第13話、Tears on Earth


サウザンは、未だ自身に起こっていることを把握しないままに、手渡されたその本を開いて見る。



「あれ? これって……」


書かれていたのは、譜面つきの歌の詩だった。

しかも、学園祭のクラス展示で使ったものがいくつかある。


その中には、サウザンが選んだお気に入りのものもあって。

詩だけでもジャスポースでは禁書扱いの一品。

だがそれには、譜面がつき、歌が完成されている。


ロウは、身を守るものと言っていたが。


それを見た瞬間。

小さい頃に黒い太陽のカケラに襲われた記憶が。

自分を庇ってその闇にまかれ、消えてしまったリコリスのことがはっきりと思い出されて。

まるで嫌なものを遠ざけるみたいに、サウザンはその本を閉じてしまう。



「そうだよ、何してるのさこんなとこで。僕は、リコを探さなくちゃいけないのに」


そして、自分に言い聞かせるようにそう呟いた。


サウザンの目の前で消えてしまったリコリス。

その事実をサウザンは、未だ受け容れきれずにいる。

これは性質の悪いリアルな悪夢なのだと、信じ続けようとする。



「……ロウさんに聞いてみよう。何か知ってるかもしれないし」


だから、ロウの言う選択など、サウザンにとってみれば二の次だった。

早くこの悪夢から抜け出したい。

そんな事ばかりを考えてロウの後を追いかけ、階段を駆け上がる。



終わりないように闇の向こうへ続いているようにも見えた、鈍く光る螺旋階段は。

しかしサウザンが思ってるより短くて。

抜け出たその先は、サウザンが目覚めた場所に一見よく似ていた。


白いリノリウムの地面の、四角く薄暗いフロア。

スポットライトが一つだけ、エレベーターの入り口を照らしていて。


そのエレベーターの前には、黒く湾曲したアーチがいくつも並んでいた。

それは、サウザンが家から毎日通っていた通学路にあったものに似ている。

それを抜けると、いつも明るい世界が広がっていて。

それをくぐることが、サウザンは大好きだった。



「……そうか。真実を求める道を選ぶというのじゃな」


そんなことを考えていると。

そのたくさん並ぶアーチの入り口の所でふわふわと浮いていたロウが、なんだかうれしそうに声をかけてきた。

サウザンはそれに申し訳ない気分になりつつも、首を振って言葉を紡ぐ。


「ごめん、ロウさん。そうじゃないんだ。さっきも話したけど……僕は消えてしまったリコを探したい。もしかしたらロウさん何か知ってるんじゃないかと思って聞きにきたんだ」

