第30話 落日まで
夜中に物音で目を覚ました。痛む体を起こして毛布をはねのける。
「シルヴィか」
「わかるの」
「おまえならな。足音とか、服のすれる音で」
「あたし限定なんだ」
小さな微笑をそえて、ふわりと少女が隣に座った。
「作戦は思いついた?」
「残念ながら、だ」
俺は小さいランプをつけた。小さな火に、まとめていない赤い髪が照らされた。シルヴィの頬は思ったよりも明るい色をしていた。
細い指先が、骨ばった手の甲をそっとなでた。
「すごい指ね」
「すごかねえよ。立ち木を毎日突いてりゃ誰でもそうなる」
「毎日できる人は少ないわ」
「ヒマなんだよ。無職だからさ。それに指の固さは問題じゃねえ。整えた姿勢で正しく体を使って、初めて威力が出る……と、いっても、もう使う時が来るかどうかだけどな」
エルフの血が入った柔らかい手が、俺の袖をきゅっとつかんだ。
「今日、使えるかな」
「どうかね……それよりどうしたんだ。不安か」
シルヴィはそれを聞くと、肩が震えているのを悟られたくないと思ってか、向かい合わせに座って足をくずした。
「おじさん、女の人と寝たことあるの」
「なんだ突然」
「なんか縁なさそうだなって」
「大人にそんな話をするもんじゃねえよ」
「あたしには魅力がない?」
「あるよ。でも今は考えられねえ」
小さく唇を曲げて苦笑いをしながら、ランプに照らされた髪をかきあげて後ろにまとめた。
「ヤケになってたら、最後くらいヤらせてあげようと思ったのに」
「そのくらい単純な頭だったら、もう少し人生が楽しかったと思うよ」
シルヴィはさっきよりも落ちついているように見えた。本当にこんなおっさんを受け入れる気だったのか。ただそうだとしても、残された時間をそちらに振りわけるわけにはいかない。まだ何かの手が浮かぶかもしれないとは思っていた。
「明日、どうするの」
「倒すさ」
「どうやって?」
「どうやってかね。風魔法武術かなんかでちゃっちゃと、かな」
へへっと笑いながら、掌の上で小さく空気を回した。気晴らしにしてはうまい具合に回ってくれた。
「信じてるよ。勝てるって。ダメでもいいけど」
「ダメじゃダメだろ」
「ううん。いいの。こんなに大事にしてくれたんだもの。嬉しいし、それに楽しいの。おじさんといるの。だからもういいんだ。どっちでも」
言って、シルヴィがランプを消した。
「魚の跳ねる音がきこえる。外ね」
「聞こえるか? 氷の下だ」
「あたしの耳は半分エルフだから。見よう。きっと綺麗よ」
シルヴィの肩に手をのせて、俺も一緒に外気を顔に当てた。思っていたよりも明るい。基地からの風景を初めてまともに見た。池に氷が張っていて、そこに星がうつっている。ふとキッカの話を思い出した。進藤が魚を捕ったのはここなんだろうか。
最初にここに来た時は、水音なんかまるで気を配らなかった。外気の冷たさと、遠い山頂から吹き下ろされる風と、雪の匂いだけを感じていたのに。
光が反射する氷を見つめるにつれて、急に頭がさえてきた。なにかに気がつけそうに思えた。氷に黒い影が。氷の下にはたしかに魚が泳いでいる。進藤の魚捕りをもう一度考えた。水の中に爆裂玉を投げこんだという話だ。
水中での爆発。
その言葉がなぜか何度も頭を駆けめぐった。
「水の中では、爆裂玉の威力があがる」
「え? いきなり雰囲気ぶち壊す感じ?」
ちょっとまてよ。
シルヴィの肩をつかむ手に、薄い汗がにじんできた。ソラスと進藤のやってきたこと。奴らは白龍退治に命をかけていた。奴らには倒す算段があったはずだと、もう一度思い返した。
どこか胸の片隅で、もうダメだという絶望をかき消す熱気が生まれていた。なにかを見逃してはいるはずだ。なにかを。
進藤は、水中での爆発は威力が上がることを知っていた。
爆発。威力。水中。
進藤は開天珠を龍に使うつもりだった。
威力。水中。液体。
龍の弱点はどこだ。
水中。液体。眼球。
体の中で液体の比率が高いところは。
液体。眼球。脳髄。
「いけるぞ」
進藤は水の中なら爆裂玉の威力が増すと知っていた。それはたしかに正しい。
一般に爆発する物体は、水中では空気よりも牽引力が大きくなり、破片の移動量は減り、ぶつかるダメージも減る。
