第15話 大刀の行方
やけに長く感じる休憩時間だった。闘技場ではダンスやら歌やら、わけのわからない癇にさわる音を立てている。シルヴィは通路の椅子にかけて集中していた。不意に、ラクシュが話しかけてきた。
「ねえダン」
「あ?」
「あんたなんでシルヴィちゃん召しかかえたの?」
「こんな時になに言ってんだよ」
「そのまんまの意味だよ。どう思ってんのかって聞いてるの」
「ガレリアの親父に会わせてやりたいからさ」
「それから?」
「ほかになんもねえよ、それだけさ」
適当にあしらって、シルヴィに目を向けた。じっと下を見て黙っている。コボルトに襲われた時、宝箱を抱えて親父のことをつぶやいた時と同じ姿勢だった。
シルヴィを見つめるわずかな時間に、不意に現実が遠ざかっていくような気がした。最近はずっと考えていなかった、過去のことが目の前にうかんだ。
十五の時。行商人だった俺の親父は肺炎をこじらせ、敗血症にかかっていた。医者に長くないと言われ、焦った俺は、隣町から高い薬を盗んできた。後にも先にも、人のものを悪いとわかって奪ったのはこの一度だけだった。
『この薬は俺たちが稼いで買ったものじゃない。父さんがこれをもらうわけにはいかない』
親父はそう言って薬を受け取らなかったが、俺を叱りつけはしなかった。目じりのしわを浮き立たせて、笑顔で俺の頭をなでた。
『でもな、嬉しいよ、悟也。最高の息子だ。自慢の息子だ。一番の息子だ。いい人生をすごせたよ。かけがえのない時間を。誰よりもいい子に恵まれたからな』
がりがりに細くなった腕で俺を抱きしめ、何度もそう繰り返した。その夜、最後まで笑顔のまま、親父は地平線の向こうに行った。
辛いことはあった。ろくでもない奴に酷い目にもあわされた。だが、その度に俺を支えてくれたのが、自分は親父に大事にされたという思いだった。何も持っていない俺にとっての、たった一つの幸福で、たった一つの自信だった。どうしても、あいつにそれを知ってほしい。コボルトの時はほとんど反射的にだったが、今ははっきりわかる。
シルヴィが立ち上がり、軽くうがいをして土の上に吐き捨てる。次の試合だ。
「なんかしらあるんだろうねえ。誰もが」
ラクシュが言ったが、上の空だったせいで頭が回らなかった。
「なんの話だったかな」
べっつにー、とラクシュが前を向く。少し遅れて露出の高い女たちが闘技場から去り、わざとらしく抑揚をつけた声が拡声魔法に乗ってきた。
現実に頭が引き戻され、そして次の一言で、完全に頭が今いる場所に引き戻された。
「さあさあ、次の相手はまたも美少女の宿敵、オークロード! つかまっちゃったらあんなことやこんなことまでされちゃうかも! シルヴィちゃん、今度こそピンチかなあ?」
頭に血がのぼり、思わず石畳を蹴って立った。
「なんだおい!」
叫んだが、俺の声は喧騒の中にたちまち溶けていった。でっぷりと太ったブタの顔。毛深い手はロープとイバラの鞭をつかんでいる。
オークというのはコボルトと同様に山野に住む人型の種族で、しばしば女をさらっては強姦して殺す怪物として
「ふざけんなよ! こんなもん公営の風俗じゃねえか!」
金網を握りしめて怒鳴ったが、歓声がそれをかき消した。
革鎧をつけた豚の魔物はシルヴィの倍くらいある。よだれを流しながら
シルヴィは一度肩を回してから、矢を二本持って小走りに間合いを取り始めた。
「あらー、これはこれは。大丈夫かねえ」
ラクシュがわざとらしくつぶやいた。頭にきてにらみ返したが、どこか白けた顔のままネコ娘はしゃべるのをやめない。
「シルヴィちゃん、ヤられちゃうかもねー」
「そんなわけねえだろ。麻痺玉とオサフネの小太刀がありゃあ倒せる。おまえが言ってたろ」
「ずいぶんムキになりますなあ」
「ごちゃごちゃうるせえよ!」
ラクシュが突きだした首をひっこめる。なにを言いたいんだこいつは。
試合開始の笛が鳴り、オークが一直線にシルヴィへ走りこんできた。すぐさまシルヴィが弓をひいたが、一矢目は固い亜人の頭骨にはじき返された。
二の矢を射たが、これも分厚い肩に命中して
「あぶねえっ!」
思わず叫んだ。鞭には刀に巻きつけて奪う技術がある。幸い、シルヴィの防御が間にあった。エルフらしさを感じさせる柔軟な受けで、鞭を軽やかに弾いた。
ブタ人間の武器がバツッと音を立てて切れた。オサフネにはダメージはない。鞭を捨てて短刀を抜こうとする豚の顔に向けて、シルヴィが麻痺玉を投げつけた。
「やった!」
声が喉からこぼれた。オークの目はぎょろりと上へもちあがり、金縛りにあったように膝をピンと伸ばしている。シルヴィが横なぎに大きくオサフネを振った。亜人の膝の裏側から腱を断ち切り、オークが横倒しに崩れる。
シルヴィはオサフネを鞘に戻し、離れてから落ち着いて弓を引き絞った。十分に狙いを定めた矢が、目玉の下から脳へ突き抜ける。豚は両手を縮めて痙攣させ、やがて泡を吹いて動かなくなった。
「それまでっ!」
高い声が試合を止めた。何人かが駆けより、担架にオークを乗せる。
「すぐに死ぬな。墓場いきだ」
ふと、相手が運ばれた先に目を凝らした。担架のむこうに見覚えのあった。オサフネを貸すといった、あの露天商だ。長髪に細目にわざとらしい笑顔。忘れるわけがない。
「あいつだ。あの野郎だ」
「あら、どしたの」
ラクシュに答えている暇はなかった。そいつは来賓席で座りながら寝ている代官の隣に控えている。そばにいるのだから、間違いなく仲間なんだろう。
「俺たちをはめた奴だ」
「アサフューンを貸したって人?」
「間違いねえ。あの野郎、やっぱり出来レース組んでやがったんだ」
「ねえダンさあ」
「ああ?」
「もういいじゃない」
「なにが」
「誰に騙されたとか、これが見世物だとか、もういいじゃない。こんなとこの市民権もらってもしょうがないよ。それにそろそろ、次に何が起きるとか想像つかない?」
