第34話 就職
一か月が過ぎた。
俺はルテティアの酒場でたらふく飯を食って、カネがなくなっていた。どうしていつもこんなに食ってしまうんだろう。不思議だ。ランズマーク領よりもメシが美味いのがいけない。
あまりにも食うせいで日銭がそろそろつきそうだ。また楽にぼろもうけする方法を考えよう。
思いながら隣の椅子へ目を向けた。キッカがいる。
「食べ終わったようなので五度目の依頼に入りましょうかね。今度はすごいよ。武術師範に加えて軍監として雇いたいって。給料は月に八〇万ダカット」
「お仕事ご苦労様です。お断りします」
視線を手元に戻した。作りかけのブレスレットにヤスリをかけながら答えた。俺のような偉大なイケメンにはこういう細やかなことも思いのままなのだ。
「粘るねえ」
「どれだけ上げられても行かねえよ。役人はできねえ。性分じゃねえんだよ」
というよりも、そもそもこの街から離れたほうがいいかもしれないとまで思っている。それはあの時からわかっていた。
小鳥の横顔を彫りながら、俺はペンデュラムの示すところへ到着した日を思いだしていた。シルヴィに、あの人かなと指をさした日だ。
丘の上の木造の家の脇で、灰色の髪の男は農具を置いて休んでいた。シルヴィに声をかける前に、その細い指はペンデュラムを投げ捨てていた。草原の中に足跡が生まれていった。跳ねる赤いツインテールに、彼方の男もすぐに気がついた。目を凝らし、戸惑いながら娘へ向けて歩み寄っていく。二人が少しだけ会話をかわして、そして抱き合った。それを見て、もう俺はこの舞台の登場人物ではないとはっきりわかった。
『いい三か月だったよ』と書き残して地面に置くと、文鎮代わりにシルヴィのナイフを刺した。そして俺はソロへ戻った。前と同じ日々に。
シルヴィが父親に会う前、俺が一番心配していたのが、死んでいたり、別の家族がいるのではないかということだった。珍しいことではないが、シルヴィがどう受け取るかは別だ。その時は、家族のいない俺にはシルヴィにかける言葉がないかもと思っていた。
親父がひとりで生活している様子を見た時には、ほっと肩の力が抜け、仕事を完全にやり遂げた安心感があった。寂しくはあったが、それでも満足だ。生きていて、何かをやり切ったと思えたことは多くない。俺の人生でも珍しい、充実した価値ある時間だった。
回想を終えた頃に、ブレスレットもできあがった。ネックレスと指輪も作ったし、次はナイフの柄でも作るかな。
こんなおもちゃなんか作っていると、あんな農園で落ち着いて気楽な生活を過ごしたいと思うこともある。でも結局俺はこの日雇いの生活から離れることはないし、どこかのダンジョンで野垂れ死ぬか、何かの戦争で討ち死にするかだろう。
まあ仕方ない。他の英雄だって、みんな最期はそんな感じだ。それまでつまらん毎日でも過ごすか。
思って腰を上げた正面に、ラクシュの顔がでてきた。
「おひさー。またキッカさんとデートなの?」
いつものわざとらしい笑顔だ。キッカが眉を寄せて抗議した。
「誤解をまねく表現だなあ。ボカぁおっさんは趣味じゃないんだよ。宮仕えでしょうがなく、人材発掘のお仕事さ」
「だよね。そうでなきゃ困るし」
ひらりと何かを持っている。
「なんだ」
「なんだとはなにかね。依頼だよ」
「俺への? それをなんでお前が持ってんの?」
「ちと準備が必要だったからね」
「誰から」
「オッフェンバック家の
「へえ?」
封をした簡素な包みを手に取った。ガサガサと開けると、中にはペンデュラムが入っていた。
「シルヴィが持ってたのと同じ奴だな」
「そだよ」
ラクシュはなぜか嬉しそうに俺がペンデュラムを持つのを待っている。
「要件はなんだ?」
「もう伝えたよ」
吊ったペンデュラムは、前と同じようにシルヴィの家を向いていた。
「これ、シルヴィのじゃないか」
「だからそうだってば」
あれこれ考えて、そしてだんだん意味がわかってきた。オッフェンバックってのはシルヴィの苗字だ。
「シルヴィの家に行けってのか?」
「そんなこと言ってないよ? 行かなくてもいいんじゃない? 個人の自由だし。人の考え方はそれぞれだし。愛している人もそれぞれだし」