だがそれとは別の威力がある。圧力波だ。空気は圧縮しやすいから爆発の圧力波はすぐに散ってしまうが、水中では全部の圧力がぶつかる。水中で爆発が起きると、そこに接触している物に大きな撃力を与えられる。
「いけるぞ」
思考が進藤のシナリオを追いかけていった。白龍のどこを狙うか。答えはやはり目玉だ。それもただぶつけるのではダメだ。目玉は意外と固く、外部から破壊するのは難しい。だが内部なら。眼球を構成しているのは大半が水分だ。
「目玉に、開天珠を、突っ込んで、爆発させる」
「ちょっとまってよ。なに? どうしたの?」
間違いない。進藤はそれを狙っていた。目玉の中でぶち壊し、その奥の脳にダメージを与える。口より鼻より耳より、そのほうが確実だ。
「できる。俺にはできる」
二十八次討伐隊は、無策、愚策の集団ではなかったのだ。大魔道ソラスの流星は数が多く鋭利な武器だ。これで龍の目を傷つけ、次いで進藤の開天珠を埋め込んで圧力波で脳を破壊。あいつらが狙っていたのはこれだ。
そして、これで失敗した理由も見えた。ソラスの流星は目を閉じられて当たらなかった。だから開天珠が使えなかった。遠隔からの射撃はダメだった。
だったら近接戦なら。零距離からの攻撃なら……
「思いついたの?」
「やったぞ。でかしたぞ。ありがとうよシルヴィ」
「あたしなんかした?」
「ああ。大快挙だ」
白い息と別れて、ばっと寝床にもぐった。
「よし寝る!」
「えー?」
「寝ないと大きくなれん! シルヴィ、すまんが明日だけはメシ作ってくれ」
「毎日作ってるじゃん!」
「たくさん作ってくれ! 腹がはちきれるくらい食わせてくれ、伏して頼む!」
「勝つ前に死んじゃうわよ!」
「死なん! ヤツを殺して俺たちは生きるんだ!」
大声の直後にぐっすりと寝た。大きく伸びをして起きた時には朝日はとっくに昇っていた。跳ね起きて一瞬で着替えた。
「キッカ!」
「事情はシルヴィちゃんから聞いたよ。もう逃げ場はないってことも……」
下を向いて拳を震わせているキッカの両肩をぐっと握り、ぐらぐらと揺らしながらメガネの奥に視線を合わせた。
「しけたツラを作るのは早えぇよ! それより今日だけ手を貸してくれ! 特等席で見物させてやるぞ!」
「え? いや、ガレリア最後の」
「いいから目の前に立ってる偉大な英雄の話を聞けって!」
「つくづくキミはすごいな。どういう神経してるんだ」
俺はキッカとシルヴィとパウロを連れて攻城兵器と鉄管を集めてもらい、三人で龍の寝ている場所へ運んだ。いける。俺にはできる。
ヤツが起きるか起きないかの時間に、まずは日課の鼓膜破りから入った。当てるたびに龍は大きく暴れ、一軍を消し飛ばす勢いでブレスと森林への体当たりを繰り返す。そして地面に何度も頭を打ちつけ、やがてねぐらに戻った。
徐々に日が高くなってが、ヤツは活動を再開しなかった。攻撃の成果が出ているのだ。耳から膿がだらだらと流れ、炎症を起こし、疲労がたまってきた。これまで仕掛けてきたことは無駄じゃなかったわけだ。
「よし、次を行くぞ」
ヤツの鼻先へ向かった。正面から向き合うのは初めてだ。偉大な生物は、目は赤く充血してその周りはどす黒く染まっている。深い呼吸を繰り返していた。
息を吐き終わったのを確認して、水のスクロールを広げる。濁流が生まれ、呼吸に合わせて鼻へ流れ込んだ。
ガバァと奇妙な音を立て、ヤツが目と口を大きく開けた。溺れたのだ。普段ならすぐに吹き出したろうが、衰弱した今は別だ。
咳きこみ終わって、もう一度深く深呼吸をしようとした時。今度は袋詰めの粉末を宙に浮かせた。
「
ウォンが押し付けてきた薬の詰め合わせだ。あとから目録を調べたらトリカブトやら砒素やらフグやら、毒薬の山盛りだった。どうせ捨てる代物だ。叩き込むならこいつの中でいい。
ヤツはのたうちまわりながら、怒りを振り絞ってのろのろと飛んだ。偉大な生き物と思えない鈍重な立ちあがりだ。木に縛られたロープが後足の指を締めつけた。
木を根から引きぬきながら、叫び声を何度もあげて飛んだ。そのたびに鼻と目から水が飛び散った。流し込んだ水じゃない。泣いているのだ。いじめられた子供のように。
