第11話、夢であるように




そんなことがあって、最終日。


後夜祭直前。

サウザンにとって運命の日がやってくる。



「伝説か……」


夕日を横顔に受けながら、サウザンは呟き、茂る大きな一本の樹を見上げる。


昨日の一件。

あれはジャスポース学園の伝説になったといってもいいんだろう。

後で冷静になって振り返ってみると、勢いとはいえよくあんな事ができななぁと、サウザンは自分自身が信じられなかった。


ハヤテやシュラフには。


「流石ロマンティカ家の長兄だぜ!」

「俺たちのできないことを軽々やってのける!」


なんて囃し立ててくるし。

ディコには。


「男だねぇ」


と褒めそやされる。


結構な人が、その一世一代の現場を見ていたらしく、どこへ行ってもサウザンを知らない人はいない、といった感じで。


ある意味サウザンにとってもいい思い出になったと言えばそうなんだけど。

結局、今の今までリコリスと会話することができないでいた。


一緒にいるだけで囃し立てられるから、というものあったけど。

サウザン自身が、そんなリコリスを見ることすらできなくなっていたからだ。


今サウザンはそんな気持ちの昂ぶりを、爽やかな風に揺れる葉を見つめ、何とか沈めようとしている所だったが……。


それでも、サウザンの緊張が和らぐことはなかった。

リコリスはこの場所に来てくれる。

それを当たり前のように信じていて。


リコリスは想いを受け入れてくれる。

そのことに、確信に近い自信があっても。

何せ初めてのことだから、どんなに勝機があったとしてもそういうものなんだろうって、自分を無理矢理納得させたサウザンだったが。


その一方で、その緊張感の中にある不安を、必死に見て見ぬふりをしていた。

得体が知れないからこそ怖い。

その不安を。


もっとも、それの正体に気付けたとして。

今更どうこうできる問題でもなかったわけだが……。



サウザンのそんな思考も、ふいに吹いた強い風とともに、一瞬にしてどこかへ吹き飛んでしまった。

少し小高くなっている伝説の樹の下、微かに喧騒の聞こえてくる、学園の敷地へと続く道にリコリスの姿を発見したからだ。


俯いていて、その表情はしっかりとは見えない。

ただ緊張しているのが分かるような、硬い表情をしているだろうことは容易に想像できて。

サウザンは、自然と苦笑を浮かべる。

緊張が薄らいでゆく。


サウザンは、そんなリコリスが目の前に来るまで。

不安はあれど、自分の成功を疑っていなかった。


その先に待っていることなど、気付きもせずに……。






          ※      ※      ※





―――そうして、時は戻る。


次にサウザンが目を覚ました時。

視界に広がるのは、瞳を閉じていた時よりも黒く見える、一面の闇の世界だった。



「……っ!」


瞬間、襲い掛かってきたのは。

闇の太陽のカケラと、それによりサウザンを庇ったかのようにして消えてしまったリコリス……その衝撃的なシーンだった。


サウザンは、それがとにかく怖くて。

その闇をがむしゃらに振り払う。

だがその闇は、サウザンから離れようとしない。

余計に絡み付いて、立ち上がりかけたサウザンを硬い地面に転がす。



「……っ?」


硬い地面に転んだはずなのに痛くない。

まるで真綿の布団に包まれてでもいるかのように。

それに気付いて、ようやくサウザンはもがく身体を止めた。


そっと、その柔らかい闇に鼻を近づける。

残滓のように僅かに香る、林檎のような甘い匂い。

サウザンが認識している、リコリスの髪の香り。


一気に、包み込む闇に対する警戒心がなくなって。

もう一度目の前に広がる闇を調べてみると、それは暗幕のような、サウザンをまるごと包みこむような何かだと分かった。

おそらくはリコリスの楽具(ウェール)の力で作られたもの。



「わたしに楽具なんか必要ないの」


口癖のようだったリコリスの言葉が思い出される。

その時サウザンは、自分のようにリコリスは楽具を扱うのが苦手なのだと、単純に思っていたけど、どうやら違ったらしい。

リコリスはその力で、サウザンを守ったのだ。


あの、黒い太陽のカケラから。

自分が消えてしまうことも構わずに。



「消えて……?」


そこまで考えて、サウザンははっとなる。

それが、黒い太陽のカケラにのまれてしまったからなのかどうかは分からない。


でも確かに、リコリスは消えてしまった。

サウザンの前から。

信じたくない告白に対しての拒絶の意を示した、そのすぐ後に。



「ははっ……まさか」


今まで生きてきた中でトップクラスに入る、たちの悪い冗談だと、サウザンは思った。


「最悪の夢だな。告白前だってのに」


きっと、これは悪い夢で。

最終日を迎えたと思ってたけど、未だベッドの中にいるんじゃないかと。

サウザンは、ついさっき目の前で起きたことを、都合よくもそう判断した。

そうでなければ、心壊れてしまうだろうから。



「……」


サウザンは、心地よい真綿に身を委ね、本当の目覚めを待とうとする。

するとそのうちに、起きなければならないはずなのにも関わらず、再び眠気が襲ってきて……。




「……っ!」


再び覚醒。

だが、目の前に広がる闇は変わらない。

これは夢だと認めたくないのに、確かにそこには好きな人の余韻があって。



サウザンはついにそこから起き上がった。

自棄にも近い勢いで、その黒く包むものから抜け出す。



「ここは……どこなんだろう」


すると、視界を埋めるのは再びの闇だった。

しかしそれは、今までと比べれば明るい。

