第35話 アイノ、カタチ

 何も見えなかった。音も、ない。

 ふわりと柔らかくて、暖かなモノに包まれている感覚。


 他の感覚は一切ない。


 全てが曖昧な、夢の中のように。



 ただ、その優しく抱かれるような感覚だけを感じとる。

 皮膚から伝わってくる感覚じゃなく、直に心が受け止めている。


 おかしな感覚。


 互いを遮る肉体という境界を越えて、直に内側で感じ合う。



 けれどこの感覚、何故か懐かしい。俺は、この暖かさを知ってる。

 余す事のない優しさと慈しみを与えてくれる。けれどその温もりは、俺にその見返りを何も求めない。

 俺はこの優しさを知っていた。遠い時間の向こうに、置き去りにしてしまったけれど。


 ……違う。手離したくて置き去りたんじゃない。本当はもっと、ずっとずっと傍に居たかったんだ。


 消えた筈の温もり。奪われてしまった、優しくて穏やかな時間。




 母さん……? 父さん……?



 尋ねた瞬間、温もりは儚い夢のようにほどけた。

 俺はその温もりを必死に追いかけた。けど追いすがる間もなく、すでに見失っていた。


 置き去りにされた小さな子供のように、俺は空間の中に放り出された。

 放り出されたその場所は、果てしない感情の波で溢れていた。


 誰のものとも知れない膨大な数の感情が、俺の内側を突き抜けていく。

 心が捻切れそうな苦しみ、続く未来すら捨て去ってしまいたくなる程の哀しみ、自分自身すら傷つけたくなるような絶望、そして泥のような憎しみ。


 そんな負の感情が、濁流のような勢いで渦を巻く。


 無数の人間の感情。星の数程に溢れる感情。

 行き先を見失った、とどまる事のない感情。



 醜く腫れ上がった感情。けれどその始まりにあるのは、全て同じ感情。





 愛。




 愛するという感情。



 誰かを愛し、止めどない感情が行く宛をなくし、やがてカタチを変えていく。

 人間の最も汚れた感情に堕ちた、その末路のカタチがこうして渦巻いている。


 けれどここに溢れているのは、紛れもなく愛。全て、愛。愛そのもの。


 ここは、愛に満ち溢れていた。



 恋する心だけが、愛じゃない。


 溢れ返る愛の渦の中で、俺は気づいた。




 ミシャの砂の中にとどまっていた無数の愛という感情が、今解放されている。

 砂粒にカタチを変えていた愛が、今銀河に解き放たれていく。




 ミシャ。


 あの星をかたどっていたものは、愛する感情の結晶。

 行き場をなくした愛、届く事のない愛の感情が寄り集まり、ミシャという幻の星を造り上げていた。


 そしてクピトは、その中でも最も純粋で貴い感情の結晶。



 ラオン、お前が俺に渡そうとしていたクピトは、誰の愛の結晶だったんだ?


 クピトがほどけて溶けた瞬間、俺は感じたんだ。

 慈しみ、果てのない程の愛情を。


 俺が、ずっと欲しかったもの。手が届かないくらい、遠く離れてしまったもの。

 遠く、遠く、彼方の宇宙の果てに。

 いつか、取り戻しに行こうと決めていたもの。



 お前が俺に渡そうとしていたのは、俺の両親の愛情の結晶だったんだろ?




 俺は、切ない程に満たされていた。





        to be continue




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る