木に登り、鏡で光を目に当てて誘導した。いよいよだ。バリスタのトリガーを引いて鉄管を飛ばした。
「
風を鉄管のスカートへぶつけて加速する。軌道はまっすぐに龍の目もとへ向かっていった。ガツッと音を立てて、頬へ鉄管が突き刺さった。
「よし」
木から降りて、バリスタに戻った。キッカが目を細めて龍の頭を見る。
「目を狙うんじゃないのか」
「直接目に刺すのはできねえんだ。なにしろ見えてるからな。すぐ閉じられちまう」
動体視力と反射神経を測るため、以前にも実験的に目を狙ったことはあった。その時は一度も眼球は貫けなかった。反応が早く、目を閉じられるとまぶたは分厚く効果はない。
今ねらう場所は目じゃない。その周囲だ。次の鉄管も相手の死角を考慮して打ち込んだ。一回バリスタを動かし一発飛ばすだけでも重労働だが、へこたれはしなかった。
昼になる。洞穴でシルヴィの弁当を食って昼寝して、それから回復のポーションを次々に流しこんだ。
おっさんにはドリンクがよく似合う。ウォンがくれた山盛りの薬の中に故郷で世話になった回復役もあったので、こいつも胃袋へ突っ込んだ。第三一教団製造、黄色と黒の瓶に詰められた秘薬だ。かつての軍隊で毎日支給され、飲めば二十四時間働けるというデタラメを信じ込まされた。
とりあえずの回復を終えると、午後からは指と耳と鼻への攻撃はやめて、徹底して目元や頬、そして口の周りに鉄管を突き立てた。耳のように深く刺さらないからバラバラ落ちたりするが、数十本の鉄は徐々に増え、最後にヤツの頭は針山みたいになった。
夕方に入り、ヤツはもう一度眠った。ガス灯一つない山の夜が来る。これが最後の休憩時間だ。鳥も虫も鳴かない山の中、台車に上って毛布を手に取った。
火を焚いて十分に休んでから、立ち上がって二人に告げた。
「キッカ、シルヴィ。そろそろ降りてくれ。こっから先は俺一人でやる」
「えっ、もうか? 手伝いくらい最後までやるさ」
「いや、ここからは一人じゃないとできない。もう準備できた。助かったよ。ありがとうな」
「ふーむ……まあそこまでいうなら……」
言いながら、キッカはちらちらとシルヴィを見た。それから、あれっ、と言って背をむけた。歩竜に飛び乗る。
「どうしたんだパウロ? もう行きたいのか?」
「あ、おい、シルヴィを乗せてくれよ!」
「うわーっ、言うことを聞けよ! どうしたんだ?」
なんだかガラにもない叫び方をして、キッカの竜は坂道を降りていった。手綱を引いてなかったようだが、あれじゃ止まらなくて当たり前じゃないのか。
キッカはあっというまに見えなくなり、俺たち二人が山の中へ残された。シルヴィがなぜか、やけにおかしそうに笑った。
「シルヴィ、悪いけど歩いて降りてもらえるか」
「うん。わかったよ」
「それでな。最後に……」
俺がそれを言い終わる前に、ハーフエルフの少女は白い健康そうな歯を見せて目を細め、腰の短刀を外して俺の手に握らせた。
「ん? なんでわかった?」
「カランビット、落としてなくしちゃったんでしょ。覚えてるよ」
「だけど、お前のナイフ使うなんて言ったか」
「言ってないよ」
「じゃあなんで」
「わかるわよ」
「そうかな」
「そうよ」
言って、シルヴィがナイフを渡した。
「行ってらっしゃい」
そういうと、すぐにシルヴィは麓へ向けて走り出した。赤毛がくるっと振り返る。軽く手を振り、さっとまた走っていった。
もう少し何か話したかったのに。
そう思ったが、そんな時じゃないかと、あいつのナイフを手に取って考え直した。
帰ってから話せばいい。
生きて帰ってから、いくらでも話せばいい。
俺は山へ眠る巨大な姿へ向いた。深い呼吸を何度か繰り返してから、ナイフと開天珠を手に取った。
【武器】
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名称: 月光のナイフ
攻撃: +33
効果: なし
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名称: 髢句、ゥ迴?
攻撃: ?具シ費シ抵シ呻シ
効果: 縺ェ縺
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