、訳が分からない。
これは悪い夢なのだと、サウザンは思った。
闇が晴れて、目を開ければ、その事に安堵して涙する。
そう……思いたかったのに。
―――さよなら……。
耳に届いてきたのは、そんなリコリスの歌声の……残滓だった。
それにより、サウザンは理解してしまう。
それが。
リコリスの最後の言葉である、ということに。
それは、何よりの残酷な、サウザンの心を串刺しにするナイフで。
そのナイフに一突きにされたサウザンは。
深い深い闇の底へと、意識を沈ませていく……。
絶望という名の物語の始まりを告げる、澄んだ鐘の音を耳にしながら……。
(第2話につづく)
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