第25話 遠い記憶

 かなり早く目を覚ました。セキレイが雪の積もった木々に飛んでいる。未明の霧が立ち込める中、苔の生えた岩に今日も貫手ぬきてを叩き込んだ。なんとなく、今はこの練習が体になじんでいた。


 太陽がはっきり見えてきたころに、ヤツは山の上に姿を見せ、まぶたを持ち上げた。馬車の車輪ほどもありそうな目が鈍い黄色に光っていた。悠々と長いひげを揺らし、木々を倒しながら太陽へ動いている。喉のあたりに、虹色に輝く逆向きの鱗が見えた。


 稽古を中断して麓の街を眺めた時。彼方からガタガタと大きな音が聞こえた。先頭を歩くユニコーンの上で、信頼できる商売人が大きく手を振っていた。


「ドラゴンも真っぷたつの剣から恋人に見せられないエッチな本まで、なんでもかんでも取り扱い! あなたの懐に優しいクリシュナ商会が参りました!」


 武器が満載された車団に駆け寄った。


「どのくらい手に入った」

「冗談なら面白くないなあ。あたしの辞書に調達失敗の文字はないよ」


 ネコ娘は得意そうに人間の親指を立て、貨物から布を取りはらった。


「さすがだな」

「ほめまくりなさい」


 縦列にならぶ車輪の音に目をさまし、シルヴィが表にでてきた。


「この前の手紙、ラクシュさんにだったんだ」

「ああ。これが欲しかった」


 言いながら検品を始める。まず回復薬だ。HPを回復する薬草と月長石のポーション。MPを回復する琥珀のポーション。さらに両方を完全回復させる水晶のポーション。それから局地的な洪水を起こす水の巻物スクロールだ。


「炎も氷も雷もいらないんだよね? 水は安いからたくさん手に入るけどさ」

「ああ。スクロールにこめた魔法は威力が低いから、白龍にはほとんど通じないんだよ。でも水は必要なんだ」


 次が滑車と歯車を使って引くクロスボウと呼ばれる弓。それにかける矢。弓弦をはるための道具。


「強い弓だけど、これも白龍のウロコは抜けないよ。それとこっちが生ゴミと馬糞。フタ開かないでね。すごい臭いするよ」

「悪いな。そのままにしといてくれ」


 それからバリスタと呼ばれる攻城用の巨大な兵器が二つ。これは多数の歯車と滑車とロープで作られていて、矢を設置すれば巨人も串刺しに、岩を投げれば城壁でも破れる。今回最大のデカブツで、引きずって運ぶことはできない。特注の台車に歯車のついた巨大なハンドルをつけ、人力でも運べるようにしてもらった。


「助かるよ。駄獣かこいつが無いとな」

「山岳戦用のバリスタにはついてるみたいだね。あたしでも動かせたから、ダンなら問題ないでしょ。ただ、最後のがねえ……どうかなあ」


 ラクシュが布を取った。そこにはバリスタに設置して飛ばせるサイズの鉄のパイプが三百本だ。これは三本束にしてロープで縛り、先端を斜めに切ってある。そのうち百本の胴には姿勢を制御する補助翼。半分より下には巨大な帆布がスカートのようにひらひらとくっついている。


「書かれた通りに作らせたけど、ドワーフの工房に頼めばよかった? そこらへんの鍛冶屋のだから見た目とか気にしてないよ。鉄パイプを切って先をとがらせる。それだけでいいんだよね?」