「……知っている、とわしが言ったら?」

「ホントですかっ!?是非!是非教えてくださいっ!」


少しだけ間の空いた後の、冷たさの混じる、ロウの言葉。

しかしサウザンはそんなこと構ってられなかった。

にじり寄る勢いで、ロウにそう聞き返す。



「だったら、ついてくるといい……」


するとロウは、そんなサウザンをいなすようにそう呟くと。

サウザンに背を向け、ふわりふわりと黒いアーチをくぐってゆく。


サウザンは、慌ててその後についていって。

見えてきたエレベーターには、上へ向かうことを示す黒い三角形のボタンが一つだけあった。


ロウがその小さな手でボタンを押すと、サウザンの時と同じようにエレベーターが息を吹き返して、すぐにその口を開ける。

何も言わず乗り込むロウに、続くようにしてエレベーターに乗り込んで。

49階を示していたオレンジ色の明かりが、ものすごいスピードで右に横滑りしていくのが分かって。



辿り着いたのは10階だった。

その先はなかったから、そこが終点なのだろう。

変に高揚しだしたテンションを抑えられぬままにサウザンは、開かれた扉の向こうに広がる茜色……それは夕日の色だろう……へと飛び出す。



そこは、いつもサウザンが友人達と待ち合わせする十字路。

通学中には通ることのない通りにある、公園の一角だった。

すぐ目の前に、立ち入り禁止の看板と鎖があって、そう言えばここにエレベーターあったなと、サウザンは唐突に思い出す。

もっとも、前に見たときはボタンを押しても全く動くことのない、無用の長物だったが。



「とりあえず学園の裏山かな」


見知った場所に戻ってきたことで急に強気になってきたサウザンは。

肩上にふわりと浮かんで併走しているロウにも構わず駆け出してゆく。

公園を出てならされた通りに出ると、右手にはすぐいつもの待ち合わせ場所になってる交差点が見えて。

その交差点の真ん中にある噴水広場に向かう。



「……っ」


だけどすぐに、見慣れたはずの光景に違和感があることにサウザンは気づいた。


人がいない。

通りを歩く人々。

自転車の人。

出店の売り子。

それら全てが。


しかし……。

サウザンはその明らかに突きつけられた違和感を認めたくなくて。

みんな後夜祭に参加しているのだと無茶な納得をして再び走り出す。


目指すのはまずはとにかく裏庭の、伝説の樹がある場所。

逸る気持ちが、焦燥がじわじわと拡大し、サウザンの地面を蹴る足が一層速くなる。



サウザンはがらんとした不気味な静寂が広がっている正門と、玄関口を無視し、すぐに学園の裏手に回った。



そして……春になれば桜色で占める林を抜け、裏山へと続く道へと入る。


頂上まで続いて見える飛び石の道。

ほんのちょっと前にリコリスが通った道。


なんと言い表したらいいかも分からない嫌な感覚は。

破裂寸前にまで膨らんでいて。


辿り着いた伝説の樹の下には、誰もいなかった。

それが当たり前であるかのように。

分かってはいたのに、目の前が暗くなるような、そんな感覚にサウザンは襲われる。



「……っ!?」


いや、それは事実暗闇に支配されていた。

サウザンが絶望に目覚めた、あの場所だ。

サウザンは、ありえないものを見たと言わんばかりに両手で目をこすって。


再び目を開ければ。

そこは暗闇でも何でもなく、誰もいない夕日に染まる丘の上であることが分かる。



「後夜祭の会場に行かなきゃ……」


ここにリコリスがいないのならば。

もたもたしてなどいられない。

そう言わんばかりにサウザンは呟いて、再び走り出す。

何も言わずそんなサウザンの側で浮かんでいるロウ。

その表情は分からないのに、悲しみの目で自分を見ている。

……そんな視線を感じながら。



そうして。

サウザンを待っていたのは、文字通り絶望だったのだろう。


後夜祭会場の校庭。

ミスコンの伝説冷めやらぬはずの洗心館。

五日間の仕事を終えた出店と教室。

まだまだ祭の興奮が続くはずの学園は、目を離した隙に、静寂だけが支配する無人の地と化していたのだ。


ありえない光景。

信じたくない光景。


これは自分を騙す盛大なドッキリなのだと。

人を求め、ただサウザンは学園内を駆け巡った。


だが、そこにあるのはサウザンの荒い息遣いだけで。

友達も、クラスのみんなも、部活の先輩も。

まるで夢か幻であったかのようにサウザンの前に姿を現すことはなかった。



「嘘……でしょ……?」


冗談みたいな、その状況。

だけどサウザン自身が、心のどこかで目の前の悪夢を肯定しようとしている。

