第21話 天地へ描く軌跡
目を開けると、隣ではまだシルヴィがペンデュラムを地図の上に垂らしていた。俺は朝メシを宿屋の主人から受け取って、部屋で食事をとった。シルヴィは縮尺の違う地図を何度も入れ替えながら、片手間でパンをかじった。
背中を見るのが辛かった。ペンデュラムはシルヴィが手で動かした以上にはぴくりとも動かないままだ。
「もう出よう」
「もうちょっと」
「ここの主人には午前中に出るって約束してるんだ」
「まだ全部の地図で試してないわ」
「……シルヴィ」
肩に手を当てる。眉を寄せて俺をにらんだが、はあっと息をついて、ペンデュラムを懐に戻した。
「……はいはい。ご主人様のおっしゃることは従いますよ」
「そういう言い方はしないでくれ」
「あれもダメ、これもダメ。お父さんみたい」
シルヴィが不機嫌そうに地図をしまった。不満を受け止めてやりたかったが、それ以上に俺の心臓を突き動かす言葉があった。ペンデュラムはおそらく壊れているのだろう。人探しには金がかかる。だったら……
外に出ると、俺たちは国境へ続く小道を歩く馬車が出る駅へ向かった。そこから三日、乗り換えて一日、さらに一日の徒歩で、例のすみかにつくそうだ。
「おじさん、白龍を見に行くの」
「ああ」
駅の待合室でシルヴィが聞いてきた。
「退治するつもり?」
「わからん」
横切るいくつものたてがみを眺めながら答えた。
「ねえおじさん。何をしたいのかわからないのに白龍を見にいくの?」
「ああ、皿洗いしながら旅行がてらさ。それくらいはいいだろう」
お互いに多くを口にしたが平行線が続くばかりで、会話はそれほど弾みはしなかった。ただ、何年も続いた平坦な生活が終わるような予感があった。錆び付いた機械に油を流し込んだような、不思議な力が体の深い部分を動いている気がした。
年を食うのは恐ろしい。体を弱め、頭を固め、心を冷やす。だが、それを止める方法がある。たった一つだけある。若者だ。隣にいる少女だ。シルヴィが俺に生命力を与えてくれていた。自分の中にため込んだ力が、少しずつ蘇っているように思えた。それは俺にとって大きな救いだった。
やがて、馬車の一つが俺たちの前に止まった。御者が立ち上がって大きな声を出した。
「東の山脈へ行くやつは?」
「二人、頼む」
*
俺たちは再び長い距離を移動した。数日が過ぎて、俺たちは平原の先に広がる畑の真ん中の宿を取った。宿の主人は見るだけなら簡単だと言って、丁寧な地図を書いてくれた。山の中腹にそいつはいる、ということだった。
二人、徒歩で龍のねぐらのそばへ向かった。不自然な風が吹いていた。雪が積もっているのに、その日は妙に暖かかった。南からではなく、東からの風だった。
「霧が濃いわね」
山道を歩く中をシルヴィがつぶやいた時、何かが響いたような気がした。遠く何かが山を巡っている気配だ。
それはいくつも重なり合って、独特な響きを奏でていた。
ひゅん、ひゅん、ひゅん。
そういう音が細かく繰り返されていた。地面が動いているのがわかった。地震ではない。風にあわせて震えている。
彼方を走ったひときわ大きな風が、木々を大きく傾げさせた。霧はその方角から流れていた。
ひゅん、ひゅん、ひゅん。
ひゅん、ひゅん、ひゅん。
視線を上げた。そこで姿の一部が見えた。一直線に太陽へ続く、不自然に高い塔のようだ。
ひゅん、ひゅん、ひゅん。
ひゅん、ひゅん、ひゅん。
上へ、上へ。それは天へ落ちていく滝のように見えた。
「な、なにあれ……」
「お目当てだ」
太陽を背に三重のらせんを描いて、それは天空を縦横に飛び回っていた。雲が晴れて全身が見えてくる。
ひゅん、ひゅん、ひゅん。
ひゅん、ひゅん、ひゅん。
「うっわ……」
シルヴィが呆然と見上げた。雲と雲との間を駆けていた。空に描く絵画のように見えた。
とてつもないでかさだ。頭の大きさだけでも数人分。体長はとてもすぐには測れそうにない。地面から太陽まで。一言でいうと、それが竜の長さだった。
「聞きしに勝る、だな……いや、あれ?」
その威容への驚きに加えて、もう一つ違う思いを抱いた。その姿に重なる記憶があった。
「どうしたのよ?」
「あいつ、見たことがある」
白龍を指さした。レムリア大陸を滅ぼしたという巨大な生物は、間違いなく俺の記憶の中にいた。
「故郷で暴れていた奴だ」
「東にもいたの?」
「にもじゃない。全く同じだ。なんだ。レムリアって
