第25話、翼を広げて


「うわぁ、広ーい!」


はしゃぐスピカの声が本当の世界に木霊する。

そんなスピカの心情は、そこにいる皆の総意だった。


広くどこまでも透き通る青空。

それと対をなすように、サウザンたちの降り立った円形の舞台を囲むようにして波打つ海が広がっている。


聞こえてくるのは、潮風のメロディ。

かもめの合唱。

舞台の縁に立ってぐるりと見渡せば、対になっていたと思っていた海……その遥か向こうに、陸地が霞んで見えるのが分かる。


それは、予想に反しての平和な光景だった。

そこにいないのは人間だけ。

まるでそれが、正しいものに思えてしまうくらいには。



「さて、日が暮れるまでには『喜望の塔』を目指す。そう言いたいところじゃが」

「遠いの? 師匠?」

「……じゃな。この広大な世界での交通手段は失われて等しい。徒歩で向かったとして一体何日かかることやら」


それは、旅が長いものになるかもしれないことをサウザンに予感させたが。

逆に言えば先んじて向かったガーベラたちもまだ喜望の塔に辿り着いていないかもしれない、という可能性を指している。


黒い太陽の棲家とも言える場所。

危険だろう。何とかして今のうちに追いついてしまわなくてはならない。

そんな『歌』の力はなかっただろうか。

サウザンは本を開くよりも早く、覚えたネセサリーの教本の中身を思い出そうとする。



「急ぐのは構いませんけど、わたくしたちはその前に、この海をどうやって渡るのか、それを考えなくてはいけないのではなくて?」


と、そこに今までスピカやマリとともに本物の海の景色を楽しんでいたハルカがそんな事を言ってきた。


そう、周りは全て海なのだ。

サウザンたちが立っているのは、取り残された小さな丸い舞台(ロウによると、ここは『赤い月』と呼ばれる塔の最上階らしい)の縁から手を伸ばせば、簡単に触れてしまうほど近くに海はある。

その深さがどれほどのものなのかは、二つの世界がこの下に沈んでいると思えば想像に難くない。



「海を渡る方法か……」


かつ、歩くよりも早く移動できる、そんな歌。

空舞うカモメを見やりながら、サウザンはそれに自信を持って頷く。


「うん、あるよ。それもたくさん」

「空を飛びたい、なんぞいかにも歌に乗せたい、そんなフレーズじゃからのう」


それにロウも、しみじみと相槌を打っていた。

そこに呆れのような成分が混じっているのは、ゆうにネセサリーの教本の5分の一を占めるものが、空を飛ぶことに関してのものだったからだ。

それにより多少の効果のほどは違うが、個々の違いなどサウザンには分かるはずもなく。

身も蓋もない言い方をすれば、無駄にそればかりがある、とも言えるわけで。



「空を飛ぶんですか? サウザンさんの歌で」

「すごいねさーちゃん、ほんとに神さまみたい」


サウザンたちのやり取りが耳に入ったのだろう。

サウザンにとってはなんら違和感のない、もうすっかり仲良くなったらしいマリとスピカが、何だか楽しげに会話に混ざってくる。



「はは、うん。本の力だよ。じゃあちょっと下がってて。その中からとびきりのやつを披露するからさ」


サウザンはそれにそう答え、歌を歌うための準備を開始する。

パチパチと拍手があがって、さながら歌を聴く観客のごとくそれぞれが一歩下がり、サウザンのことを見てくる。


(……ふむ。おぬしが何を選ぶのか、わしには読めたぞ。【天翼舞使】じゃろ?)

「ははは」


頭に響く声に、サウザンは苦笑いして答える。

そう、それは空を飛ぶと決めて、真っ先にサウザンの頭の中に浮かんだものだった。


天使。

空舞うものでイメージして、一体何人がそれをイメージするかは分からないが。

それは歌の中に、数え切れないほどに存在している象徴のようなものだった。

それは、空舞うことに通じる儚い憧れ、だったのかもしれない。



「それじゃ、一曲歌います」


そんな内心は表に出すことなくそう呟いて。

サウザンは、光溢れ出す本を開いたのだった……。




          ※      ※      ※




「うわーい! サウザンちゃんさいこ~っ!」

「こ、こら、危ないでしょ、落ちたらどうするのっ」


スピカが空を舞っている。

その背に純白の翼を生やし、両手を広げ満面の笑顔を浮かべて。

初めは戸惑いもあったようだが、スピカはもうそれが当たり前であるかのように、飛ぶことに手馴れてしまっている。

旋回したり、海面すれすれまで降りたと思ったら急上昇してみたり、落ち着きないことこの上ない。

その様子を、スピカまでとはいかないにしろ勝手を掴んだらしいハルカがついてまわりながら翼をはためかせているのが見えて。



「師匠、これで海を越えたらどうするの?」

「『ワカサ』という町に向かう。喜望の塔に向かうにはちと遠回りになってしまうのじゃが、古い友人がおっての。きゃつの力を借りることができれば、スカーレットたちに追いつけるかもしれん」

