第20話、ハリネズミのジレンマ


「……これが、外の世界?」


でこぼこの石の地面。岩壁。

煌々と照らす天井から吊り下げられたランプの明かり。

どこかの地下室、そんな印象を抱かせる部屋だ。

本物の青空が見られると、本物の太陽が見えると期待していたサウザンの気を殺ぐような、そんな光景。



「『プレサイド』と呼ばれる、ジャスポースと外界を隔てる世界じゃよ。ジャスポースを隠すための世界といってもいいじゃろう。そのぶん、夜はここでも相当危険じゃ」

「それじゃ、外はまだ遠いんですか?」

「いや、何事もなければ一刻ばかりで外界に出ることはできるはずじゃ」


マリに対しての、ロウのちょっと意味深長な言葉。

至近距離でそれを耳にするサウザンは、その心情すら読み取れそうで。



「昼でも何か危険なものがあるの?」

「ああ、前世界の、主を失いし『家供(ファミリア)』などが生き残っている可能性がある。わしのように、主死してなお生きることを命じられた例外的なものたちがの。直接黒い太陽とは関係はないじゃろうが……事実、前回の試練では幾度となく候補者たちは襲われた」


言葉面の割には、その目でそれを見てきたかのような、確信めいたロウの言葉。

それでもいまいちピンと来ないサウザンに、ロウは実際に会えば分かるとばかりに、手のひらでサウザンの髪を軽く叩き、先を促す。


「よし。ここじゃ、壁に白い輪があるじゃろう? マリ、それに触れ、唱力を送ってくれぬか」


なにせ何もない部屋だったから。

ロウの言うその白い輪というのは、初めからサウザンたちの目に入っていて。


「分かりました」


マリはそれに特に疑問を持つことなく頷き、壁に貼り付けてあるように見える、蛍光灯のような大きさと光沢を放つその白い輪へと近づく。


ブウウゥゥンッ……。


「……っ!」


と、マリがそれに手を触れるよりも早く。

その白い輪は、唸りをあげて光り出した。

思わず手を引っ込めるマリ。



「……っ、いかん! 何者かが向こうからくるぞっ!」


それとほぼ同時に、警告の声を発するロウ。

その声を聞き、見た目にそぐわない身のこなしで、マリが間合いを取る。

サウザンもそれに倣い一歩下がって。



「サウザンよ。『歌(カーヴ』の発動の準備をしておけ」


そして、ささやくようなロウの言葉に、首だけで頷いてみせる。

光る輪の唸る音が増すごとに緊張感が高まっていって……。




白光が、目を眩ませるほどに強くなった時。

突然、その輪が大きく広がった。

すると、今の今まで壁だった部分に空虚ができ、そこからうねる七色の光がこぼれる。


そのうねりは渦を巻くような流れがあって。

やがてそこから姿を現したのは。


一人の少女だった。





「……あ」

「……り、リコ?」


まるで水を振り払うかのように頭を振る少女。

珍しい黒髪……しかし、前髪だけが金色の髪がこぼれる。

その様をサウザンもマリも、信じられないものを見るような目で呆然と見つめることしかできなかった。


何故ならば、その前髪を除けば。

そこにいたのはリコリスと瓜二つの、そんな少女だったからだ。



「……ふむ。おぬしは確か、スピカ・ガイゼルと言ったかの? 雷(ガイゼル)家の神候補の」


だが、目の前の少女がリコリスでないことを断言するかのように。

サウザンの淡い期待と恐怖をかき消すようなことを口にしたのは、ロウだった。



「わわっ、び、びっくりした……あ、あれ? 何でボクの名前知ってるの?」


ロウの甲高い割に年季の入った口調。

それが届くや否や、スピカと呼ばれたリコリスとよく似た少女は、はっとなって間合いを取り、サウザンたちのことを伺い見てきた。


しなやかで美しい動き。

絵になる。

ひいき目でなく、動くことに長けているんだろうと、サウザンは思っていて。


さらに、物事を瞬時に判断する能力も高いらしい。