何故ならばサウザンの倒れていた場所から少し離れた……白いリノリウムの地面をぼんやりと照らす、5つのスポットライトがあったからだ。



「……」


サウザンは改めて起き上がり、辺りを見回す。

そこは、見知らぬ……だけど、自宅と通学路を結ぶ、真っ暗な階段のある場所に、よく似ている気がした。


冷たいリノリウムの地面を除けば、それなりに高さのある天井も、奥行きのある横壁も、鉄板のようなものでできているのが分かる。


真四角のフロア。

出口は二つ。

5つのスポットライトに照らされた鉄の、エレベーターの入り口のような扉と。

その反対側にある扉のない、四角い闇ばかりが広がる吹き抜け。


見慣れない、見知らぬ光景のはずなのに。

どこかサウザンの記憶を刺激してくる、そんな場所だ。



「これが夢だとしたら、一体どんな夢診断を下されるのかな」


どうしようもないくらい根暗なヤツと判断されるのだろうか。

リコリスが最近はまっていたその事を思い出し、サウザンは思わず苦笑を浮かべて。



「……っ!」


その瞬間。

地面にあったリコリスの気配の残る暗幕のようなもの。

それが、まるでその役目を終えたかのようにみるみる縮んでゆくのが分かって。

サウザンは慌ててそれを抱え込みもうとする。


「ああっ」


だが、それでも。

それが小さくなっていくのを止められない。


サウザンの事を拒むかのように。

周りの闇に紛れて、霞みのように消えていった。


まるで、最初からそこには何もなかったかのように。

リコリスが、その場に初めからいなかったかのように。


その香りも、その余韻も消えていく。


そのあまりの仕打ちに、呆然と立ち尽くすサウザン。

こんな状況になって、今更ながらにリコリスに振られてしまった自分を自覚する。



「……何してんだろう、僕」


こんなわけの分からない、暗闇の中でひとりで。

まるで場面を切り替えたかのように、サウザンは陰気なこの場所に放り出されている。

サウザンは、それを振られたことのショックによるものなんじゃないかって今度はそう思いはじめていた。


一世一代の大勝負。

まさか負けるだなんて一ミリも考えていなかったから。

リコリスの拒絶の言葉に理解が追いつかなかったのだろうと。

その衝撃的な結末に耐えられなくなって、心がトリップしてしまったのだと。

……そう考えていた。

思いが受け入れられなかったことは、自分にとって、それだけありえないことだったのだと。



「ここでずっと突っ立っててもしょうがない……か。まずは人を探すか、とにかく進まないと」


この際悪夢だろうが異世界へのトリップだろおうが何でもいい。

この陰気くさい場所から出たくなったサウザンは。

そんな事を呟きながら、ぼんやりと照らされたスポットライトのある場所までやってくる。



「やっぱり、エレベーターかな」


赤い色のついたそれは、やはりエレベーターの扉のようだった。

しかし、ジャスポースの商業区域にあるデパートのものとは違い、ボタンはひとつしかない。


黒い三角形の鋭角の部分は下を向いていて。

どこへ行くかも分からない、一方通行の道。


その事に、一瞬迷ったサウザンだったが。

そもそもそのエレベーターに電源が入っているかどうかも分からなかったから。

それを知るためにも、サウザンはそのボタンを押してみた。



「わっ」


するとどうだろう。

押した部分にオレンジ色の灯りが点いて。

目の前の扉の遥か下から、甲高く空気を吐き出すような音が響いてくる。


それが動き出したことを示す、僅かな振動。

まさかまともに動くと思ってなかったサウザンは、それを呆気に取られた様子で見ていて。


やがて聞こえてきたのは、チンと金属を打ち鳴らす音だった。

開かれる扉。


ぽっかりと除く小さな正方形の部屋。

対面には、大きな鏡があって、呆けたサウザンが映し出されている。



疲れた……魂の抜けたような顔。

こっぴどく振られた顔。

そう思うと、ひどくみじめに思えて。

サウザンは、それを無理矢理に追い払うように笑顔を貼り付けた。


そんな自分を認めなくなかった。

一度振られたくらいで、諦めたくなかった。


第一、 何故ダメなのか、その理由を聞いていないのだ。

納得できない。

せめてその理由を聞いてみるまでは。


サウザンはそう思い、エレベーターへと乗り込む。

それに躊躇わなかったのは、その開かれた扉の向こうの方が、天井からの灯りのせいで明るかったから、というのもあるだろう。


暗く広い部屋より、よっぽど生きている。

そんな気がしたのも確かで。


それを見計らったかのように、サウザンをのみ込んだエレベーターはその口を閉じ、かなりのスピードで下に降りてゆく。

エレベーターはほとんど揺れず、負荷がかからなかったからあまりその実感はなかったサウザンだったけど。


10おきに書かれた光る数字が、次々とその数を増やし、左にスライドしていくから、きっとそうなんだろうとサウザンは認識していて。


かと思えば、急激にかかる負荷。

ベル鳴らす音とともに再び見上げれば、オレンジ色に光る数字は50のところで留まっていて。


その先に数字はない。

それが何を意味するのか、理解するよりも早く。


開け放たれる、エレベーターの鉄扉。

その向こうは、さきほどサウザン自身が倒れていたフロアと比べても明るく見えた。


明るい青い光がそこにはあって。

惹かれ吸い込まれるるようにしてサウザンはエレベーターから降りていく……。



             (第12話につづく)






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