第31話 決着

 月の光の下、バリスタを乗せた台車の上に座り、石でかまどを作ると台車の腰板を外して火打石の火花をぶつけた。鍋で雪を溶かして沸かし、湯を飲んで手足を温め、水気をふき取って服を着なおす。靴を履きなおす。靴紐を締める。


 そこらじゅうの倒れた枯木を積み上げ、火打石で燃やした。風魔法でそれを広げ、森の中でも一際大きな立ち木へ移す。火はすぐに木のてっぺんまで上り、煌々とヤツを照らした。


 火の前に立つと、俺の影がヤツの頬に浮かんだ。


 雪を踏みしめて、眠る白龍の下へ歩く。一歩。一歩。進むたびに俺の影が小さくなっていく。顎の下ににたどりつく。


「よう」


 眠る白龍に声をかけ、懐に包んだ開天珠に一度だけ触れた。


「短いつきあいだったけど、今日でお別れだな」


 燃え盛る炎を背に、俺は大量に突き刺した鉄管に飛びついた。龍の頭に差し込んだパイプはハシゴの代わりだ。一つ一つ、しっかり刺さったことを確かめながら、上にのぼっていった。体が重い。あんなに食うんじゃなかったなと苦笑した。


 闇の中で星の明かりを頼りに、鉄管を握りしめて俺は竜の背びれによじ登った。つるつると滑るその背中を四つん這いに、首筋にたどりついた。


 ふと山道へ目を向けると、はるか遠くにシルヴィの松明が見えた。不思議な気分だ。何をやっているんだろうと思った。あいつがこちらを向いていれば、俺はネコにくっついた小さなノミみたいに見えるだろうかと想像した。自分が風刺画の一部になったみたいで、それがやけにおかしかった。


 冷たい角につかまって目の上にたどり着き、下まぶたに両足をかけた。両手を上のまぶたに引っ掛け、石を持ち上げるように力を込めた。


 上がらない。凍っている。毎晩凍っているんだろう。やはりこいつが自分で開けなければ開かない。手で開けるのは無理だ。起こすしかない。そのための火だ。


 山火事が徐々に大きくなり、胴に火が触れた時、龍の頭がわずかに動き、まぶたがベりべりべりと音を立てた。狙い通り、奥に白目が見えた。


 瞬間、咆哮が耳を揺らした。


 龍は地鳴りを起こしながら星の海へ向けて体を持ちあげた。自分の体重が一気に重くなったように感じた。


爆風ブラスト!」


 魔法でヤツのまぶたに張り付いた。目は開いたが、今度はしがみつくだけで精いっぱいだ。足を下まぶたと目玉の間に突っ込んだ。生ぬるい体温が届いてくる。


 ごうごうとものすごい音が耳を突いた。冷たい風が全身を叩く。恐ろしく寒い。こんな速度で飛んでいたのか。


 みるみる地面が遠くなり、雲を突き抜けた。山の端に沈む三日月が見えた。あれが落ちきったら、何もかもが終わる。


 ぐぐっと両手をきつく握りしめてから、俺はシルヴィのナイフを取りだした。


「おおらあ!」


 まぶたの端をつかみながら武器を振った。予想通り目玉はかなり硬い。それでも角膜から、びゅっと透明な液体が凍てつく夜に散った。斬れた。斬れた。斬れたぞ。


 龍が大きく向きを変えた。目にゴミでも入ったと思ったのか、ヤツは大きくまばたきをした。一度まぶたを動かされただけでも全身が放り出されるように思えた。繰り返されたら長くは持たない。


 次の一瞬が勝負だ。


 なんで三戦サンチン貫手ヌキテの練習ばっかりしていたのか、今ようやくわかった。この瞬間が来るのだと、俺の体が告げてくれていたのだ。


 大きく息を吸った。爪先を内側へ曲げ、体重を親指の付け根に乗せ、足の指でがっちりと皮膚をつかんだ。足裏、脹脛ふくらはぎ、太腿、尻の筋肉をガチガチに締めあげる。骨盤をぐっと前へだして背骨を伸ばす。下腹を膨らませて胸を張り、肩を落とし、頭を起こし、脳天から尾骨までを一直線に。俺の三戦サンチンは盤石を足にくくりつけたように、がっしりと支えてくれた。