そんな自分が許せなくて、そん自分が信じられなくて。



「ロウさん! どういうことだよ! リコは、みんなはどこ!? 知ってるって、知ってるって言ったじゃんか!」


黙ってついてきてくれていたロウに、理不尽な怒りをぶつけてしまう。

それが理不尽であることに気がついたのは、言葉を吐き出したその瞬間で。

くしくもそれで我を失っていた自分に気付いたサウザンは、バツが悪そうな顔をして、ロウの返事を待った。



「知っている……そう、知っているだけじゃ。わしはおぬしの親しきものがどこかにいるとは一言もいっとらん。その事には気付いていたんじゃろう、おぬしも」


激昂したサウザンの気持ちをそのまま打ち返すことなく、子供のサウザンとは違い、長く生きてきたことが分かる口ぶりでロウは言葉を返してくるから。



「それじゃあ、ロウさんの知ってることって、何なんですか?」


気付けばサウザンは、そう聞いていた。

おそらくは、それが覚悟が必要だと。

絶望を知ることになるだろうと……確信しながら。




「簡単なことじゃよ。おぬしが過ごしてきたこのジャスポースの世界全てが、よくできた夢幻じゃったのじゃ」

「……」


歌うように、ロウは言う。

あまりにもその言葉が埒外すぎて。

すぐにはサウザンの理解が追いつかない。



「ふむ、そろそろ限界かの」


と、理解が追いつかぬままにロウが、そんな事を呟いて。



「……っ!」


その瞬間、宵闇に包まれだした学園の風景が突如として切り替わった。

それは、リコリスが消え、目覚めた時に見た光景。

膨大な広さの鉄でできた迷路のようなフロアだった。


常にわだかまる薄暗がり。

白いリノリウムの、どこまでも続く地面。

遥か向こうにある、ビスを打ち込まれた鉄壁。

夜天のごとき高さの天井には、ほのかな星のごときスポットライトが、サウザンたちのいる地上を照らしている。



「全て……夢?」


ほとんど無意識のままにサウザンは呟き、ちぎれよとばかりの強さで自らの頬をつねる。

頬に伝わるその痛みは、如実に今が現実であることを。

ロウの言葉の信憑性を匂わせてくる。



「そんな……そんなの。ウソだよ。だって! 僕はもうこの学園に10年以上も通ってるんだよ? 幻なんかじゃない思い出がちゃんとあるのにっ」


だからといってはいそうですかと、簡単に受け入れられるようなものでもなくて。

サウザンはそんなロウの言葉を必死に否定しようとする。



「その認識は正しい。おぬしの体験したことは、起こるはずだった未来そのものなのだからな。つまる所、ジャスポースの神は、ジャスポースの世界に暮らすものに、そう思わせる使命を負っていたのだ」


返ってきたロウの言葉は。

その神の下で暮らしていたサウザンにとっては理解しがたいものだった。

理解するよりも先に、何故そんなことを自分が知らせられなくてはならないのか、知らないままにしてくれなかったのか、なんて思っていた。



「僕の思い出が夢なら……どうして僕にそんな事教えるのさ」


だからサウザンは、思ったままのことを口にする。


「おぬしが神候補だからじゃよ。夢幻でない現実に生き残った人間だからじゃ」


すると、間髪おかずロウはその答えを返してきた。



「生き残った人間? 何だかそれって、人間が滅んじゃったみたいな言い方だね」


ふいに思い浮かんだそんなことに、サウザンはちょっと笑っていたが。

ロウはそんなサウザンに対し重々しく頷いて。


「そう、おぬしの言う通りじゃ。世界は滅びたんじゃよ。あの黒き太陽……『完なるもの』の力によってな」


そう答えるから。



「……」


その瞬間に浮上してくる、黒い太陽に対しての恐怖。

笑えない冗談のはずなのに、そんなこともあるかもしれないって、ロウの言葉を受け入れているサウザンも確かにいて。



「わしが若い頃は世界は限りないほどに広く、人々も数え切れぬほどに存在していた。あまりにも多すぎ、世界を壊してしまいかねないほどに。当然世界は……世界を作った本当の神は、それを黙って見ているわけではなかった。世界を守ろうと、人を排除しようとする」


ロウは、まるでそれをその目で見てきたかのように語りだす。

いつの間にやら、その話に引き込まれている自分を、サウザンは自覚していて。



「じゃが、人間もしぶとかった。その数を減らしながらも、それに打ち勝つ力を、その進化の過程で身につけたのじゃ。『歌(カーヴ)』と言う名の力をな。それは、無限の可能性を秘めた万能の力じゃった。世界は人間のものになったと、そう思われたが……」


