第33話 袋の底の光
「おじさん、痛いよ」
言われて、シルヴィの手首を引っ張っていることに気がついた。しまったと手を離す。シルヴィは少しだけむくれて俺の横を歩いたが、ふっと俺の顔をみつめると、へへっと笑って俺の肩に手を乗せた。
「……なんだよ」
不機嫌を隠さずに聞いた。
「一文無しになっちゃったね」
「金は絶対に作るよ。お前の親父が見つかるまでな」
それを聞くと、シルヴィはもう一度笑った。何がおかしいのかと思ったが、本当に笑ってるようだ。
「いいんだ」
シルヴィが歯を見せて明るい笑顔のまま、そう続けた。
「もういいんだ。おじさんもあたしも無事だしさ」
「よかねえだろ」
「生きてりゃいろんなことがあるよ。ノンビリやろうよ、ご主人」
「その言い方はやめてくれ」
シルヴィがもう一度笑った。
「かたいなあ」
「お前には悔しさはねぇのかよ!」
大声を出してから、あわててしまったと思った。これじゃ八つ当たりだ。思って口を押えたが、シルヴィは気にせず笑ったままだ。
「あんまないな。ないよ。んー、なんでかなあ……こんなにがんばってる人見たことなかったからよ。きっと」
「なんの話だよ」
「格好良かったのよ。あたしのこともだし、見ず知らずの人も、自分のことも、いろんなことを大事にしてて。王様相手にも堂々としてさ。すごく格好良かったの」
「結果がついてこなけりゃただの無駄骨だ」
「そんなことないわよ。あたしには」
なにかを答えようとしたとき、後ろからドンドンと勢いよく足音が聞こえた。追っ手を出したのかと懐に手を入れたが、振り返ると歩竜が一頭。キッカだ。久々に見た顔だった。
「おおい!」
キッカが降りた。馬の倍くらいありそうな歩竜をとめる。パウロは俺をぶすっとにらみつけてから目を閉じ、キッカの後ろに隠れた。
「なんだ?」
「間に合ってよかった。今朝方、賞金は出さないとか閣僚が話してるのを聞いてさ。慌てて手続きして来たんだ」
一枚の丸めた紙が紐で縛ってある。
「なにかくれるのか」
「キミのじゃないな」
横を見たが、シルヴィも不思議そうな顔をしている。
「シルヴィ君。もらってよ」
赤毛が紙を開いた。賞状のような紙をじっと見つめている。そして、はっとおどろいてキッカを見た。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
奴隷解放状
氏名:シルヴィ・オッフェンバック
シルヴィ・オッフェンバック(以下甲)
とダン・ゴヤ(以下乙)について、甲は
今後、乙からの主従関係より解放され、
平民の身分となり、いかなる隷属関係も
持たないものとする。
以上、本解放の成立を証するため本書
一通を作成し、その魔力により甲の隷属
を保証する拘束具を破壊することにより、
本書の効力を示したものとして、本書は
灰塵に帰して消滅する。
ガレリア国王レイモン二世
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「あたしの解放状だ」
「その通り」
驚いてキッカに聞いた。
「どういう意味だ?」
「だって事情、聞いちゃったからなぁ。シルヴィちゃんの解放と父親捜しが目的。一回も手は出さなかったし、何があっても守り切ってきて。ちょっと憧れちゃうよね」
「俺が聞いてるのは、どうしてお前がこいつの解放状を持ってるのかだ」
「解放状は実際の取引があったかに関わらず、解放税三〇万ダカットを役所へ支払えば無条件で発行してもらえる。法律でそうなってる」
「その金をどうやって工面した」
「さびしい独り者には多少の貯金があってねぇ」
「あんたにとっても一月分の給料だ」
「つまりまあ、そのくらいはあるってことだよ」
メガネの奥が細くなる。しっかりとした視線だ。俺のいらだった態度を抑えこむようにキッカが続けた。
「見ず知らずの相手になんのつもりだ?」
「いいや」
