第4話、Hello my friend



―――ロマンティカ家。

このジャスポースの世界で、一番大きな家。


絢爛豪華な宮殿のごとき内装のその裏は、分厚い鉄の壁に囲まれていて。

本物の太陽の光の届かない、大地の底に座していると。


サウザンはそれを、物心つく頃から耳にタコができるくらい聞かされていた。

その昔、たくさんの人間の命を奪ったという黒い太陽。

それから逃れるようにして、この大地の下にある、鉄で囲まれた……ジャスポースのような世界がいくつも作られたのだと。

この世界が作られて、50年以上の年月が経っているということを。



ロマンティカ家の扉を開け放つと、そこは上下にずっと続く自らが発光している鉄階段と闇……そして、何かがうねり鳴動する音だけが辺りを支配する。


このジャスポースの世界が大地の下に埋められた鉄の箱だと簡単に実感できる、唯一の場所。


幼い頃……いや、今もサウザンは、この場所が嫌いだった。

辺りに充満する闇が、黒い太陽、そのカケラのことを思い出させるからだ。

見えないそれの向こうに、何かが潜んでいるんじゃないか、そんな気分になってくるからだ。


サウザンがそう思うに至ったのは、正しくも幼い頃に黒い太陽のカケラと呼ばれるものに、襲われたことがあったからだろう。


このジャスポースの世界で、禁忌とされる黒い太陽。

それは、ジャスポースの世界に『歌がない』ことと深い関係を持っていた。


正確に言えば、『ない』というのは少し意味合いが違うのかもしれない。

何せサウザン自身が、物心ついた時から『歌』というものを知っていたからだ。

歌を歌うことを願い、憧れていたからだ。


だが、歌は今、この世界では『ない』ことになっている。

何故ならばそれは、黒い太陽が一番嫌いなものだったからだ。

黒い太陽が人を襲い、滅ぼそうとした原因とされていたからだ。



「歌を歌ってはいけない」


サウザンは、母にも姉にも度々言われていたのに。

それを口にしてしまった。

歌いたい。自分の心の底から溢れるその感情を抑えることができなくて。


サウザンは、その時のことをはっきりとは覚えていない。

ただ、黒い太陽に対して際限のない恐怖と、抗えない死の予感だけが、サウザンの記憶として消えることなく刻まれている。


この世界に歌は存在してはいけない。

それを、身を持って実感させられたのが、まさにその瞬間で。


だけどその事を、認めたくない。

サウザンの心のどこかで、そんな思いが燻っていて。



「……」


サウザンは、普段周りに見せることのないような厳しい目つきで闇を見据えながら通学路に続く上方の階段へと足を踏み出す。


強大な何者かの呼気のごとき重低音に混じって響く、サウザンの足音。

規則正しい、テンポのいいリズムで、闇の不気味さに一石を投じる。


しかしそれは、長くは続かない。

タン、と両足を揃えて着地の音。


サウザンの目の前に広がるのは、奥まった部分が、ほのかなスポットライトに照らされた、大理石のごとき地面で支えられる銀杏形のフロアだった。


いくらかはマシだが、やはりここにも闇はあって。

その闇が和らぐスポットライトの当たる場所には、闇を丸くくり抜いたような、穴がある。


その目前には、黒光りしたアーチがいくつも並び、視線を向けるサウザンのことを手招いている。


その並ぶアーチも、丸くくり抜かれた扉も、どうしてそうなっているのか、サウザンにはよく分からない。

一番よく分からないのは、それのある理由を考えることも、何故そんな形をしているのかも、疑問に思ったり考えたりするのが、周りにはサウザンくらいしかいないということだが。



ひとりで調べても何分かるでもないことを長年通って重々理解していたサウザンは、慣れの意味もあって、それ以上考えることなくぽっかり開いた丸い色違いの闇の中に飛び込んだ。