初めの一瞬だけこちらを威圧するかのようなはぜる雷(ガイゼル)の唱力を発していた少女は、目の前にいるものが敵意や害意がないものたちだと分かったんだろう。

可愛らしく小首をかしげ、ロウのことを不思議がっている。



「試練の時が来たのはおぬしも知っておろう。わしはロウ・ランダー・ヴルック。元神の遺した家供(ファミリア)じゃ。今回の神候補の名と顔くらい当然知っておるよ」

「そっか、前の神さまかぁ。ボクの思ってたのとはぜんぜん違うんだね。そんなにちっちゃかったんだ」

「おぬし、人の話を聞いとらんな……って、ぬおぉっ、何をする、く、くすぐったい!」


そして、好奇心が強いのか、ほとんど無警戒にサウザンたちに近付き、ロウのことをぺたぺたと触っている。


「……っ」


そうなると、ロウはサウザンの頭の上にいるわけだから。

ほとんど触れ合うほど近くにスピカはいるわけで。


サウザンは、視線を外せなくなった。

よくよく見れば別人だと感じられるだろうと思ったのに、やっぱり目の前の少女が、サウザンにはリコリスにしか見えなかったからだ。


ふいに抱きしめたくなる反面、サウザンを包むのは恐怖に近い感情だった。

未だにサウザンは、リコリスに拒絶されたことへの心の痛みが癒えないでいたから。


……結局。

そんなサウザンにできることは。

その気配も、髪に混じった林檎の香りも違うことのない、その少女のことを見つめることだけで。



「あっ……ごご、ごめんなさいっ!」


そのぶしつけで必死なサウザンの注視に。

少女は自分がしていたことに気づいたらしい。

みるみるうちに真っ赤になって、だだだっとサウザンから離れる。


「あのね、その……ボク、ひとつのことに夢中になると回りの事が見えなくなっちゃうんだ、だから、ごめんね。それから……えっと、その、ジャスポースの人たちだよね?」


素直な謝罪の言葉。

聞きなれない人称。

初対面の人に失礼なことをしてしまったことへの恥じらい。


サウザンが我に返ったのは、その時だった。

いくら似ていても、やっぱり目の前の少女はリコリスではないのだ。

サウザンはそれに、よかったようなそうでないような、複雑な気分になりつつも、繕うように言葉を紡ぐ。



「あ、うん。そうだよ。僕はサウザン・ロマンティカって言うんだ」

「え……えっと、マリ・ヴァーレストです」


我に返ったのはマリも同じだったらしい。

おたおたと慌てながら、名を名乗る。


「ご丁寧にどうもっ。でもよかったぁ。今ね、ボク、あなたたちのこと、探しに行こうって、そう思ってたんだ。ガーベラさんたちに話は聞いてたから」

「え? 姉さんと会ったの? 今、どこにいるのかな。僕たち実は姉さんに話したいことと、届け物があって、外に出てきたところなんだよ」


どうやらスピカは、ガーベラやスカーレットに会って、尚且つサウザンたちのことも聞かされていたらしい。

それなら話は早いと、身を乗り出すようにしてそう聞くサウザン。


潤む朱の光を宿す、黒の瞳が近い。

目の前にいるのはリコリスじゃないのに、動悸が激しくなって、たぶん顔が赤くなっていただろう。

慌ててサウザンは、スピカとの間を取る。



「あ。そ、そうだったの? ごめん。確かにガーベラさんとスカーレットさんには会ったけど、今はいないんだ」


サウザンの赤が伝染したかのように、スピカの頬も赤かった。

しかし、スピカはそれを誤魔化すみたいに頭を下げて、しゅんと眦を下げる。

申し訳なさそうな何かに困ってるような、そんな顔。


初対面なのに、そんな顔は見たくない。

気付けばサウザンはそう思っていて。



「ふむ。何か問題でもあったのかの。神候補であるはずのおぬしが、ライバルを追うことなく、ここに留まり続ける理由が」


そんなサウザンの心情を代弁したわけではないだろうが。