キッカがゲンコツを作って、こつんと俺の胸板に当てた。
「見ず知らずじゃないぞ。よく見て、よく知ってるよ。格好よかったよ、ヒーロー君。あんな怪物を相手に、ひとつの国もひとりの女の子も救ってさ。あれは人生にそう何度も見られるシーンじゃない。特等席で見られて光栄だった……」
「だからって」
言いかけた俺の唇に、キッカが人差し指を縦に押し付けた。
「王様も大臣も、本当のことは知らないけどさ。ボクだけはキミたちの事を知ってる。嬉しいよ。ボカぁガレリアを救う偉業の目撃者になったんだ。国家の臣民を守る身として、こんなに名誉なことはない。このお金は得がたい経験に支払った、ボクなりの誠意なんだ」
「……受け取っていいのか」
「キミにじゃないね。解放状はシルヴィ君のだ」
そのセリフが決定打だった。深く礼を言って書類をシルヴィに渡した。キッカが満足そうに目を細める。それからシルヴィの頭をひきよせると、素早くその額にキスをした。
「ひあっ?」
驚いてシルヴィが顔を赤らめた。俺まで一緒に固まった。
「唇はほかの人に渡してくれ。これは別れのキスだよ」
キッカが俺のほうを向いて、俺にだけ見えるように片目を閉じた。これは騎士の礼節という奴だろうか? いや、なんというか、ちがう気もする。
「お前……俺にはキスすんなよ」
「は? するわけないだろ」
気持ち悪そうに体をひいた。
「えっ、なんでよ?」
「男とはしない。当たり前だろ」
さらりと言われた。この美貌で独り身。この口調。女同士でキス。なんだろう。いろいろ考えてしまうが、そうしても得も損もなさそうだ。積極的に忘れることにした。
「それじゃ二人とも。解放されてからも仲良くね」
ひらりとキッカが竜に乗った。
「な、仲良くってなんですか?」
「なにって? 言葉の通り、そのまんまの意味だけど?」
手綱をとって女騎士は城へ戻る。なんかいろんな意味でほっとした。
ふうっと小さく息を吐いてから、俺たちは二人、ポカンとして草原に立って向かいあった。
「まあじゃあ、とにかく取っちまうか、こんなもん」
シルヴィの首輪を指で弾きながら言った。
「でも本当にいいの?」
「そりゃそうだ」
解放状を開き、それを朗読する。羊皮紙から鋭い光が首輪に放たれる。パンという軽快な音を立てて、武骨な首輪は木っ端みじんに地面へ落ち、解放状もさらさらと灰になって消えた。
「解放おめでとう」
「……うーん」
シルヴィはまだ複雑そうだ。
「なんだよ、もう少し喜べばいいのに」
「いやなんか、あっさりだなって。それにこれだけが目的じゃないしさ」
それもそうか。
*
俺たちはとぼとぼだだっぴろい平野を歩いた。なんだか妙にさびしかった。白龍を倒すために知恵をしぼりだしていたあの時間が懐かしいくらいだった。そんな事をこぼすと、シルヴィもそうだねと答えた。
黒い土に夕闇がせまってくるころ、俺たちは安そうな宿にはいった。客は俺たちだけで、夜になると、亭主は自宅に戻ると言って鍵だけを渡された。簡素なベッドが二つ、電球が一つ。それ以外に何もなかった。
「寝るか」
「うん」
ぎこちなく明かりを消した。シルヴィが寝返りを打つ。俺たちは二人で向きあった。
「なんか変な気分だな」
「そうね。よく生き残ったわよね」
「ラクシュに礼言わないとな」
「そうね。あとキッカさんにもなんかお返ししよう」
「しっかりしてんなあ」
「当たり前でしょ」
「ウォンには?」
「……あの人はいらない」
「あいつ、白龍がガレリア滅ぼすかもって知らないままなんだよな」
「説明しなかったの?」
「してない。してたらオサフネくらいは貸してくれたかもしれん」
「借りればよかったじゃない」
「あんなもん、二度と見たくねえ」
俺たちはそれぞれのベッドの上で笑った。それからにっこりと笑って、シルヴィがつぶやいた。
「ね、おじさん。お父さんが見つからなかったらお父さんになってよ」
「なんだそりゃ」
