第20話 君の居ない世界

「ターサ!」


 流行りの歌を口ずさみながら朝の通りを歩いていたターサは、足を止めて振り向いた。凄い剣幕で駆け寄った俺に、圧倒されたように上体を引く。


「な、何だよソモル兄ちゃん、そんなに慌ててさ。まだ遅刻って時間でもないだろ」 


 ターサは俺の様子に少々困惑気味に云った。続けて、昨日から変だぞ兄ちゃん、と呟く。

 変なのは、俺の方じゃねぇだろ!


「……ターサ、ラオンの事、覚えてるよな?」


 息を整えながら、俺はターサの事を真っ直ぐに見据えて訊いた。


「え? ラオン? 誰その?」


 俺の頭から一瞬すーっと血の気が引いた。ターサは惚けてるわけじゃない。俺の事をからかって、冗談を云ってるわけでも勿論もちろんない。それは、眼を見れば判る。


「ねえ、誰それ? 俺も会った事ある娘?」


 ターサが好奇心を帯びた口調で訊ねてくる。いつもの、ふざけて詮索してくる時の眼だった。

 引いていた血の気が、一気に頭のてっぺんまで逆流していくのが判った。俺は思わず、ターサの両肩に掴みかかった。



「ふざけんなっ! 思い出せよ! ラオンだよっ!」


 俺の怒鳴り声に、開店準備をしていた通り沿いの店の人たちの視線が一斉に向く。

 俺は冷静になれず、思い出せと怒鳴りながら何度も何度もターサの肩を強く揺さぶった。


「何すんだよ兄ちゃん! 放せよ!」


 ターサが声を荒げて俺の手を振り払う。


「兄ちゃん、どうかしてるよ! 昨日から変なんだよ!」

「変なのはお前らの方だっ!」


 ターサの言葉に、俺は八つ当たるように吐き捨てた。


 ふざけんな、ふざけんな、ふざけんなっ!


 腹の内側から、感情が渦を巻いて吹き出してくる。ターサを放って、俺は衝動のままに駆け出した。後ろから追いかけるようにターサが何か叫ぶ声が聞こえたけど、その意味を拾う気にもならなかった。


 衝動がアドレナリンとなり、俺の体を、足を突き動かす。アドレナリンとなった衝動が、ぶつけ処のない怒りを生み出す。


 激しい、激しい憤り。行き場を失い飛び出した感情が、幾度もあっちこっちに跳ね返り、勢いを増して俺自身に戻ってくる。



 ふざけんな、ふざけんな、ふざけんな、ふざけんなっ!!


 ラオンを忘れたターサが許せない。ラオンを消し去ったこの世界が許せない。誰よりも、一時でもラオンを忘れていた自分が許せない。


 何が起こっているのか、ラオンの存在が消失した理由も、世界がラオンに関する記憶を何処に隠してしまったのかも判らない。


 判らない、判らない、判らないっ!


 がむしゃらに走って、走って走って。足を止めずに走り続けて、俺は街を一望できる小高い丘の上に辿り着いていた。

 視界の先に広がるマーズの赤い空と、その下にびっしりと詰まった積み木のような街並み。

 走り続ける道も途切れて、俺はそこに立ち尽くした。


 立ち止まった体は熱を帯び、途端に皮膚から汗が吹き出す。

 息を切らしながら、俺は目の前のものを見詰める。


 そこにあるのは、ラオンの居ない世界。

 ラオンを何処かに隠したまま、平然と息をする世界。


 俺は急に、この世界が憎たらしくて堪らなくなった。


 ラオンの消失した世界。こんなものに、何の価値もない。

 こんな世界、ぶっ壊れちまえばいい!


 そう強く思いきつく歯を食い縛った途端、涙が溢れた。


 泣くつもりなんてなかった。なのに何の前触れもなく溢れ出した涙は、幾筋も幾筋も俺の両頬を伝い、ポタポタと足元の草の上に落ちた。突然降り出した、大粒の雨のように。


 そのうちに息苦しくなった。溢れ返った感情が、俺を内側から締め付ける。


 ラオンを……、ラオンを返せよ、……返してくれよ!



「……うっ、うぐっ……」


 ひきつるような嗚咽が洩れた。感情の渦が、ぐるぐる廻る。


 ラオンを返せよっ! 俺の、一番大切ななんだよっ!




「うっ、うあああああああああああああああああっ!!」



 俺は叫んだ。

 止めどなく溢れ続ける感情を吐き出すように。


 ラオンの居ない世界。こんなもの、全部要らねえっ!!


 体の内側でそう激しく叫んだ瞬間、世界にひずみが生じた。




        to be continue

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