第26話 戦闘開始

 朝日が彼方の山をかすめるころ、ヤツのねぐらに到着した。ヤツは森の中で静かに寝息を立てていた。俺は右耳の後ろ、少し離れた高台のような場所に攻城兵器を引き上げた。


 ロープで兵器を木々に固定し、三本を束にした鉄管を設置する。二台目も龍の左耳の後ろに設置し、ハンドルを入れて滑車を回した。両方のバリスタの引き金にはクモの糸をよった長い糸をからめてあり、それを引けばいつでも巨大な弓から鉄管が発射される。


 俺は二本の糸を手に、龍の胴体からすぐそばのところへうずくまった。やがて冷え込みの中で、巨大な口の端から漏れるいびきが消えた。龍は人間と同じような眠りのサイクルがあり、深く眠っている時はいびきをかかない。


 始める時だ。多くの犠牲者を出した悲劇を終わらせる最初の一撃だ。


 糸を引いた。仕掛けた弦を勢い良く動かし、龍の両耳へ向けて二箇所から鉄管の束が飛んでいく。ドスっと鈍い音。龍にとっては最悪の時間に、期待通りに巨大な鼓膜を貫いた。


 悲鳴が森に響いた。のたうち回りながらひとしきりわめき、ヤツは大きな体を持ち上げた。すぐにクロスボウを取り出して喉を狙って引き金を引いた。逆鱗へ命中し、悲鳴がさらに大きくなる。本当は逆鱗の裏側、肉に食い込むのがベストだったが、当てただけでも良しだ。


 龍は相当に頭に来たらしく、周り中の木を蹴倒して暴れまわった。俺はそばの洞穴のひとつに逃げ込み、昨日のうちに作ったバンカーへ滑り込んだ。相当の暴れ方をしてもこれは壊れる心配がない。


 観察用に作った窓がわりの鉄管から外を見た。龍は舞い上がらない。地上すれすれを暴れ、眠りを邪魔した復讐にいそしんでいる。


 これを観察したかったのだ。もし宙へ浮いて事態を確認するために落ち着くのを待つ賢さがあれば、この勝負はかなり苦戦する見込みだった。だが想像していたよりはるかに、ヤツは身体的にも精神的にも人間に似ている。


 俺は休憩を兼ねて、暖かい防空壕で目を閉じた。衣服を緩め足を石の上に乗せて靴を脱ぐ。全身の力を意図的に抜く。顔の緊張を緩め、首の力を抜き、手の平を上に向けて、何も考えず全力で休む。


 やがて外が静かになった。龍は疲れて地上で体を横たえていた。また眠っている。俺はバリスタを解体して植物をかけて偽装した。


 龍のそばまでよった。耳を見る。この最初の攻撃のなかで、一番重要だったのがこれだ。鉄管は刺さったままだ。深く耳の奥まで。龍には手がない。念力や魔法で取り外すこともできないようだ。これも大きな収穫だった。


 鉄管の口が見える木へ登った。龍は動きそうにないし、目の位置からも、俺は死角に入っているはずだった。


爆風ブラスト!」


 鋭く右手を振りながら魔法を放った。大声を出したが、鼓膜が破れたヤツの耳には聞こえないだろう。


 ボフッとマヌケな音が聞こえた。鉄管の束のうち、二本から爆風で空気を外側へ抜いたのだ。鉄管の最後に一本には腐った肉と糞尿が詰め込んである。鼓膜の奥の気圧が下がり、ゴミが耳の奥に流れ込んだ。雑菌の塊が中へ飛び散ったはずだ。


 爆風の魔法は炎や氷などの射出型の魔法と少し違い、空気を動かす向きはどこからどこへでもいいという特徴がある。これは俺が風属性を選んだ最大の理由だった。この融通が利く法則を知った時、気圧の差を使って物を動かせるとすぐに思い至った。


 龍が再び吼えた。敏感な場所だし不愉快さは相当だろう。叫び声が遠くまで響いた。山の一面の木々が全て揺れた。俺は木から雪の上に飛び降りて膝をついた。何度となく甲高い叫び声が頭上を飛んだ。これまでと声色が違うのは、自分の声が聞き取れず焦っているからだ。


 どっと疲れが出た。深く考えてはいたが、それでもバクチだ。緊張はあった。もし鉄管が鼓膜を貫けなかったら。もし念力で鉄管を外せたら。もし耳の中に何が入ろうが気にもしなかったら。そういう可能性もゼロではなかった。


 だがとにかくやりたいことはできた。雪道をザクザクと降りた。深い雪を踏みしめ、寒さに痛む膝を気にしながら、これから毎日この作業が続く。これは英雄の活劇ではなく、日常の業務だ。


