第3章 大陸を滅ぼした白竜

第18話 海と遠い記憶

 ブリストラの連中が港湾施設に入る前に、俺たちの船は白亜の岸壁を背に抜錨ばつびょうした。


「行った先でつかまったりしねえかな」

「それはないね。あの町の汚職は有名で、ガレリアからも嫌われてるから」


 言いながら、ラクシュがシルヴィを浴室へ連れていった。シルヴィは涙目のまま、渡された着替えに目を落として外へ出ていった。


 船室でごろりとなって、古い木の天井を見あげた。若かったころ。シルヴィと同じ十代の時。あの時も、こんなふうに天井を眺めていたな。


『ダン、調子は悪くないか』

『もちろんですよ。師匠に習ったことは全部覚えました。負けるわけありません』


 母国にいた頃。前線の砦に到着した夜。俺は師匠の従卒として、はじめての戦地にいた。師匠は俺より少しだけ年上の、頭の上から足の裏まで戦争と武術でできているような女だった。親父が死んでから、俺は彼女の言うことだけを信じて生きてきた。


『師匠よりたくさん仕留めてやりますよ』

『そりゃ結構だ。がんばりな』


 叩き込まれた技術は道場でも戦場でも同じように使えると思い込んでいた。俺は若く、そして何も知らなかった。その先にはいわゆる極限状況が待ち受けていた……


「おじさん」


 不意に、目が開いた。見慣れない格好のシルヴィがいた。ラクシュから服を買ったのか。冒険者にしてはフェミニンで、色こそ地味な灰色だが、短いスカートに襟のついた半そでのシャツがなんとなく新鮮だった。一瞬、すらっと伸びた白い脚へ目がいったが、すぐに顔を背けた。


 シルヴィは静かに俺の隣へ腰を下ろし、俺と同じ方角を向いてつぶやいた。


「ねえ」

「おう……」


「謝らせてくれる?」

「なにを……」


「おじさんの言うこと聞かなくて、結局助けてもらったことよ」

「俺はお前がやりたくてやったことに割り込んだんだ。どこに謝るとこがあるんだよ」


「そうじゃないの」

「なにが……」


 そう言いかけたが、真剣なまなざしに、俺は聞き返すのをやめた。船がつくる波がくだけるのを眺めながら待った。急かしたり問いつめたりしたくなかった。


「殺されそうになったとき、おじさんに助けてもらいたいって思ったの」

「それがなんだ」


「それまで調子に乗ってたのに、相手が強かったら突然足がすくんで、怖くて、腰が抜けて、震えて、おもらしして……」

「それがなんだ」


 たどたどしい話し方だったが、正直に打ちあけようとしているのが伝わってきた。


「バカみたい。カッコ悪い。死んじゃいたいくらい恥ずかしいわ」


 船の窓を閉めて横を向いた。座布団みたいな厚手の布を渡して、座れよと言った。シルヴィはじっと床を向いていたが、ゆっくりと膝を崩して俺の隣に来た。


「俺も最初の戦争で怖くて漏らしたよ。勇ましかったのは行くまでだった」


 シルヴィが意外そうに目を見開いた。


「おじさん、兵士だったの」

「傭兵だ。正規兵は倍率が高くてなれなかった」


 へえ、と、それまでの話を忘れたように興味深そうな目をしている。俺は窓の外を見ながら話し続けた。


「親父が死んでから、俺は武術道場の内弟子になった。住みこみの門下生だ。十八の時、内戦で師匠の従卒に入って、初めて戦場に出た。


 足がすくんで一人も殺さなくて、飛んでくる矢に震えてたらいつのまにか終わったよ。濡らしたズボンをはいたまま陣地で泣きじゃくる俺に、師匠は強い酒を飲みながら、誰だって通る道だって笑ってた……」


「どうやって立ち直ったの」

「立ち直ってなんかいないよ。なんのドラマもなしだ。ただ、若い時はつらくても、年を食ったみたらそんな大したことじゃねえなとは思う。小便を漏らすのはその時のこと。生きるのは全てだ」


 シルヴィは手の甲で目をこすってから、船室の壁に背を預けた。


「おじさんにも若い時があったのね」

「おまえもおばさんになったら同じことを言われるよ」


「もっと話しておけばよかった。奴隷にされたことが悔しくて、話すのが嫌で」

「そりゃそうだよ。俺だって奴隷になりたくねえ」


「自分で雇ったくせに」


 そう言ったがシルヴィは笑顔だった。出会ってからこれまで、こいつが笑うのを見たことがなかった。目指す大陸へ向ける微笑に、俺は初めて彼女を身近に感じた。


「ガレリアにいったらごはん作ってあげるわ」

「メシ? 作れるのか」


「作れないレンジャーはいないわよ。砦の家事は奴隷の仕事だったし。得意なのはカモのコンフィ。野菜のジュレ。玉ねぎのスープ。ガレット」

「ガレットってなんだ」


「ハムとチーズとタマゴを包んだクレープよ。出来たては最高においしいわ」

「知らないな。今度作り方教えてくれよ」


「知らなくていい。作ってあげるもの。それより教えて。いろんなこと。おじさんの知ってる武術ってなんなのとか」

「武術?」


「秘密なの?」

「いや、そんなことはないけど」


「前に、少し教えてくれたじゃない」

「なんなのかな……俺の生まれた国ではステータスがもっと細かかった。この大陸のレベルだのステータスだのは、すげえ雑なくくりだと思った。足の速さや重いものを持てるか程度で決まるから、膝が悪い俺はとんでもなく数字が低くなるんだよな」