考えてみればもっともな事を口にするロウ。

思えば自分のことばかりで、何故彼女がここにいるのか、考えようともしなかった。

その事にサウザンは心中で反省し、スピカが口を開くのを待つ。



「うん。そうなの! 大変なのっ。ハルカちゃんがね、よく分かんない病気になっちゃって」

「ハルカ? それはもしや、木(ピアドリーム)の名を持つ神候補のことかね?」


ロウはその名前に聞き覚えがあったのだろう。

そう伺うロウに、こくこく頷くスピカ。


「それでね、どうしようって思ってたら、試練が始まっちゃって。たまたまガーベラさんたちに会ったの。それでその事を話したらハルカちゃんのこと看てくれたんだ。だけど結局原因は分からなくて……試練のこともあるし、これ以上引き止めるのも悪いから先に行ってもらったんだよ」


必死な様子のスピカ。

それだけでスピカが、そのハルカと言う人物のことをどれだけ大事に思っているかが分かる。


「そしたらね、ガーベラさん、神さまになればハルカちゃんも助けられるかもしれないって言ってくれて。それでも困ったことがあったらうちの弟を訪ねてくれって……」

「何か、あったんですか?」

「う、うん。ハルカちゃん急に苦しみだしたの。それまでは寝てるだけだったのに……」


だからスピカは、今ここにいるのだろう。


「それなら、サウザンさんの歌(カーヴ)を使えば……」

「な、治る? ハルカちゃん治るかな?」


期待に満ち満ちた、マリの眼差しがサウザンに向けられる。

そのことで、ガーベラの言う弟がやっぱり目の前の人物だと確信したのだろう。

スピカも、縋るような目でサウザンのことを見上げていて。


「何か、買いかぶりすぎじゃないかな。姉さんもマリさんも」


そもそも、ガーベラはサウザンがネセサリーの教本を持ってることなど、知らないはずだった。

マリのほうは、自分のことを治してもらったからこその言葉なのだろう。

どんな病気かも分からないのに、治せる根拠はどこにもないはずなのに、何故か期待され、信じられている。

いいような悪いような、複雑な気持ち。


「できるかな、師匠?」

「ふむ。それはサウザン自身が一番分かってるのではないかな」


とりあえずお伺いを立ててみたけど、返ってきたのは当たり前と言えば当たり前の、身も蓋もない、そんなロウの言葉で。

サウザンはさんざん読み返して頭の中に叩き込んだものの中から、今置かれている状況を打破できるような力があったかどうか、検索してみる。



「んー。どっちにしろ、その人に会ってみないと」


看たってガーベラやスカーレット以上の事が分かるわけがないのは確かだったが。

その効力を確かめてみたい歌(カーヴ)は確かにあった。


それが、力を発揮するための実験みたいに思えて何だかいやで。

サウザンはそうとだけ答える。

それは、期待できそうもない、つれない言葉だろうとサウザン自身は思っていたけど。


「助けてくれるのっ!? ありがとう!」


スピカはそうは受け取らなかったらしい。

もう解決したかのように、喜びを身体全体で表現して。

あろうことか、サウザンに抱きついてくる。


ありえない行動。

リコリスの面影を持つ彼女は、やっぱり別人だったらしい。


心ではそうはっきり理解したものの……



「ちょ、な、何してんの! やばい! 何かいろいろやばいって! ま、マリさん、笑ってないで助けてっ!」


心臓が破裂してしまうんじゃないかってくらいドキドキが止まらない。

そんなサウザンを見て、いつものように遠目からマリはくすくすと微笑んでいる。



スピカがリコリスに似ているからそうなるのか。


そう考えると、その動悸は痛いものに変わったけれど……。



             (第21話につづく)






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