 下山している最中、何かの気配を正面に感じて顔をあげた。シルヴィだ。


「どうした」

「気になって」 


 シルヴィは赤い頬に真っ白な手を当てて答えた。毛皮に身を包んでいないし、手袋もしていなかった。


「帽子もかぶらないでそんな恰好でかよ。風邪でも引いたら……なにしに来た?」

「食事を渡そうと思って。このくらい、寒いうちに入らないわよ」


 革袋の中にスープのようなものが入っている。口から湯気が見えた。


「暖炉で熱した石を入れてある。すぐには冷めないわ。食べながら歩いて」


 大きな木蓋を取ると、煮詰めたリゾットが入っていた。左手にそれを持ち、木のさじでそれを口に運んだ。昨日買ったばかりのマッシュルームとチキンが入っている。


 あれこれ言う前にスプーンを口に持っていった。やたらにうまい。具が細かすぎないし味が濃くて水気が少ない。それに思っていたより数段熱い。


「悪いな」

「ほかにできることもないし」


 シルヴィは俺の横に並ぶと、メシを食う俺の横顔に話しかけた。


「なあシルヴィ、ありがたいけどよ。こんなところまで来なくてもいいんだぞ」

「わかってるわよ」

「じゃあもうこんなことはいいよ」


 シルヴィはため息をついた。


「そんな美味しそうに食べてて、出てくるのそのセリフなの? あたしが奴隷だからこんなことをしたって思ってる? あたしはいくらでもある選択肢の中から、おじさんに食事を持ってきたのに」


 そういうと、少し足早にシルヴィが戻っていった。俺もあとを追った。中腹の小屋の横を過ぎてたあたりで追いつき、背中に声をかけた。


「怒ってるのか?」

「別に。うまく行ったか聞きたかったし、ついでに食べるものって思っただけなのに、なんか変なふうに勘繰られてガッカリだなって」


「わかったよ。悪かったよ」

「もういいわよ。それよりうまく行ったの? まだ元気そうに見えるけど」


 シルヴィが振り返った。白龍はまだ活発に飛び回っている。だがその動きは記録した観察結果とはかなり違っている。効果はあるはずだ。あの腐った毒が龍の耳の中で雑菌を繁殖させ、中耳炎を引き起こせば上等。それが無理でも聴覚を奪えたのは収穫だ。すぐに治るかもしれないが、それでもかまわない。次の手は考えてある。


「今日の仕事としてはな。うまくいったよ」


 小屋に戻って着替え、暖炉の前でぬれた服を乾かした。待っていたキッカが同じことを聞いてきたので、急かすなよと苦笑を返した。キッカは椅子をひきよせて腰かけると、少し慎重に言葉を選んだ。


「明日から、ボクも付き合っていいかい。邪魔はしないよ」

「構わんが、どうして」


「軍から記録をつけるように言われてね。前はソラス教授が記録を取っていたけど、今回は書記がいないからって」


 それを聞くと、シルヴィも行きたいと言いだした。慌てて両手を振った。


「やめとけよ。万一怪我でもあったら」

「行く途中に小屋があったでしょう。そこなら煮炊きもできるし服も乾かせる。山道を何度も往復するんじゃ疲れるわ」


「いや、でも結構な山道だぞ」

「あたしにはエルフの血が入ってるのよ。ランズマーク領でも山や森の仕事だったわ」


 しかしと渋っていたら、だんだんシルヴィが露骨に頬を赤くして声を荒げてきた。戸惑ってキッカに目をやったが、なぜか白けた目のまま助け船を入れてくれない。


「別にいいじゃないか」


 キッカまでシルヴィの肩を持ち始めた。なんなんだこいつらは。


「わかったよ。逃げるタイミングだけ覚えておいてくれ。まあ着替えや飯はやりやすくなるしな」

「でしょう? やっぱりおじさんにはあたしがいないとダメよ。なんてね」


「まあそうだな」

「えっ?」


 シルヴィが突然顔を赤くした。


「いや、そうだなって」

「その、あたし『なんてね』って言ったんだけど」


「それが?」

「いや、だから、あんまり本気にとらえられても困るなって」

「どうすりゃいいんだよ」


 ダンとキッカが床を踏んだ。


「グダグダうるさいな! 決まったならそれでいいって言えばいいんだよ! 明日からみんなで行動! いい? わかった?」


 変な奴らだな。女はどうもよくわからん。


【アイテム】

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 名称: キノコのリゾット

 強化: HP+40(上限突破)

     MP+20(上限突破)

 解説: 

 米をバターでいためてスープとサフランを

 加えて炊いた料理。ガレリアよりも、主に

 南方エトルリアで有名な料理である。

 オリーブオイルでニンニク、ネギ、唐辛子

 を炒め、米とワインを入れてアルコールを

 蒸発させる。野菜や茸、肉、魚などを入れ、

 塩、胡椒、チーズなどで味を調える方法が

 知られている。

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