「そっか。それじゃ案内よろしくです」

「ああ。まぁ、それはいいんじゃが……おぬし、いつまでしがみ付いとるつもりじゃ?」


必死に平静を装ってそんなやり取りをしていたサウザンだったが、からかうようにロウにそう言われて、否が応にも気付かないフリをしていた感触が気になってしまうサウザンである。



「そ、その、すみません。……ごめんね、サウザンさん」


高い所が苦手なのか、そのそも人が自力で飛ぶということに慣れることができないのか、スピカやハルカのように上手く飛ぶことができなかったマリは。

サウザンに抱きついた状態のまま謝罪の言葉を述べている。


「あ、いや。別にいいよ。師匠だって僕の頭の上にいるわけだし、マリさん軽いし、全然平気。むしろ全然オッケーっていうか?」


リコリスやディコに次ぐほどの長い付き合いだったけれど。

こんなに近くにいある機会なんて一度もなかったから、テンパっていたサウザンは、言わなくていいことまで言ってしまう。



「あ、そ、そのっ……ごめんなさい!」


それに赤くなって縮こまるマリ。

何に謝っているのか、その事を考えてしまうと、心中複雑なサウザンだったけれど。


「甘やかしすぎじゃ。案外谷底に突き落として見せれば這い上がってくるやもしれんぞ」


そこに、何故だか拗ねたようなロウのぼやきが聞こえてきて。



「え? そ、そんなっ、無理ですっ! やめてくださいっ!!」

「う、うわぉっ!?」


ロウの冗談を真に受けたマリが、パニックに陥ってより一層強くサウザンにしがみ付く。

その事でマリの手がサウザンの背に生えた翼に触れて……。


「な、なんとぉっ!?」

「きゃぁぁっ!?」


そのままきりもみして落下していってしまう。

海に落ちる! と、みるみる迫る海面にその事を半ば覚悟してサウザンは目をつむって。


バチンッ!


「いてっ」


海に浸かるまさにその寸前に、サウザンの足に絡みつく何かの感触。

それはサウザンたちを逆さづりにしたが、弾力があって引っ張られ、サウザンたちが海に浸かることはなかった。


逆さの状態でそれを見やると、それは緑色の蔦のようなものだった。

さらに視線を上げれば、それを手に持ち、必死に羽ばたいているハルカの姿と、そんなハルカを支えているスピカの姿が見える。

どうやらその緑色のものは、ハルカの楽具(ウェール)らしい。



「何してらっしゃるんですかっ!」


その便利さにサウザンが感心していると。

怒ったような、切羽詰ったようなハルカの声が聞こえる。

マリが翼から手を離したのを見計らい、サウザンは再び体勢を整え、何とか上昇することに成功する。


「ふふ、すっごい回転だったね。サウザンちゃん」

「笑いごとじゃありませんわ。サウザン様に何かあったら、わたくしたちも翼を失うんですのよ! 自覚を持ってください!」

「うっ……ご、ごめん」

「すまんのぅ。ちと調子に乗りすぎたか」

「い、いえ。わたしこそ、取り乱してしまって」


何だからしいと思えてしまうハルカのお小言。

もっともだったので、すぐにみんなで頭を下げる。



「……っ、反省してるのなら、別にいいのですけど」


だけど、ハルカにしてみれば、もう少し響いて欲しかったのだろう。

あっさりと折れるサウザンたちに、心なしか残念そうにしてそっぽを向く。

それがちょっとおかしくて。

思わず苦笑がこぼれてしまうサウザン。


「な、何か?」


それはかつて体験したことのあるような、そんなやり取りで。

そうすぐ思い立ってしまう自分がほんとにいやで。


「ううん。ごめん、なんでもない」


首を振って再びそう言うと、サウザンはそのまま先頭に立ったのだった……。



              (第26話につづく)







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