第7話 本当の想い
シルヴィと宝箱を抱えて馬に乗り、逃げて逃げて逃げまくった。コボルトは追ってきた。市中の警備隊が騒ぎに気がついて集まってくる。立ちふさがるどいつもこいつも、叫び声か鈍い音のどちらかを残して静かになった。なんて役に立たない連中だ。
「こいつもう捨てちまえ!」
「嫌よ! 今日しかない! もう今夜を逃したらチャンスは来ない!」
赤毛は薄い胸に宝箱を押し付け、何が何でも手ばなそうとしない。なんともえらいことになった。
街路を走っていく中、ついに馬が二頭ともつぶれた。いつのまにか俺の家の前だ。ヤツの気配はないが、俺たちを追ってはいるはずだ。どこに行った。くぐもった音。正面から。
「なにっ!」
俺の家の中から、壁をぶち割って牙と曲刀が飛び出した。柱がミシミシゆがみ、壁がバキバキぶっ壊れた。
「内側からノックとは斬新だな」
しかも器物損壊のおまけ付きだ。人の家を何だと思ってやがる。足を引きずりながら、これまでと逆の方角へ走った。通りすがりの馬車に駆けこむ。御者が驚いて振りかえった。
「なんだおまえら?」
「ランズマーク家の郎党だ! 領主の館へやってくれ!」
「えっ、なんで? やめてよ!」
シルヴィが俺の袖をつかむ。
馬車の幌からコボルトの姿が見えた。家の壁をぶっこわして屋根を崩しながら飛びだしてきた。警備の兵士じゃ絶対に無理だ。戦争の訓練を受けているランズマーク家の私兵にまかせよう。
「領主の家はやめて。このお金がいるの」
「城外に出られるわけねえよ。この騒ぎじゃ三方の門はとっくに閉じてるよ」
あっと気がついて、赤毛ががっくりとうなだれる。正直、開いていたほうがあの怪物を追い出すには正解な気がするが、何か騒ぎが起きたら門は閉じることになっている。もうシルヴィの逃亡計画はおじゃんだろう。それはそれでかわいそうだが、今は生き残るほうが先だ。
丘の上の領主の館は、すでに松明の列ができていた。階段下の庁舎にも隊列が組まれている。目をこらすとジェドもいた。御者に馬車を止めさせる。駆けよった。少年剣士は真っ青な顔でがたがた震えていた。
「ジェド、無事だったか。毒はどうした」
「砦に解毒剤があったんだよ。てかおっさん、なんだよあいつ。ヤバいよ。親父に殺されちまう」
「アホか、そこじゃねえ。親父が殺されちまう方を心配しろ」
ジェドは俺の言葉なんか耳に入っていないようだった。ガタガタ震えながら、俺の袖にすがっている。
「風魔法武術ってのでなんとかならねえのかよ? 期待してたのに!」
「俺、一度もそれ使えるって言ってねえんだけどなあ」
三人で整列した私兵たちの後ろへ逃げこんだ。官兵とは異なる、緑色のプレートメイルに鋼の槍と強弓。さらに巨大な黒い馬に乗った領主おかかえの賢者も出ていた。
秋の街路に霧が流れていた。私兵の一人が警笛を鋭く鳴らした。その向こうに族長はいた。すべての線が吸い込まれる一点透視のように、騎士隊の顔は煌々とした黄色の両目へ向けられていた。
ずらりと並ぶ弓がコボルトへむけられた。賢者が長いイチイの杖をコボルトに向けた。さすがというか、私兵たちはおびえていない。
「Aifreann na pionóis! Kneed!」
コボルト語だろうか。意味はさっぱりわからなかったが、霧をかき分ける歩みは止まらなかった。もう一度賢者が声をかけた。
「Aifreann na pionóis! Kneed!」
「白鋼山! コボルト!