 この立ち方を叩き込まれた時を思い出した。師匠の顔が浮かんだ。毎日のようにやらされて、毎日のように文句を言っていたことを。


 なあ、師匠。あの時の俺はもういねえよ。


 大事なことができたからな。


 ナイフを鞘に納め、懐から開天珠を取りだした。右手の親指と掌にはさみ、人差し指から小指までの四本をそろえる。全身の筋肉をひときわ強く締める。


 外から飛ばしてもこの傷には埋め込めない。この方法が唯一の正解だ。龍はぐっと角度を変えて地上すれすれまで降り、そこから再び水平に飛んだ。そこで、次がチャンスだと確信が持てた。いまだ、いまだと、俺の全身が叫び始めていた。


 硬くない脚を硬く。


 壊れやすい肉体を壊さず。


 鋭くない指先を鋭く。


 シルヴィ。この技な。こうやって使うんだ。


 満天の星を映す目玉に、会心の貫手を突き立てた。湿った手ごたえが右腕を包みこむ。親指を開いて、二十八次討伐隊の遺産を埋めこんだ。


 龍のまぶたを蹴って、雪へ向かって落ちた。


 全身の力が抜けて気を失いそうになる。


 歯を食いしばって正気を保った。


 全身を大の字に広げて爆風を三度唱えた。


 受け身を取りながら雪の上に落ちる。衝撃が背中を殴りつけた。ヤツが再び瞬きをしようと目を閉じる。合わせてはるか頭上の開天珠を爆発させた。花火のようなしぶきが見えた。


「やったぞ!」


 両目を閉じて後ろ手に積もった雪を叩いて、出せる限りの大声で叫んだ。ほとんど同時に、俺の上へ木っ端みじんになった目玉が降りそそいできた。


「やったぞ! ちくしょう! やったぞ!」


 何度も雪原を両手で叩いた。何度も、何度も。爆音とヤツの悲鳴がやまびこになって跳ね返った。それが遠ざかっていくのに合わせて、ヤツは体を傾けて林の中へ落ちていった。


 狙いの一つはうまくいった。だがまだ終わりじゃない。肺を出入りする冷たい空気にかみついて、最後の力を振りしぼった。


 命を完全に断たなければ。ここまでやって失敗じゃ間抜けすぎる。荷車にたどり着き、積み上げた回復薬を片っ端から飲んだ。ハンドルを回して、急な山道を動かしていった。


 あと少し。あと少しだ。呪いのようにその言葉を繰り返して、バリスタのハンドルを握りしめ、月光に照らされた雪道を登った。


 ヤツは残り火の中に倒れていた。


 右目が入っていた空洞が見える。


 獣のように吠えながらバリスタを押し、奴の墜落した山腹にたどり着いた。台車の輪留めを蹴っとばして固め、至近距離から空の眼窩がんかに三本束の鉄管を向けて飛ばした。どすっと鈍い音を立てて巨大な矢が顔に突き立った。


 巨大な体が赤茶色に変わっていた。ひゅうひゅうと喘息のような呼吸を繰り返している。だくだくと目から血を流す姿は、頼むから殺してくれと言っているように見えた。


 バリスタのカタパルトに手ごろな岩を乗せ、目玉に突き立てた鉄管へぶつけた。何度も。何度も。板へ釘を叩きつけるように、少しずつ龍の頭へ鉄管がめりこんでいく。ラクシュの調達したバリスタは最後まで狙いを外すことはなかった。


「祈らねえぞ。憐れまねえぞ。恨め。思う存分、俺を恨め」


 五度目の岩を叩きつけた時に、眼底へめり込む鉄管の抵抗が減った。脳に届いたのだ。逆鱗はだらりと力なく体から離れ、今にも落ちそうだ。月光はまだ龍に届いている。間に合え。間に合え。


「風よ。四海を統べ、地脈を駆け、天空に届く風よ。俺の手に来たれ。俺の敵を滅ぼせ。強き強き風よ」


 ポーションの口を叩き割っては流し込み、爆風を唱えた。いつもは使わない前段の詠唱まで加えた。子供のような願かけだが、もう考えることも感じることもいらなかった。


爆風ブラスト!」


 どぶりと脳漿が鉄管から吹き出した。くだした糞のように、闇に覆われた積雪へ広がっていく。


 飲みすぎて荒れた喉へさらに回復薬を流し込み、爆風を繰り返した。脳が砕かれながらどろどろとこぼれ落ちていくが、まだ心臓は止まらない。息も止まらない。一つの管から空気を抜いても、もう脳が出てこない。笛みたいな音が出るだけだ。


 気力を振り絞って、俺は連発で三つの管から同時に空気を抜いた。


爆風ブラスト! 爆風ブラスト! 爆風ブラスト!」


 再び管の端から脳がどろどろと噴きだした。やがて大きく胴体を跳ねさせると、ヤツの思考を失った顔は、赤ん坊の寝顔のように優しく変わっていった。


爆風ブラスト! 爆風ブラスト! 爆風ブラスト!」


 そしてついに、ヤツは体をこわばらせて仰向けにひっくり返った。残った方の目が逆さまに見えた。瞳孔は美しい黒に変わっていた。森の果てへ。東へ。ヤツの故郷へ向いていた。


 月が沈んだのはその直後だった。凍てつく夜が偉大な生物を包んでいった。


 死んだ!


