第27話 誤算

「こ……これはえげつないな」


 翌朝、バリスタの擬装を外して移動させてようとしたとき、汚物を詰めた鉄管を見てキッカが言った。顔が引きつっているが、まあ気持ちはわかる。


「要するに、雑菌をぶちこんで病気にさせるってことか」

「いや、それはおまけだ。うまくいけば結構だが、どんな動物も中耳炎だけでは死なないよ。狙っているのは神経症だ」


「しん……? なに?」

「負荷や刺激をあたえて病気にさせるのさ。知能が高ければそれだけ動物はデリケートになる。これを続けてれば精神的に参っちまって、鬱病にかかる」


 キッカがぎょっとして口をゆがめた。


「あの、メンタルの弱い人がかかるやつか」

「その理解は間違いだ。鬱病はメンタルの強弱にかかわらず、あらゆる知的な動物がかかる」


 女騎士の頭に浮かぶ疑問符が増えていく。それを見てシルヴィがくすっと笑った。以前の自分と同じ顔をしているからだ。俺の考えることは、こいつらの世界では非常識なのだ。


「強いと言われてるほどなりやすいのが鬱病だ。東の戦争で山ほど見たよ。序盤で大活躍した筋骨隆々の戦士や厳しい試練を乗り越えた高位の僧侶が、ある時期を境になぜかバタバタ倒れていく。生き残ったのは、俺みたいないい加減でサボり癖のある怠け者だった。


 どんなに身体や精神が強靭で、頭の回転が早かろうが、休みもせずに限界を超え続けたら、必ずおかしくなるんだよ。


 龍だって神に近いが霊体じゃない。メシを食うし、セックスもできる。だったら罪悪感を抱いたり、死について考えたり、喜びを失ったりするはずだ。そういう生物にはいろんな意味での限界がある。特に痛みと睡眠不足が響く。


 動きがにぶったら最後に鉄管を脳髄まで突き刺して、爆風で中身を抜きとって殺す」


 淡々と説明する俺の言葉に、ごくりとキッカが喉を動かした。


「……これがダンさんの武術かい?」

「叩き込まれたものって意味ならな。武術の伝書にこんな方法は書いてねえ」


 寝ている竜の後足に回ると、今度は小指にロープを縛り付けた。反対側は深く根を張った大木に巻き付ける。昨日と同じよう耳へ鉄管を命中させた。


 ヤツが飛び上がったところで指が締まった。大声を上げて空を目指したが、その飛翔は足指への激痛に拍車をかけた。最後に根ごと大木を引き抜いてブレスで木とロープを焼き払ったが、効果はあったようだ。


 よしとつぶやく俺とは逆に、キッカの端正な顔は苦虫をかみつぶしたみたいに歪んでいた。


「みているこっちの指が痛くなってくる」

「俺だってだ。指をつぶして泣かねえヤツはいねえ」


 俺はバリスタに戻って機器を調整した。標準を測る手製の道具を取り出し、水準器や角度、照門や照星と比較する。いくつかのネジに力を加えて、慎重に動かした。キッカはそれも記録につけた。お役目ご苦労様だ。


「あれだけ正確に当ててもまだこだわるのか」

「そうだ。較正って考え方がある。計器や測器はそもそもズレるものと考えて、使いながら補正するやりかただ。計画、実行、検証、修正をやり続けるのが現代戦だ。俺はぐうたらだが、こういうところではサボらねえ。神なんざいるか知らんが、もし俺が神なら、こういうところで手を抜く奴は殺す」


 ヤツがひとしきり暴れ、地面へ戻ってくる。休憩をして目を閉じたところを風魔法で耳の中に腐った肉を叩き込んだ。絶叫に合わせてクロスボウで逆鱗に一撃を当て、さらに暴れさせた。


 そこまでは昨日と変わらなかったが、ヤツが苦し紛れか、空に向かって震えた。崑崙の神通力だ。近場で食らったのは初めてだった。大きく地鳴りがして山体が海面のように揺れた。雪交じりの土砂が飛ぶ。運悪く少し離れたキッカとシルヴィのそばだ。