「これでいいんだよ。まさしくこれが欲しかった」


 納品書を受け取り小切手を渡す。ラクシュは馬にまたがると、投げキスを残して去っていった。あいつと話すのは楽だ。細かいことは聞かないが、頼んだことはまちがわない。


 さて、はこぶか。台車を山へ向かって動かした。道があるうちは引っ張るだけで良かったが、林の中に入ると歯車のからくりを使ってもかなり厳しかった。


 雪の中の作業に手が凍える。小さな火を起こして何度も暖をとり、靴の中にはトウガラシを詰めたが、それでも年をくうと冬がつらい。


 寒さの中、俺は氷河戦争を戦っていたころを思いだしていた。フダラク民との和睦がきまり、やっと故郷へ帰れると思った朝のことだった。


『諸君らも知ってのとおり、講和が確定した。長い戦いもこれで終わりだ。ついては、終戦日の前線の位置が領土と決定することとなった』


 全員が顔を見合わせた。遠回しな言い方に、一瞬、なんだかよく意味がわからなかった。周りもしばらくきょとんとしていたが、やがて怒鳴り声と嗚咽が徐々に広がっていった。


『それまではやれってことか?』


 だれかがつぶやいた。


『不満はわかるが、ここは考え方を変えてほしい。ここで奮闘することで、限界の向こう側に行ける。私も若いころはそうやって功績を立て、成長した。是非、私を超えてほしい』


 何を言ってやがるんだ?


『さあ、行軍歌を歌おう。腹の底から大声を出して、国家と国民への忠誠を示そう! どんなことでも最後が肝心だ! 人生の勝者になるか? 負け犬になるか? そういうことだぞ!』


 誰かが槍を投げた。司令官は演台の上で首を貫かれて死んだ。殺した奴ももちろん死刑になった。どういうことなのかはさっぱりわからなかった。


 こうして俺たちは新兵もベテランも関係ない、めちゃくちゃな編成で送りだされた。あらゆる想像の限りをつくしても思いつけない、最低のラストだった。前線の仲間は毎日ゴミのように死に、夜も昼も働かされた兵站は鬱病で次々にたおれた。


 協定に決められた最終日。陣地に残っていた兵士は俺一人。巨大な黒板に書かれた担当者の一覧は、全て俺の名前になっていた。残っていた武器は、なんの呪力も宿っていない棒一本だった。


 俺はそれをひっつかむと、たった一人で鬨の声をあげて、九鬼神流という棒術で数えきれない相手をしとめた。殺すことへのためらいなんか微塵も感じなかった。殺して殺して殺して、疲れ切ってわずかな油断に息をついた時、俺はついにヒザに投げ槍を食らった。


 死守を命じられた陣地を放棄して野良の魔獣にしがみつき、蘇生人グールか何かと勘違いされながら、首都まで撤退した。


 療養所で神主と坊主に祈祷を頼んだが、膝の軟骨がなくなり、走るたびに激痛に襲われた。失地をせめられ、軍が解体して給料は払われず、保証もなく、絶望だけがのこった。


『ちくしょう! 片足! 片足! 片足! もう武術はできねえ、二度と!』


 数日後。この大陸のことを耳にしたとき、俺は発作のようになにもかもを処分して旅立った。あの時、俺という人間のストーリーはもう終わったのだと思った。


 この数日で、そうしたクソみたいな記憶が徐々に遠くなっていくのを感じていた。


 今は違う。シルヴィがいる。あいつ一人のために働くことが、国家や国民のために働くよりもはるかに力がわいた。


 年を食うのは恐ろしい。様々な思いが錆びつくように固まっていく。それをあいつが溶かしてくれた。あいつがいてくれるだけで、今まで生きてきた意味もあったんじゃないかとすら思えた。


 バリスタを設置し様々な仕掛けを用意し、雪の中をかき分ける作業が続いた。全てを仕上げたころには陽が落ちはじめていた。


「終わった!」


 誰に言うともなく大きな声を出した。これでまたガレットが食える。今日はじゃがいもと玉ねぎとベーコンを千切りに、塩とコショウとパセリの味付けだ。


 下山は気が楽だった。終わったらなにか手間をかけて礼をしよう。久々に工作でもするか。刺繍でもいい。ああでも、おっさんの手で作ったものじゃあの年の女じゃ喜ばねえかな。