「いや、そりゃ次も勝ちゃいいのはわかるけどよ」
「ええ……?」
ラクシュはなぜか白けた目を大きく眉を寄せている。シルヴィに回復魔法がかけられた。特に問題はなさそうだ。これで最後まで乗り切ればそれはそれで結構だ。勝てば官軍というのもなんだが、こういう結末もありだろう。
思った瞬間に、アナウンスが響いた。
「それでは最後の試合でーす! 最後は実力派のリザードマン! ここまで来たんだから有終の美を飾ってね! さあシルヴィちゃんに大きな拍手を!」
やっぱりリザードマンか。なんとかなるだろう。最初は悪趣味な見世物だと思ったが、結局のところ、これはお遊びみたいなものなんだ。あんまり頭に血をのぼらせることもなかった。最後くらい気を落ちつかせよう。
どっかりと背もたれに体を預けて反対側を見た。そんなに大柄というわけでもなく、前のコボルトみたいな異様な特徴もない、普通のトカゲ野郎だ。
ほっと息をついて、中央へ向かうシルヴィを見た。なぜか、その顔が真っ青になっている。
なんだと思って相手を見た。どうみてもよく見た魔物だ。ラクシュが、はーっとため息をついた。
「ほらほらねー」
「なにが?」
「やっぱりこういうことしてくるんだよ。このままじゃ殺されるって言ったでしょ。麻痺玉はただの保険だよ。それより、ダンにもう少し考えてほしかったんだけどなあ」
「だから何が」
「リザードマンが持ってるの、なんでしょうか」
トカゲの武器は俺から見えない角度の手に握られていたが、その手を前に出した時、ようやく意味が分かった。
リザードマンが構えたのは大刀のオサフネだ。
「おい、なんだこれ」
つぶやいたときに試合が始まった。
シルヴィは接近戦を避け、徹底して弓の勝負にしようと間合いを取ったが、その矢は三本とも刀に落とされた。
これ以上は無駄とシルヴィが小太刀を構えたが、そもそも同じ剣の大小だ。シルヴィとリザードマンのレベルの差にオサフネの差まで加わっている。
麻痺玉をかけて一撃で斬り殺せば。そう思ったが、先手はすでにシルヴィがとってしまっている。リザードマンの足は速い。この世界の戦法だと、次は相手のターンだ。
リザードマンは足がすくんでいるシルヴィの弓をやすやすと弾き飛ばし、同じ一撃で胸当てを切り裂いた。懐の麻痺玉がすっとんで転がった。
客席から卑猥なヤジが響いた。胸当ての奥の服まで一緒に引き裂いていたが、肌は切れていない。スキルの差がこれだけあれば難しくないんだろう。
「あーあ。これは無理ですねえ。楽しいショータイムになっちゃいますねー」
ラクシュがにやにやと俺の横から声をかける。
「さっきからなんなんだてめえは!」
「えー、八つ当たりですかー? 怒る相手は向こう側だと思うんですけどー?」
言いかえす気にもならなかった。
シルヴィは恐怖で座りこみ、刀を握った両手を震わせて失禁している。観客がそれをみてさらに卑猥な声をだした。
「ふざけてるとしか思えねえ」
「全然ふざけてませんよ。みんな大喜びしてるじゃない。これから美少女の楽しいストリップとなぶり殺しの時間だもん。片っ方にエロくて楽しいことが片っ方に地獄なんて、どこでもある話ですけどねえ。毎晩自分だけ楽しんでないで、少しはおすそ分けしてあげたら?」
「もういい」
ラクシュを押しのけて椅子に飛びのり、背もたれを蹴って跳んだ。俺の脚に高い鉄条網を越える力はない。大きくのけぞって、自分の背中へ魔法を叩きこんだ。
「
【ステータス】
--------------------------------------------------------
種族: オークロード
分類: 亜人族
LV: 16
属性: 大地
状態: 死亡
--------------------------------------------------------
HP: 0/128
MP: 11/11
--------------------------------------------------------
攻撃: 126
守備: 133
敏捷: 52
魔術: 9
信仰: 4
技術: 74
運勢: 44
--------------------------------------------------------
武器: イバラ鞭
防具: 亜人の胴当て
財産: 1,399 Ɖ
--------------------------------------------------------
スキル
ふりまわし(3HP)
あばれまわり(5HP)
獣の性欲(9HP)
--------------------------------------------------------
【ステータス】
--------------------------------------------------------
種族: リザードマン
分類: 獣人族
LV: 21
属性: 水
状態: 狂奔
--------------------------------------------------------
HP: 166/166
MP: 30/30
--------------------------------------------------------
攻撃: 665
守備: 129
敏捷: 152
魔術: 89
信仰: 40
技術: 101
運勢: 56
--------------------------------------------------------
武器: オサフネの大刀
防具: 皮の胸当て
財産: 3,549 Ɖ
--------------------------------------------------------
スキル
かみつき(3HP)
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