そこにある闇は、今までのものと違ってそれほど怖くはない。

お腹の芯に来るような浮遊感も、軽い酩酊感も、もはや慣れたもので。


サウザンは、自然と瞳を閉じる。

まるで眠りにつくかのように、夢を見る……その手続きをするみたいに。


サウザンが、その心地よい感覚に身を委ねていると。

やがて聞こえてきたのは、賑やかで軽快な、オルガンの音だった。


いつもの、通学路のための音楽。

誰が弾いているのかも分からない。当たり前として存在するBGM。



「相変わらずうまいなぁ。いつも全く同じだ」


サウザンはついそう一人ごち、目を開ける。

それを弾いているものなど、どこにもいはしない。


誰が弾いているのかも分からないオルガン。

やっぱりサウザン以外に、それを気にするものはない。


それを疑問に思うものはない。

改めて考えると、それって怖いことなんじゃないだろうか。


サウザンは、思わず顔に似合わぬ苦笑をもらして、天井を見上げた。

そこには、青く澄んだ青空が広がっている。

そこかしこにちらほら見えるうろこ雲。

じりつくほどではない秋特有の、お手軽なぬくもりを伝えてくる。


害のない白い太陽。

全ては、ジャスポースの人々のために、神、ロウ・ランダーが作ったものらしい。

それらが全てつくりものであることなど、当の昔に忘れてしまうほどに、それはいつもの当たり前の光景だった。

だから、特に何かを気にする必要なんてないはずなのに。



「……なんだろ、このもやもやした感じは」


ふいに、不安になる。

だからサウザンは無意識のままにそう呟いていて。



「セン、おはよう」


そんなサウザンの背後から不意に声がかかった。

落ち着いた、礼儀正しい感じが口調に滲み出た少年の声だ。


サウザンにとっては聞き慣れたの友の声。



「おはよ、ディコ。毎度ながらはかったようなタイミングで現れるよね。もしかして、待ってたりする?」


ディコ。

物心つく頃から馴染みで、ウマが合う親友。

真面目で大人しく、線の細いディコ。


性格が真逆ならばウマが合うなんてよく言うがむしろその逆を地でいっているとサウザンは思っている。



―――「似たもの同士だけど仲いいよね」


そう言ったら、もう一人の幼馴染は、あなたとディコが似たもの同士なわけないでしょって顔をしていたけれど。



「ああ、うん。センのお姉さんが登校してくるのが見えたからね、そろそろ来るかなって」


サウザンの問いに爽やかな笑みで答えるディコ。

そこには嫌味もないし深い意味もない。


クラスの悪友たちならこうはいかないだろう。

ディコのそう言う、そつのない素直な部分が、ウマの合うところなんだろうな、なんてサウザンはちょっと思う。


「そっか、んじゃ行くとしますかね」

「うん」


だからサウザンも笑顔で頷いて。

ディコとともにいつもの登下校の道を歩いた。

顔を上げれば、青空に包まれるようにして、目指す学び舎が見えてくる。


赤レンガで作られた、ちょっと洒落た建物だ。

小高い場所にあるので、とにかく目立つ。

その場所が、間違いなくこの世界の中心であると、そう思わせるくらいには。


その中心地、サウザンたちの通うジャスポース学園は、このジャスポースの世界に暮らす全ての子供が通うことになっている。


在学期間は12年。

11年目に突入したサウザンたちにとっては、ぼちぼち卒業後のことについて考えなければならない時期にさしかかっていた。




「そう言えばディコって、卒業後の進路ってどうする気なの?」


今までは、楽しい学園生活が終わってしまうのが何だか嫌で、それとなく考えないようにしていた話題であったが。


気付けばサウザンは、それを口にしていた。

それが学園祭の初日という特別な日の空気にあてられたからのか、漠然とした掴みどころのない不安に圧されたからなのかは、サウザンにも分からなかったけれど。



「卒業後? 気が早くは……ないか。もう2年なんだもんね。そうだなぁ。やっぱりジャスポース学園の先生かな。競争倍率は高いと思うけど」


突然の言葉にちょっと考える仕草をしてみせるディコだったが。

答えはすぐに返ってきた。

実にディコらしい、奇をてらう気配など微塵も感じさせない、模範的回答。


「そう言うサウザンはどうなの? 聞くくらいなんだから、やっぱり何か考えてるんでしょ?」


当然、話の続く展開させるためにとそう言葉が続くだろうことが、サウザンには分かっていた。

サウザンは一つ頷き、それに答える。


「僕も同じかな。ジャスポースの先生……学園長とかになって学園を牛耳る、みたいな?」


当たり障りのないそんな答えを。

現実に考えて平和的な、その答えを。



「そっかぁ、ライバルだね。そうしたら僕たち」

「そうだね、僕がディコに勝てるかどうかは別としても」

「またそんなこと言って。謙遜しすぎだよ。サウザンはロマンティカの人だからとか関係なく、できるヤツだと思うけどね」

「だといいけど」

「いいさ。だって僕のライバルなんだし」