 基地に到着してドアをノックをする。キッカの声が戻ってきた。


「あーごめん、体を洗っているんだよな。少し待ってもらえるかい?」

「おう、そりゃすまん」


 振り返って柱に背を預ける。龍が台地の上を駆けて描いた複雑な模様を眺めた。


「ボカぁ終わったよ。で、悪いけど」

「そうかい」


 がたっとドアを引く。そして手を止めた。


「え?」

「は?」


 俺とシルヴィが交互に息を飲んだ。目の前に赤い長髪を下ろした全裸が立っている。


 椅子にかけているキッカへ向いた。髪をまとめて部屋着にイの形の口。メガネを握りしめて、彫刻みたいにかたまっている。


「ええと」


 冷静、沈着、かつ一切の動揺を見せずに切り抜けるつもりだったが、果てしなくうわずった変な声が出た。


「終わったって言ったよな」

「終わったよ。ボクは。だから今、ちょっと待ってって言おうと……いや、なんというか、いいから早く閉めなさい」


「おう」


 バタンと戸を閉める。キッカが真っ赤な顔を片手で覆い、もう片方の手でゆっくりと外を指さした。


「入らないで、出ていきたまえ」

「そうだった」


 もう一度外へ出て空を見あげる。寒い。気持ちを切り替えようと空に目をやったが、何も頭に入ってこなかった。少しして、すぐにシルヴィがドアを開けた。


「ごめんなさい」


 顔を赤く染めて涙目になっている。ものすごく悪いことをした気分だ。


「その……お湯、少し冷めたけど、使ってもらえるかな……」


 シルヴィがたらいを指さしながら、下を向いて涙をぬぐう。おう、とぎこちなく答えた。手早く服を脱ぐと体をさっと洗って新しい服に着替え、残り湯をこして洗濯を始めた。


 キッカは暖炉の前で本を読んでいる。シルヴィが俺の隣に座った。


「その、間違っただけだから。おじさんは悪くないから」

「いや、なんだ、悪かったよ」


「別にいいから。あ、それに、つまんなかったでしょう。子供だし」

「ああいや、そのまあ、そうだな。その、気にしてないよ」


「つまんなかったんだ」

「いや、そういう意味じゃない」


「どういう意味?」

「いやその、なんと言えばいいかな」


「あーもう!」


 キッカがなぜか読んでいた本を放り投げた。


「どうした?」

「なんでもない! 読んでる本が退屈というそれだけだ! ボカァ剣の練習でもしてくる!」


 憤慨してキッカは出ていった。部屋着で剣の練習に行くやつは初めて見た。床に転がった本は聖典だ。こんなもの、おもしろいもつまらないもないだろう。


「なんだあいつは」

「あの、じゃあ、あたしご飯つくるね。明日から大変でしょう。切り替えてね」


 そそくさとシルヴィが台所へ行った。


 俺は机に向かうと、運んだ武器を整理し直した。頭を切り替える。切り替えるべきなのだが、ピンク色に染まったシルヴィの肌が頭に焼き付いて離れない。言うほど胸が無いわけでも、いや、そうじゃない。髪をおろしたのも、いや、それも違う。赤くなった頬が、いいかげんにしろ。


 自分の頭を殴った。痛い。何度も首を振りながら、届いた武器を数えなおした。


【購入品一覧】

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 名称: バリスタ

 攻撃: +410

 効果: 遠距離攻撃(攻城)

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 名称: 鉄パイプ

 攻撃: +150

 効果: 攻撃

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 名称: クロスボウ

 攻撃: +180

 効果: 攻撃

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 名称: 切り裂きの矢

 攻撃: +30

 効果: 攻撃

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 名称: 濁流のスクロール

 攻撃: +80

 効果: 局地的な洪水

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 名称: 蜘蛛糸のロープ

 効果: 緊縛・梱包

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 名称: 白熊の防寒着

 防御: +60

 効果: 寒冷地のダメージ減少

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 名称: アセイミーフラワー

 回復: +50

 効果: HP回復

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 名称: 月長石のポーション

 回復: HP+100(限界突破)

 効果: HP回復+向上

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 名称: 琥珀のポーション

 回復: MP+100(限界突破)

 効果: MP回復+向上

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 名称: 水晶のポーション

 回復: 全快

 効果: HP・MP全快

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