「考えたこともなかった。意味ないのかな」

「目安になるけど本質じゃねえな。武術は戦いの本質だ」


「二天一流だっけ」

「他にも色々。俺が一番叩き込まれたのは、空手っていう素手の武術だ。全身の筋肉を締めて、船の上でも倒れないサンチンって立ち方を延々やらされた。そればっかりやらされるから、しょっちゅう愚痴ったよ」


「立ち方なんだ」

「ああ。こんなとこでも倒れなくなるよ」


「見せてくれる?」

「見たって面白くもないぞ」


 それでもいいと繰り返すので、のろのろと立ち上がった。大きく息を吸うと、足の筋肉を締め上げる。背骨を伸ばして姿勢を整えた。膝は痛むが短い時間なら平気だ。ちょうど風で大きく床が傾いたが、ほとんど姿勢は変わらなかった。


「な?」

「すごいなあ」


 シルヴィはそれまでの暗い顔を忘れたように機嫌を直した。武術で人を喜ばせたのは初めてかもしれない。座り直すと、シルヴィはもっといろんな話を聞きたがった。


「風魔法はいつ使えるようになったの」

「この大陸に来てから魔法学院に半年だけ通って、爆風だけ覚えて退学した。衝撃波も真空刃もいらないなと思ってな。


 爆風だけで身は守れるし、レベルを低くしておけば油断してもらえる。それに武術と相性がいい。俺の技術とこの魔法があれば、生きるだけならどうにでもなると思った」


「それが風魔法武術の始まりなのね」

「その名前はランズマーク領での護衛中に雇用主がつけたあだ名だよ。グリフォンに襲われてな」


「グリフォンって、体がライオンみたいなワシだっけ」

「あべこべだ。顔がライオンみたいなワシだ。空を飛ぶんだが、爆風で失速させて落ちたところを斬った。グリフォンはレベル40で、その時、はじめて風魔法と武術を組み合わせた」


 シルヴィが俺の手に視線を落とした。これまで俺のそばにいた時の緊張はきえていた。


「かっこいいわね」

「無職のおっさんは、なにやろうがかっこよくねえよ」


「ううん。かっこいい。すごく。誰も知らないおじさんだけの技。本当の風みたい。誰も気にしないし誰も怖がらないのに、すごく強くて」


 シルヴィが俺に目を合わせた。初めてこいつの笑顔を見た。揺れるまつげの向こうに、純粋さが浮かんでいる。


「風色の武術ね」


 思わず俺は目を伏せて、ぎこちなく頭をかいた。


「おだてんな」

「おだててない」


 シルヴィが俺の手首を取って、自分の手を俺の手の甲に重ねた。植物の香りが鼻に届く。シルヴィの唇が目の前にあった。慌てて腰を引いて座り直した。微笑が変わらず俺の目へまっすぐ向けられている。


 油断していた。ガキだとばかり思っていた。こいつは女なんだ。


 シルヴィは男を知らないと言っていた。まさか最初の相手を俺にするわけにはいかない。いや、最初でなくてもダメだ。こいつの恋愛は自由になってから、自分で選ぶべきだ。たとえ俺に好意を感じたとしても、立場から生まれる関係を受け入れるわけにはいかない。


 咳払いをして話題を変えようとしたが、その前にシルヴィが話を続けた。


「ね、おじさん。これ見て」


 シルヴィは俺の戸惑いを流して自分の麻袋を開け、鎖のついた小さな円錐状の金属を取り出した。


「お守りか?」

「うん。お守り。ペンデュラムね。お父さんがメゾンに帰ってくる時にこれを使えって。地図の上に持ってくると、その上で青く光って右に回るはずなんだけどね。でも今は反応しないな」


「メゾンってガレリア語だよな。故郷とかそんな意味だったか」

「ううん。ただの家っていう意味。でも父さんはあたしたちの家をメゾンって言ってたの」


「ふーん……」

「ガレリアに入ったら、これでお父さん探すんだ。もし仕事が無くなったらあたしのメゾンに来てよ」


「雇ってくれるのか」

「うん。農園やってるはずよ」


「そりゃ楽しそうだな。身分は奴隷でもいいぞ」

「一緒に農家やるの。好きでしょ、スローライフ」


 シルヴィがもう一度笑顔を見せた。今までの俺たちの間にあった空気が徐々に柔らかくなっていった。いろんな話をした。話すたびに、お互いの心がほぐれていくのがわかった。乾燥肉と乾燥人参とオレンジのジャムを食って、顔に食い物がついてるとお互いに言いあった。


 夕暮れにようやく船が港に着いた。俺たちはラクシュの商売道具を乗せた馬車をガラガラと押して降りた。


 ガレリアはもう冬らしくなっていた。雪が薄く積もっている大地で新しい馬をつないで、俺たちは首都ルテティアへ向かった。


 ブドウ園が左右に広がる小道を行く中、手綱をさばきながらラクシュが振り向いた。


「そういやここから東、ベルギリアの退治系ミッションで大金を稼ぐ方法があるよ」


 手綱を持ちながらラクシュが言った。金は必要だからなんの話でも聞きたい。こちらを振り向いて、ネコ娘がニッと歯を見せる。


「知りたい?」

「焦らすな」


「国境近くに、レムリアって大陸を滅ぼした白龍がいるんだ」

「それが?」


「ガレリアの常備軍は隣国ゲルマニアとのにらみ合いに夢中だから、このミッションは冒険者に落ちてる。殺すと英雄になれるってさ」

「いくらになるんだ?」


「最近聞いた単発のミッションでは最高額だよ」

「だからいくらになるんだ?」


「知りたい?」

「焦らすなって」


 ラクシュは頭の上に出た耳を押し込みながらおもむろに懐へ手を入れ、一枚の紙を取りだした。


 【賞金バウンティプログラム】

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 賞金首: ベルギリアの白龍

 LV:  88

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 賞金: 60,000,000Ð

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