クサイとも取れかねない、ディコの真っ直ぐな物言い。

なのにそれが変に嘘っぽくならないのは、ひとえに彼の性格故なのだろう。



だからこそ、サウザンはそんなディコに、申し訳ないなって気持ちになる。


ジャスポースの教師の道は、狭き門だ。

誰にでもなれるわけじゃない。

ジャスポースの世界で花形の仕事なこともあって、人気も高い。

何より、その職に就くことができれば、生活の安泰は約束されたようなものだった。


遠くない未来、好きになった人と手を取り合い生活していく上で、これほど確実なものはなかった。


そう、サウザンには、好きな人がいる。

できることなら、そういった箔のついた仕事に就きたいと思うのは当然のことで。

だからサウザンも、ジャスポース学園の教師を、卒業後に目指す進路と決めていた。


そこに、嘘偽りはない。

サウザンは正直に、今の気持ちを答えたはずだった。


だけど、申し訳なさ、後ろめたさは消えない。

ディコはそんなサウザンのことを知っているからこそ、ロマンティカなんて肩書きは関係ないって言ってくれるけれど。


はたして周りが本当にそう思ってくれるのだろうかと考えてしまうのだ。

もしかしたら、ロマンティカの名を持つというだけで、その道のハードルを勝手に低くされてしまうんじゃないかって、そんなことすら考えてしまう。


だからディコには悪いけれど。

そこに嘘がなくても、本気になれる自信がサウザンにはなかった。

先生になりたくて努力してる、ディコに申し訳ないと思ってしまうのだ。



「ま、そうは言っても僕の場合、先生一本ってわけでもないけどね」


だから、サウザンは言い訳するみたいにそんな事を口にしてしまう。



「そうなの? それは初耳だ。……たとえば?」

「神候補が神になるための試練……その護衛かな。一応これでも、ロマンティカ家の端くれだし」


言ったサウザンが驚くほどに、そのセリフは容易く口の中から紡ぎ出された。

それは、ガーベラの話を聞いたことでついさっき形になったもの、だったのかもしれない。


「……本気で言ってるの? だって、それって、外の世界に出るってことでしょ? 何があるか分からないんだよ? 帰ってこれないかもしれない、死んじゃうかもしれないんだよ?」


あまりにあっさりと、サウザンがそれを口にしたからなのか。

ディコは珍しく語気を強め、その真意を問うてきた。

思ったよりも過剰な反応に、サウザンはちょっと驚き、目を見開く。


「分かってるよ。神候補の側でずっと暮らしてきたんだから。いざとなったら……覚悟はできてる」

「分かってないよ、サウザンは! だってきみはっ……リコのこと、どうするつもりなの?」


まるで駄々っ子のように、ディコはひかない。

ディコが、真にサウザンのことを心配してくれている、そんな気持ちが伝わってくる。

まだ、ディコにしか話していないサウザンの大事なことを、思わず口にしてしまいそうになるくらいには。



「それこそ、分かってるさ。ようはさ、これは僕の人生の勝負なんだ。戦うからには負けるかもしれない。ジャスポース学園最強決定戦も、先生になることも、想いを告げることも。……外界に行くってのは、最悪のことだよ。戦いに負けてなおこの世界にいられる度胸なんて、僕にはないし」


ディコの発言に、内心焦ったサウザンだったけれど。

おどけるように、苦笑を浮かべて、サウザンはそんな事を言う。


みなしごだったサウザンにロマンティカの名をくれたのは、ガーベラが神となるために手伝いをするためじゃないのかって、今日のこともあってサウザンは思うようになっていた。


物心ついた頃からのガーベラとの特訓はそのためなのだと、そんな気がしていて。

ガーベラはそんなサウザンに対し、自分の進むべき道は自分で決めろ、なんて口癖のように言っていて、ロマンティカ家としての宿命をサウザンに背負わせようとはしなかったけれど。

ガーベラについて外の世界に行くことは、たった今サウザン自身が決めたことだった。



サウザンが口にしたことは、紛れもない真実で。

ずっと好きだった人に想いを告げること。

ジャスポース最強決定戦で優勝するという箔をつけなければ、告白する勇気のない自分。


断られたりなんかしたら、ショックで死んでしまうかもしれない。

サウザンは本気でそう思っている。


負ければ、この世界にはいられないと。

つまるところ、外の世界へ行くのは死んでも構わないといった、やけに近いのかもしれない。


だからそれは、最悪の場合なのだ。

それは特に……ガーベラの前では到底口にできないことで。



「絶対に負けちゃ駄目だよ、セン。きみは僕と、ジャスポースで教鞭を振るうんだから」

「う、うん」


有無を言わせない、真剣な様子のディコ。

何だかそこには、負けたら本当に消えてしまうんじゃないかって、そんな危機感があって。


ただ頷くことしか、サウザンにはできなくて……。



              (第5話につづく)






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