通じてないのか聞いてないのか知らんが、とにかく話はかみ合っていないようだ。コボルトは賢者の方など目もくれない。宝箱をねめつけ、突風を思わせる闘気を吐き続けていた。
「射ろ!」
騎士隊の指揮で矢が灰色の霧をかき分けたが、コボルトはそれよりも速く同時に前へ駆けた。狙った矢はむなしくお互いにぶつかり合い、残った何本かも小楯が受け止めて曲刀が払いすてた。
「半円に囲め! 同士討ちに気をつけろ!」
ガシャガシャと音を立てて槍と盾が交互に整列する。穂先がずらりと曲線を描いて並ぶ。思わず声を出した。
「まずい!」
「なにが?」
シルヴィが聞いてくるが、俺はコボルトから目を離せなかった。歌う鋼鉄はこれを狙っていたのだ。ランズマーク家の槍は
「ジャイアアッ!」
ガラガラと竹細工をかき鳴らすような音に続いて、穂先が闇夜へすっとんだ。
「はあああ?」
ジェドが愕然と声をだした。二〇本の槍のうち、十九本が単なる棒になっている。先端がカラカラと石畳へ転がった。コボルトはすっとんだ穂先の一つに跳びつき、独特な華麗さをそえて下手から投げた。まともな槍を持つ最後の一人も、脳天に穂先を突きたてられて死んだ。槍が地面に落ちる前に、毛深い手が俊敏に奪いとった。
木の棒を持つ兵士と鋼の槍を持つコボルトが向かい合う。多数のうめき声。一体の唾液の音。
「こいつっ!」
兵士が壊れた槍を捨て、抜刀して斬りかかる。槍で突き殺された。
「こ、こいつっ!」
弓で殴り掛かる。飛びかかられ、噛み殺された。
「このっ!」
殺された。
「くそっ……」
殺された。
殺された。
殺された。
「てめえ!」
「このっ……!」
「つ……」
「
ついに兵隊たちの心が折れた。歌う鋼鉄は旋風のように槍を回転させ、訓練をつんだ兵士を紙屑のように吹きとばしていった。
「我が天主、我が全て、我らが大いなる加護の……」
ようやく馬上の賢者が詠唱を始めた。遅すぎる。槍を捨て、族長は馬の額を踏み台に跳んだ。
曲刀が美しい円弧を描く。直後、賢者の首が飛び立つ鳥のように舞い上がった。
詠唱を伴う魔術は兵士の守りあってこそだ。戦場のリズムはこの相手には通じない。
壊滅だ。ランズマーク家の兵隊は決して弱くなかった。レベル30を切る奴は一人もいないはずだが、俺の前にはもう誰もいなかった。後ろにうずくまって宝箱を抱くシルヴィと、腰が抜けて四つん這いになったジェドだけだ。
どうする。俺はどうすればいい。一番簡単なのは、知らぬ存ぜぬを決めこみ逃げだすことだ。なにしろ相手が悪い。だからなにもおかしくない。俺おっさんだし。レベル4だし。あと無職だし。そこそこ働いたんだから、もう切り上げてもいいだろう。
俺の背中に、誰の声も届かなければ。
「いやだ。いやだよ。お父さんに会うんだ」
か細い声が、俺の背を刺した。
財宝を取り戻すため、コボルトはゆっくりと歩み寄ってくる。それが疾走に変わる距離まであとわずかだ。整った姿勢で石畳を踏みつけ、確実な足取りを進めている。
だが、宝箱を抱く嗚咽に混じった声に、俺の震えは止まっていた。
耳に届くざわめきが消え、シルヴィの言葉だけが頭蓋をつきぬけて脳髄を占めていた。
頭の中を、それまで暴れていた怪物ではなく、後ろの少女が紡いだ言葉の切れ端が巡っていた。
『父がガレリア人だったとしても、あたしには何の関係もないわ』
前にこいつはそう言っていた。嘘をついたのだ。俺に弱みを見せたくなかったから。
『むこうは一族総出、こっちはひとりの結婚式』
親父に結婚式に来て欲しかったのか。
『さっさと親離れしなさいって言ってるの』
ジェドがうらやましかったのか。
一瞬だけ目を閉じ、自分の遠い記憶を引きだした。母親が死んだ時はまだ幼かったから、俺にとっての一番身近な死は親父のものだった。家を離れたとき、雨が降る墓の前で泣いたのを思い出した。誰もその声を聞いてくれる奴はいなかった。
親父に会いたいか。
逃げてもいいとか、金より命が大事だとか、その手のあらゆる理屈が消えていった。
苦しい思いをしてるのはシルヴィだけじゃない。ジェドだって父親との関係があるだろう。目の前の怪物だって手下を殺されたから怒っている。殉職した番兵には家族や友人がいたはずだ。それぞれにそれぞれの事情がある。長く生きていれば、そのくらいのことはわかる。
それでも、さっきの一言を聞かなかったことにはできなかった。
「族長」
低い声をかけ、改めて魔物の全身を見た。戦うために作られたような体躯だ。筋肉のうねりからは、無駄な力が完全にそぎ落とされている。
だが、実は勝算はある。鬼ごっこが始まってから今まで、ただ逃げてきたわけじゃない。十分な時間をかけて、その動きを観察してきた。そして……
「俺が相手してやる」
歌う鋼鉄は口を閉じたまま、ぐふっと笑い声のような音を出した。右手に力を込めて曲刀をにぎり、それから緩やかに力を抜いた。落ち着きのある丸い目は、あらゆる感情をそぎ落としたガラス玉のようだ。
それでも恐怖は感じなかった。俺はコボルトの正面を避け、すり足で位置取りを始めた。左右の肩甲骨を小さく回して上半身の力を抜く。両足の親指へ体重をかけ、無造作に
良かったな、シルヴィ。
親父には会えると思うよ。
【武器】
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名称: 繧ォ繝ゥ繝ウ繝薙ャ繝
攻撃: ?具シ托シ抵シ
効果: 蜊ウ豁サ
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