横を見ると、シルヴィの笑顔が俺に向いていた。
「あたし、おじさんと会ってからね、怖い夢見てないの。嫌な夢も。ランズマーク家にいたころは毎日だったのに」
「いやま、そりゃ嬉しいけどよ。他人が親父になれねえだろ」
「いいのよ」
「いいかあ?」
「もっと早く、そう言っても良かったな」
「うーん……」
「お父さん、ずっと一緒にいてね」
「なんだよ、そりゃ……」
ぎこちなく答えて寝返った。なんだか恥ずかしくて、同行者の顔を見られなかった。
何度か目を開けたり閉じたりした。なかなか眠れなかった。ぼうっとこれまでのことを考えていくうちに、なんとなくまぶたが熱くなって、袖で目をこすって、そして自分が泣いているのに気がついた。
小さな声で、ちくしょうとつぶやいた。びた一文手に入らなかったのだ。考えるとどんどん涙があふれてきた。バカにされようが怪我だらけになろうが、一度も出なかった涙が。
なんて能無しだ。
なんて無力なんだ。
どんな化け物でも殺せるのに、こんなガキ一人幸せにできないのか。
布で目をふこうと、体を起こして背負い袋を見た。
その涙ににじんだ俺の目に、なにかの光が入ってきた。暗い部屋の隅でシルヴィの荷物が鈍く光っている。燃えやすいものに火でもついたかと、思わず体を起こした。
「なに?」
シルヴィも体を起こして、その光に気がついたようだ。俺はナップザックを椅子の上に置いて開いた。
「キッカがなんか突っ込んだのかな」
「まさか。そんなことしてたら気がつくでしょ」
「じゃあなんだ?」
「知らないわよ。おじさんでしょ」
「俺も知らねえよ……」
そこまで言って、不意に思いだした。
『ペンデュラムが青い光を出して位置を示してくれるはずなのに』
光の色は鮮やかな青だ。
「……ペンデュラムか?」
「え……?」
シルヴィが戸惑いながら俺の顔を見た。
「ペンデュラムはマナがある場所で動く。ここにはマナがあるんだ」
「なんで突然?」
この宿になにか。そんなはずはない。じゃあ、マナが生まれる理由でもあるだろうか。何かの事件? 出来事? いや……
「マナは……白龍が使っていた……そいつは……俺が倒した……」
がさがさと袋をまさぐった。中身を部屋へ放り出す。底のペンデュラムをつかみ出して鎖をつまんだ。
「青い光だぞ」
蛍のようだった。日が沈んでいく部屋の中で、それは力も入れていないのにふらりふらりと揺れ、ある方角へひきよせられていた。
「シルヴィ! ランプつけろ!」
ペンデュラムを広げた地図の上に吊った。震える手でランプを引き寄せる。明かりの下、少しずつ移動させた。右へ、左へ、前へ、後ろへ。
そしてガレリア全土を示す地図の中の小さな村の上で、それはくるくると右回りに動き出した。
「トランサルピナ村」
「ここからどのくらいかしら」
どちらも声が震えていた。
「地図は二〇万分の一。間はずっと平野だ。俺たちの足なら三日だ」
「たった三日?」
「そうだ。たった三日だ」
顔を上げた。シルヴィの瞳が目の前にあった。
夢だろうか?
神様が俺の努力を認めてくれたのだろうか?
油が切れて、部屋が暗くなった。部屋に光っているのは再び、ぼうっと光る青だけになった。
「私たちのメゾン!」
柔らかい香りが俺の口に押し付けられた。細い両手が俺の背中に回った。
たどたどしく少女の体をひきよせた。細い体だった。こんなに細い体で、今までついてきてくれたんだ。
震える肩に柔らかい背中。涙が髭に引っかかりながら落ちていく。今までの日々が、その中に溶けていった。
おめでとう、シルヴィ。
思った通り、親父に会えるよ。
【道具】
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名称: 望郷のペンデュラム
効果: 目的地の位置情報を示す
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