オッフェンバック家の婿取り。婿って誰だ。立ち上がった。ラクシュが笑っている。ペンデュラムが大きく揺れている。酒場の外へ向けて。
表へ出ようとドアのノブを押した。
「なにその顔」
目の前に、赤毛のツインテールが揺れて苦笑していた。なぜか着飾っている。
「おまえ、親父は……」
「一緒に暮らしてるわ。幸せよ。農業してるけど、腰が痛くて若い人がいればなあって言ってるわ」
「いや、その、それは雇えよ」
「今日はあたしの誕生日なんだ。知らないと思うけど、ガレリアの法律では、十八歳から結婚できるんだって」
「は?」
「ようやく覚悟決めたのよ。だからあとはそっち。いやなの?」
「いやって……?」
「いやなの?」
ラクシュが横からわき腹を突っついて言う。
「いやなの?」
キッカまでが俺の後頭部を小突いて言った。
「いや、その、いやってわけじゃなくて」
振り返るなり、二人が交互に大声を上げた。
「いいそうです!」
「これはめでたい!」
それを聞くなり、酒場の連中が大歓声と同時に立ち上がった。
「おめでとう!」
「おめでとう!」
俺の頭に酒が降り注いで、いたるところでバクチクが鳴り響いた。
なんだこりゃ。今日に限ってキッカが話を引き延ばしてたの、このためか?
「はい読む!」
キッカが俺に何かの紙を渡してきた。
「ダン・ゴヤはここにシルヴィ・オッフェンバックを生涯の伴侶として愛し……おいなんだこれ」
振り向いたら今度はラクシュが花束を渡してきた。
「はい渡す!」
巨大な花束を顔に押し付けられる。
「こっちのなんだかわからんおっさん手製のプレゼントも渡しとけ!」
俺が作ったアクセサリーもいつのまにか箱に入っていた。たしかにシルヴィのサイズではあるけど、郵送とかで渡せばいいって思ってたのに。
「あたしにくれるの? うれしい! ありがとう!」
シルヴィがそれをさっと受け取る。
「おい、おまえら」
「さっさと行け!」
ラクシュが俺の尻を蹴っ飛ばした。
「俺の気持ちはどうなるんだ?」
「キミの気持ちをここまで手間暇かけて理解してやったんだぞ! 観念してもう認めろよ!」
キッカが俺の背中に体当たりをくらわした。いてえよ。外には馬車。その上にこの前見た初老の男が立っている。灰色の髪に灰色の髭、満面の笑顔。しっかりした体つきで、腰なんか全く悪そうに見えない。
「花嫁の父です。娘をどうぞよろしく。若い働き手が来てくれて助かります」
めちゃくちゃだ。なんだこれ。
「さ、行こう」
シルヴィが俺の手を引いた。花が敷き詰められた幌のない荷台に乗る。待っていましたとばかりに馬車が動き始めた。
ごとん、ごとん。俺たち三人以外に、馬車には牧師が乗っていた。二個の指輪を持っている。
酒場にいた野次馬がみんなで俺に手を振っている。シルヴィが荷台に立ち上がって手を振りかえした。つられて俺も小さく手を振る。それをぱしっと捕まえられた。
「ね、おじさん」
「な、なんだよ?」
「本当のご主人だね」
「いや、ちょっとまってくれよ」
「まちません」
シルヴィが唇を押しつけて俺を黙らせた。ヒゲをそっておけばよかったとか、歯くらい磨かせろとか、いろんな事を言おうとしたが、何も言葉が出てこない。
ピロロンと頭の上で変な音が聞こえた。なんか一度だけ聞いたことがある。転職したのか。もう無職じゃなくなったのか。でもなにに転職したんだろう。
いいやもうなんでも。
無職中年の放浪記はこれで終わりだ。この先なにがあっても、そいつは別の話だ。別の語り手に続けてもらおう。
【ステータス】
-------------------------------------------
名前: ダン・ゴヤ
LV: 1
年齢: 35
種族: 人間
身分: 平民
職業: 農夫(非戦闘職)
属性: 風
状態: 幸福
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※ 戦闘ステータス全削除
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