 死んだ! 死んだ! 死んだ!

 殺した! 殺した! 殺した!


 大量の経験値が俺の体に溶けていく。何度も何度もバカみたいに陽気な効果音が鳴り、なんの意味もない光に包まれた。右肩のステータスに、どうでもいい数字が積みあがっていった。


 疲れが押し寄せてくる。できるとは思っていたが、これまでのどんな勝負よりも苦しかった。


 だが勝った。勝った。誰一人文句のつけようのない、完全な勝利だ。


 見たかソラス! 見たか進藤! 仇は取ったぞ!


 見たかラクシュ! 見たかキッカ! 俺はやったぞ!


 シルヴィ! やったぞ! 親父に会えるぞ!


 立ち上がり、仰向けになった龍の首筋を見た。逆鱗は今にもはがれ落ちそうだ。


 ウロコの奥の筋肉は思ったよりも薄い。奥に止まった心臓が見える。ふらふらと吸い寄せられるようにそこへ手を伸ばした。記念というのも変だが、切り取れそうなら持っていってみようかと思った。


「うわっ?」


 反射的に手を引いた。血液が熱湯のように熱い。火にくべた薪に触れたようだった。


 おそるおそる、心臓から出ている大動脈をシルヴィのナイフで刻んでみた。どっとそこから緑色の液体があふれた。血は雪を煙にかえて、赤い土へにじみこんでいった。


 座り込み、しばらく血だまりの池の中で呆然と、やってきたことを反芻した。なんだか俺がやったことのように思えなかった。変な夢でも見ているような気がした。


 俺はのろのろと立ち上がり、朦朧とする頭をおさえて帰路についた。深い疲れに何度も立ち止まり、そのたびに山へ振りかえった。


 風と枯れた草の音がしたが、それ以外には何も聞こえなかった。全天の星と揺れる木々の間に横たわる背中は、二度と動くことはなかった。はるか東を見つめたまま、雪の中に眠っていた。


 さっきまでまるで感じなかった膝の痛みをこらえながら坂道を降りた。毎日歩いた道のりがはるかに遠く感じた。何度も座り込んだ。楡の木にしがみついて立ちあがろうとしたが、もう無理かもしれないと思った。


 背負っていたザックを捨てた。水筒だけを取り出して水を一口飲んだ。今になって気がついたが、一つも回復薬は残っていなかった。


 帰らないと。帰って、報告して、検分を終えて、それで初めて仕事は終わりなんだ。


 ちくしょう、ちくしょうと怒鳴って思い切り舌をかみ、血を雪の上にはいた。


 眠ってたまるか。


 くたばってたまるか。


 生きて帰るんだ。


 ぼやける視界の向こうに、なにかが歩くのが見えた。左右にゆれる赤い髪だった。あいつ、帽子をかぶれと言ったのに聞いちゃいない。これだからガキは嫌なんだ。あれこれ小言を言わなきゃならねえ。


「おじさん」


 暗い中でも笑顔なのがわかった。


「おじさん」


 胸元に小さな姿が飛び込んできた。


 いてえよ。ケガしてるし凍えてるんだ。もう少しいたわってくれよ。


「おじさん」


 文句をぐっとこらえて、しもやけで真っ赤になった手で頭をなでた。嫌がられはしなかった。薄く雪が積もった赤い頭を抱えた。枯れきった虫のような声で、やったよ、とつぶやいた。


 【ステータス】

 -------------------------------------------

 名前: ダン・ゴヤ

 LV: 41

 年齢: 35

 種族: 人間

 身分: 平民

 職業: 無職

 属性: 風

 状態: 瀕死

 -------------------------------------------

 HP: 2/349

 MP: 1/642

 -------------------------------------------

 攻撃:  347

 守備:  429

 敏捷:  848

 魔術: 1231

 信仰:  123

 運勢:  809

 -------------------------------------------

 武器: 月光のナイフ

 防具: 防寒着

 財産: 0 Ɖ

 -------------------------------------------

 スキル

  爆風ブラスト(MP7)

  竜巻トルネイド(MP12)

  疾風結界ストームバリア(MP15)

  真空波エリアルカッター(MP18)

  衝撃波ソニックブーム(MP25)

 -------------------------------------------

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る