「まずいな!」


 一際大きな凍った岩が、二人に突っ込んでいく。俺が魔法の準備に入ったが、その前にキッカがシルヴィを守って印を結び、手を前に突き出した。


結界バリエル!」

「あっバカ!」


 岩はキッカの魔法防壁に阻まれて跳ね返された。そこで白龍が動きを止めた。高レベル魔術の発動で居場所がばれたのだ。


「木の陰に入れ!」


 大声で叫んだ。俺たちは大木の後ろへ回り込んだ。直後に龍がブレスを放った。直撃を喰らったら百人でも即死だろう。


「伏せろ! 死んでも結界は使うな!」

「どうすりゃいいんだよ!」

「神様に祈れ!」


 幸い、隠れようと狙っていた洞穴が目の前だ。ひとしきり木と石が降り注ぎ終わってから、慌てて滑り込んだ。


「レベル38が使う結界なんか目立つに決まってるだろがアホか!」

「じゃあどうすりゃよかった? ボクはともかくシルヴィちゃんは即死だったぞ!」


爆風ブラストでおまえらを飛ばせばいいんだよ!」

「あっ……」


 キッカが口を半開きに言葉をとめた。またこれだ。かなり慣れては来たが、この大陸のやつらはとにかくこういう発想がない。頭が悪いわけでもない、むしろ俺よりいい奴もたくさんいるのに、考え方の構造がどこか違うような気がする。


「驚くことかよ。なんでその場にいなきゃならん」


 答えながら、改めてさっきのキッカの行動を頭の中で再現した。不思議なことに、この国、いや、この大陸の戦闘方法は、極めて直接的な手段に限定される。ルールによるものでも、プライドを賭けてのものでもない。間接的な攻撃方法を理解できないような頭の作りになっているのだ。


「おじさん無理言ってごめん。これからは中腹の小屋か、この洞穴に引きこもってる」

「いや。俺も見物くらいさせたかったんだけどな。すまねえな」


 シルヴィはブレスで燃えた枝を取ってくると、手早くバンカーの奥に広がる空間にかまどを作って火をおこし、そりで運んできた食材で料理を始めた。


 キッカが銀縁の眼鏡を拭きながらシルヴィに声をかけた。


「動じないね」

「なにがですか?」


「キミがだよ。怖いとかないのかい?」

「ありますよ。でも、もっと怖い思いを二度したから、その時に比べれば。二度ともおじさんが助けてくれたし」


 食材を包丁でさばく合間に、すっとシルヴィの指が俺に伸びた。それを見て、へえ、とキッカが感心した声を出した。


「ダンさん、すごいなあ。強いし、頭いいし、信頼されてるし」


 どうかねと答えて、体を横たえた。少したってから、バンカーのすぐそばにヤツがずさっと体を横たえた。また俺たちを見失っている。体がでかすぎて、俺たちがどこにいるか理解していない。


 シルヴィが大鍋を持ってきた。俺たちは皿を平らな岩の上に並べて食った。食った。食った。とにかく食いまくった。


「そしてキミたちゃよく食べるなあ」

「人生は一度きり、たくさん食べましょう。それもおいしいと思って。敵に不幸を、味方に幸福を。それが避けられない冒険者の生き方よ」


 シルヴィの言うとおり、やってることは地道で陰険だが、暗く過ごす必要はない。腹一杯食ってぐっすり寝た。なにしろあの大物のおかげで、ゴブリンだのオークだのが襲ってくる心配もない。そんじょそこらの野宿よりずっと安全だ。


