第15話 晴れない心
ターサは俺が叫んだ理由も判らず、写真集を開いたまま眼を丸くしていた。
「何だお前ら、喧嘩か?」
運び屋のおっさんが、面白半分に声をかけてくる。
「違うよ、何か知らないけど兄ちゃんが勝手に苛ついてんだよ」
ターサが、自分には全く非がない事を弁解する。俺だけが、まだすっきりしない
「何だあソモル! 朝から欲求不満なのかあ、お前はあ」
おっさんが俺の肩に太い腕を絡め、ニタニタしながらからかってくる。息がやたらと煙草臭い。
「そんなんじゃねぇよ!」
邪魔なおっさんの手を払い除けようとしたが、執拗に絡み付いて離れない。
「確かに仕事なんかしてるよりも女の子とイチャついてた方がずっと楽しい。判るぜえ~! けどな、人生時には我慢も必要なんだ」
おっさんがうんうん頷きながら、見当違いの説得をしてくる。余計に気分が拗れてきた。
「もういいよ!」
俺は無理矢理おっさんの腕から抜け出すと、背中を向けて自分の作業の続きに戻った。
もういい。誰も話し掛けるな。ほっといてくれ。
「反抗期かあ~?」
おっさんのからかう声と、幾つかの笑い声が飛ぶ。
もう何も考えない事にした。
余計な方に思考を向けないように、俺は目の前の仕事だけを黙々とこなし続けた。
考えればきっと、何かが崩れてしまうような気がした。
∞
昼飯も、ただ腹を満たす為にぼんやりと平らげた。味も、あんまり感じない。まるで、夢の中で食う飯みたいに。
寝転がってみたけど、昼寝する気にもならない。
……落ち着かねえ。
何かに追い立てられ焦るように、広がった
気持ち悪りぃ、消化にも悪りぃ。物理的に吐き出せるもんなら吐いちまいてえ。
もうすぐ昼休みも終わる。
俺はうだうだしてる気にもなれず、早々に起き上がった。動いてた方がまだ気が紛れる。
俺はさっさと仕度し荷物を台車に乗せると、誰より早く午後の配達に出た。
午前中は様々な星から貨物船で到着した荷物の仕分けがメインで、その配達を行うのは主に午後からだ。近い住所ごとに乗せた荷物を、順番に降ろすように配達していく。
繁華街の商店を肉屋から最初に、瀬戸物屋、金物屋と配達する。いつも繰り返す順番。
肉屋のベスはいつものように嬉しそうに裏口から出てくると、ニコニコしながら俺から荷物を受け取った。そして見慣れた丸っこい文字で受領サインを書く。その後に一言、二言会話を交わした。いつも通りの、たいした事ない話。ベスが嬉しそうに俺に手を振る。俺も、手を振り返す。
いつもと同じ、何も……何ひとつ変わらない日常。
ひとつひとつ順番通り、同じ事をしていく。ただそれだけの事。そう、何も変わらねえじゃねえか。
俺は自分にそう云い聞かせ、無理矢理平常心を取り戻そうとしていた。
本当は全然落ち着かなくて、心が晴れないくせに。
次の配達の小道具屋の前に辿り着いた。シャッターが閉まってる。
店は休みだった。平日なのに珍しい。おっさんでも具合悪いのかな。俺は様子を伺いつつも、店の裏口に回って扉を叩いた。
あまり間を開けず、店の娘のメイヌーンが扉を開けた。そしていつもと同じ表情で俺を迎える。嬉しそうに、にっこり。
「ありがとう。荷物、ここに置いてね」
俺はメイヌーンの指し示す場所に重い荷物を置いた。
「今日、店休みなんだな」
俺はメイヌーンに伝票を手渡しながら、それとなく訊ねる。
「そうなの。お父さんの古くからの友達の娘さんが結婚式だから、お母さんと二人で出かけてるの。だから、今日はお休み」
メイヌーンが伝票にサインしながら云った。ベスと同じような、丸い文字。俺は差し返された伝票を受け取る。
「……ねえ」
唐突な感じで、メイヌーンが俺に声をかけた。
「ん?」
伝票をポケットにしまいながら、俺は応える。
メイヌーンは一瞬、躊躇するような表情を見せた。けどすぐに、何かを決意したように口元をきゅっと結ぶと、思い切るように言葉を続けた。
「今夜、家でご飯食べないっ?」
勢い良く飛び出してきた言葉に、俺はきょとんとした。
「あ、あのね、今夜は家の両親、帰りがすっごく遅くなるのね! だから、夕飯私一人なの。ほら、一人でご飯食べるのとか淋しいし、だいたい自分一人のご飯とか作る気にもならないし。だから、ソモル君が食べに来てくれたら淋しくないし、ご飯も作る気になるし、だから……」
メイヌーンはまるで云い訳でもするように一気に捲し立てた。そして云うべき言葉が終わると、その反動のように黙りこくった。
メイヌーンは、その後は何も云わずに俯いていた。髪の間から覗いた耳が、真っ赤になっている。
相手にここまで意識されると、俺の方まで意識せざるを得ない感じになる。
同じ年頃の女の子から、夕飯の誘い。しかも、家には親が居ない。
思春期の男子が期待してしまうようなシュチェーション。しかも俺には、断る理由とかもない。
「……いいよ」
「本当!」
メイヌーンは俯いていた顔を俺の方へ向けて、はしゃいだ声を上げた。真っ赤なままのメイヌーンの顔を目の前にしながら、俺は何だか参ったなあという気分だった。
「夕方、仕事終わったら来てね、待ってるから」
「ああ、うん。6時過ぎると思うけど」
これ以上、何を云っていいか判らない。じゃあ後で、と声をかけ、俺はさっさと配達の続きに戻ろうとした。
「ねえ、夜、何食べたい?」
去り際の背中に、メイヌーンの声が追いかけてくる。
「……シチュー」
俺はちらり肩越しに顔だけ振り向くと、呟くようにそれだけ答えた。メイヌーンがにっこりと頷くのが、視界の端っこに見えた。
to be continue
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