石に腰掛け、ごうごうという斜めに伸びる音を聞いた。高い空の中にヤツの目が見えた。遥か彼方の目が、さらに遥か彼方を見つめていた。大きく息を吸って伸びをする。
「懐かしいな」
ひたいに手をかざして白い姿を見上げる。子供のころ、海の上に見えるたびに感じた雄大な姿が、俺の視線の先にあった。
やがて、そいつは姿勢を傾けると山の頂上から滑り落ちるように着地し、山麓を巻きつくように体を休めた。
胴を追って顔の近くへよってみた。頭の高さは俺の身長の三倍くらいだ。口の先から耳の後ろまでがだいたい槍三本の長さといったところか。静かに飛んでくれるなら頭の上に五人くらいまでは乗れそうな大きさだった。
俺たちは二人で少し大きめの木に登った。耳の後ろからのぞき込むと、両手を広げても収まりそうにない大きな鼓膜が見えた。
太陽がはっきり見えてきたころに、ヤツは山の上に姿を見せた。俺は枝に座ってスケッチを始めた。あまりにもでかすぎて、なかなか構図が決まらなかった。
太陽が山の上にはっきりと出た時、ヤツはそのまぶたを持ち上げた。大きな馬車の車輪ほどもありそうな目は鈍い黄色に光っている。悠々と長いひげを揺らしながら、その頭が動いた。
木々を倒しながら、ヤツは太陽へ動いた。虹色の鱗はそれだけでも俺の身長くらいあった。皮膚に密着しているわけではなく、体の動きに合わせてそれは開閉するように波打っていた。
「間違いないな。やっぱり見たことがある」
「見たことがあるって、東の戦争のころに?」
「そうだな。その少し前だ。ジャパニアから海を隔てたところにフダラクって大陸があった。それを沈めたのがあいつさ。フダラク民が俺のいた国になだれ込んできて、殺しあったのが氷河戦争だ。防衛のために氷河の呪術を全国に巡らせたんだが、戦争でみんな懐まで寒くなるオマケがついた」
俺は枝の上に座った。シルヴィも横に腰かけた。
「氷河戦争って、ジャパニアが攻めたわけじゃなかったのね」
「内戦さ。ただ、あの国は年寄りが多くて若いやつが少なかったから、幕府……まあ領主たちはこっそり移民を歓迎してたのよ。そのせいで若くて健康で貧乏な奴らが派遣されて、死ぬまですりつぶされた」
「……ねえ、おじさん。なにを考えてるの?」
「おまえの予想通りだよ」
俺の腕をシルヴィが捕まえた。
「あわわ、なにする。おっこちるじゃねえか」
「こっちを向いて!」
シルヴィが俺の両肩をつかんだ。赤い瞳の中に俺の顔が映っていた。
「おじさん」
「ああ」
「やりすぎよ」
「まあ、そうかもな」
「討伐隊に参加するってことね?」
「いや」
「じゃあ」
「そうさ」
「はっきり言って。はっきり言ってくれなきゃわかんない」
「いいとも」
答えて、俺は解析のスクロールを放り投げた。白龍のステータスが宙に映し出される。これまでの連中なんか目じゃない。ものすごい数字が並んでいた。
決意は変わらなかった。凍りそうな気温の中で遠ざかる姿を見送る。螺旋を描く美しい背中に、俺は初めてこの国へ来てよかったという思いを感じた。天地を巡る姿へ指をさして、俺は風に答えを乗せた。
「俺ひとりでヤツを殺して、討伐の賞金七千万ダカットをいただく」
【ステータス】
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種族: ティエンルン
分類: 龍神
LV: 88
称号: レムリアを滅ぼした白龍
属性: 天
状態: 大悟
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HP: 6692/6692
MP: 5930/5930
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攻撃: 8960
守備: 3149
敏捷: 2290
魔術: 16593
信仰: 0
技術: 7749
運勢: 10242
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武器: なし
防具: なし
財産: 0 Ɖ
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スキル
全体攻撃(常時)
飛翔(常時)
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