 枝を並べて土と布をかぶせた上でしっかり休み、太陽が高く上ったころに外へ出た。ヤツは眠っていた。これまでは夜しか眠らなかったのに。


「やったぞ、感覚が狂ってきた。もう一度鉄管を突き刺してくる」


 立ち上がる俺の背中に、キッカの深いため息が届いた。


「脱帽だよ。情け容赦ないけれど、確かに勝てそうだ。でもどうして何十回もやって、この程度の事を誰も思いつかなかったんだろうな」

「思いついた奴はいたかもな。でもそいつはできなかったのさ。『そんなの卑怯だ』とか『戦士のやり方じゃない』とか『名誉にかかわる』とか言われてな」


「まあ、そうか……」

「こんなやり方は異端か?」

「そうかもしれない。でも、否定はできないよ」


 その日、俺は日没までに三度同じ作業に取り掛かった。ヤツはその都度に暴れまわったが、火を吐き山に体当たりはしても、小癪こしゃくなハラスメントにいそしむ小動物だけは見つけられなかった。


 *


 パターンを完全に確立して、俺たちは二週間、同じような日を過ごした。朝と昼と夕方に攻撃をしかけ、昼は二人に来てもらい、夜になったら山麓の基地へ。遅々としてはいたが、毎日毎日、白龍は弱まっていく。計画どおりだ。あと二週間くらいすれば常に眠り続けたような状態になる。そこで決着をつけられるだろう。


 俺はその日も基地に戻ると文献を読み続けた。少しでもダメージを増やすために、情報を得たかった。今当たっていたのはジャパニア語の文献だ。生態に関する記述が興味深かった。鱗の固さや食い物の好み、発情期などだ。何度もそれを読み返して頭の中に叩き込み、今からでも用意できる方法はないかとノートを取る。


 深夜に入ってしばらくしてから、シルヴィが体を起こした。


「まだ起きてたの」

「いや、そろそろ寝るよ」

「すごい字よね。こんなの読めるの?」


 シルヴィが傍らの本を手に取った。


「まあ、もともとはこれしか読めなかったからな。俺にはまだ大陸の言葉のほうが難しいよ」

「まるで絵みたいね……あ、その赤字、エルフ語だ」


「ん? どこに?」

「これよ。でも『重要』って書いてあるだけだし、しおりの代わりかな。五〇ページだって」


「読めるのか」

「簡単な単語だけね」


 本を手に取った。表紙に『狼煙消ゆ』と書いてあった。ジャパニアの学者が残した文献だ。製本の仕方はジャパニアの糸の使い方だし、筆記も教養のある書体だ。


「読んでないけど、レムリアにいたころの白龍の記録みたいだな……」


 ぱらぱらとそのページをめくる。目を引くよう、太い字で書いてある部分がある。手が止まった。


「どうかしたの?」


 知らない情報だ。


「……いや、なんでもねえ」


 震える声を整えた。


 卓上の暦を引き寄せて明かりを近づけた。今日は十二月二九日。新年まであと三日だ。閉じた両目をぐっと手でおさえた。


「ねえ、どうかしたの? 真っ青よ」

「そんなことねえよ。明かりのせいだろ」


 掌の汗をぬぐいながら言った。シルヴィは少し妙な顔をしていたが、そう、と言ってまたベッドへ向かった。


 でたらめが書いてあるようには見えない。だがこれが事実なら、予定は大きくほころびることになる。俺は締めつけられるような自分の心臓の音を聞きながら、もう一度同じページを読んだ。


 あと三日。


 悪い冗談としか思えない。


 あと三日しかないのか?


狼煙消のろしきゆ:二章】


三節 奥義の威力


 白龍の活動が最も活発になるのは例外なく元日である。この時、体から逆鱗が剥がれ落ち、龍は激痛に狂う。その時に発動する『乾坤の鳴動』は大陸一つを滅ぼす威力を持つ。補陀落を崩壊させたのはこの術であり、百里の範囲のあらゆる生き物はほぼ滅すると考えるべきである。


 幼龍は海上で生活するため、かつて『乾坤の鳴動』は元日に明るく輝くフダラクの夜明けと呼ばれた。しかし成龍になり陸に上がった年、その術はフダラクの日没をもたらした(禅鑑ゼンカン禅師の日記を参照のこと)。


 『乾坤の鳴動』を止めるにあたり、白龍を絶命させる以外の方法はない。

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