余韻を持たすがごとく、ロウはそこで言葉を止める。

それは、ロボットが発しているとは思えない、心の篭った語り。



「いよいよ、世界が崩れそうになった頃。訪れたのは世界作りしものへの天啓じゃった。ならばその『歌(カーヴ)』の力を用いて人を滅ぼしてやろうと。そうして生まれたのが、『完なるもの』じゃった」


その言葉は真に迫っていて、サウザンのその情景を浮かばせようとする。



「『完なるもの』。黒い太陽が地上に落ちたことで、人間は滅亡寸前まで追い込まれた。さらに、黒い太陽は生き残った人間を、一人残らず世界から消そうと、執拗に追ってくる。じゃからわしは、生き残ったものたちを集めて、『歌(カーヴ』の力を使い、このジャスポースのような世界……『領域(フィールド)』を、いくつもつくった。生き残ったものたちを守るために。木の葉を森の中に隠すように、人と変わらぬ夢幻の存在、『家供(ファミリア)』に彼らを守らせたんじゃ。その中で生まれたかけがえのない命を、孤独にさせないために。……健やかに生きられるように」


ロウは、長い話をまとめるようにして、そこで改めてサウザンのことを見た。

その意味するところは、ロウの無機質な表情からは読み取れなかったが。



「黒い太陽に脅かされぬ完全な世界ジャスポース。しかしそれは、完全なものではなかった。黒い太陽は、闇のカケラとなって、世界に入り込んでくる。しかも、神と名乗ろうとも、所詮は人の子。その命は限りはある。永遠にその夢幻の世界を保つことはできぬ。このままでは、いつかこのジャスポースの世界も、滅びてしまう。だからわしは……考えたのじゃ。新しい後継者を……隔離された各々の世界に生きている名を持つものから選ぼうと」


つまりそれこそが、神候補のことなのだろう。

いきなりですぐには納得できるようなことじゃなかったが。

今現実として起きている周りの状況を鑑みるに、そう理解するしかないのだろう。



「本来なら、しかるべき時期、順序を持って、おぬしには神となるその試練を受けてもらうはずじゃった。しかし、日増しに強くなってきていた黒い太陽の猛威にわしは耐えられんかった。おぬしが何も聞いてなかったのは、おそらくはスカーレットが気をきかせたんじゃろうが……」


そこで、言葉が止まる。

まるで何かに躊躇うかのように。


「……すまぬ。何もかもおぬしにとっては急なことで混乱もしたじゃろう。じゃが、安心してくれ。おぬしら神候補の誰かが、新しき神となれば、夢幻のものたちも帰ってくるはずじゃ」


しかるべき時期。

それは、学園祭の後のことだったのだろう。

ロウは、そのせいで起きてしまったサウザンの悲劇を、その目で見ていたかのような真摯な声色で、頭を下げる。


サウザンは、そんなロウの言葉にようやく安堵の気持ちを覚えるとともに、戸惑いを隠せなかった。

何故ならサウザンは、神候補は自分ではなく、ガーベラだろうと思っていたからだ。

サウザンはたまたま拾われて、たまたま名を持つ人……ロマンティカ家の一員になったにすぎないと、そう思っていたからだ。



「ま、待ってよロウさん。僕に謝ることなんてないんだ。神候補って僕じゃなくて、姉さんのことだと思うし、僕はたまたまロウさんを見つけただけで……」


人違いだと、アタフタしながら、サウザンはそんな事を言う。

その場にわずかな間だけ、妙な間があって。



「姉じゃと? おぬし、何故それをはよう言わんのじゃ」

「え? い、言わなかったかなぁ」


ロウのその表情の奥にある感情は、見た目じゃ分からないはずなのに。

その時ばかりは気まずい苦笑を浮かべてるだろうことが、ありありと分かってしまった。



きっとそれは。

サウザン自身も同じ笑みを浮かべていたからなのだろうが……。



             (第14話につづく)






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