第33話 代償

 ラオンの手のひらから零れ落ちた、光の粒子。

 それは、クピトを得たラオンが代償としてこのミシャに残した、心の欠片。恋をする、感情。

 ラオンの零れ落ちた感情が、また別のクピトという結晶になり、この場所に眠っている。



《クピトを得ようとすれば、再び代償が生じる》



 結びついた光が、果てのない渦を巻く。見詰めているうちに、呑まれそうになる。抗う事のできない輝き。



《お前の心の欠片を代償に、あの娘の恋心の結晶であるクピトを手に入れるのか?》



 光の集合体が、俺の内側に直に問いかけた。重い地響きのように、その問いは俺の心を揺るがした。



 代償。


 それは、俺自身の心の欠片……。

 ラオンがクピトを得る為に、恋する感情をここに残してきたように……。


 俺がラオンの恋心の結晶でできたクピトを手に入れれば、途端にその手のひらから心の欠片が零れ落ちる。キラキラと粒子になって、この砂の上に……。


 夢で見た、ラオンと同じように……。


 終わりのない環となって、それが廻る。


 それって、どういう事だ? それって……。


 零れ落ちるのは、恋心。俺のたったひとつの恋心。

 それは、ラオンへの感情。俺にとって恋心は、ラオンそのもの。


 それを、失う……? なんだよ、それ……。


 ラオンへの、今感じてるこの想いがなくなる?

 俺の心から、ラオンへの恋心だけが丸々抜け落ちる? 記憶や他の感情は残したまま、ラオンへの感情だけが消滅する?


 ラオンへの気持ちが消えた自分なんて、想像できなかった。それくらい、今の俺はラオンが全てだった。俺の全てが、隙間なくラオンへの感情で埋め尽くされていた。


 だから、ラオンへの感情が消えた自分なんてありえない。ラオンの事が記憶からすっぽり抜け落ちちまった時だって、ラオンへの恋心は確かに残っていた。俺の中から、消えずに残っていた。


 ラオンへの感情を失う。

 そんな自分、許せねえよ……。




《その代償を払わなければ、あの娘の恋心の結晶であるクピトを得る事はない》



 ……まるで威しだ。命差し出せって云われてるのと、同じくらいの。


 俺は精一杯の恨みを込めて、光の集合体を睨む。残酷な条件を当たり前にふっかけてくる、得体も知れない存在。




「……俺がラオンの心の欠片でできたクピトを手に入れれば、あいつの感情は元通りになるのか?」



《ミシャから解き放たれれば、心の欠片は自ずとあるべき処へ収まるだろう》



 あるべき処へ。


 ラオンが、俺の前に差し出したクピトを思い出す。あのクピトの中に散りばめられた心の欠片も、持ち主の処へ還ったんだろうか。そんな余計な事を考える。


 今は、そんな事どうでもいい。何処の誰だか知らねえ奴の心の欠片の心配なんて、してられねえ。


 俺は、重く眼を閉じる。


 俺はラオンに恋をしてる。苦しい程に、恋をしてる。

 きっとこの恋が叶う事はない。それは、ラオンがきちんと恋愛感情を持っていたとしても、多分変わらない。



 判ってる。


 だから、酷く苦しい。救いようもない程に。


 俺とラオンはほんの些細な偶然で出会ってしまったけど、本来なら一生互いの存在すら知らずに過ごすような相手同士。いや、俺の方はラオンの事を知る機会はあるだろう。それは、直接ではないけれど。衛星放送の画面越しに。ラオンを間接的に眼にして、可愛い姫様だなぁぐらいには思ってたかもしれない。けど現実味もないジュピターの姫に、恋心なんて絶対に抱かなかった。


 そう。そういう事なんだ。本当だったら……。


 お前に恋しなかった方が、幸せだったのか俺は。なあ、ラオン。




 …………そんなわけ、ねえじゃん。そんなわけが。


 俺はお前が、誰よりも大切なんだ! 好きなんだよっ! だから、お前が辛いのが嫌なんだよ!

 俺がお前への恋心を代償にお前の心の欠片を取り戻したら、お前はいつか他の誰かを好きになるのかな。俺の知らない何処かの誰かを。けど俺はお前への恋心をここに落としたままだから、辛いとか苦しいとか、なんにも感じねえのかな……。



 …………変なの。それでも、お前が別の誰かを好きになるなんて、嫌だ。


 …………くそっ、やっぱ嫌だよ。嫌なんだよ……。



 今、酷く迷ってんだ。心の中、ぐちゃぐちゃになるくらい、迷ってんだ。

 このまま誰にも恋をしないお前に恋をし続けるか。お前への想いをここに残して、誰かを好きになったお前を見詰めるか。



 ……迷ってる? 本当は、迷ってるなんて嘘。


 どっちも受け入れられるわけねえ。決まってんじゃんか、そんなの。


 この恋が叶う事は、きっと途方もなく難しい。そんな事、判ってる。

 けど……。



 俺は、ラオンに恋をしてる。





《ならば、汝に問う。お前にとっての愛とは何だ?》


 まるで俺を試そうとするように、光の集合体が訊ねた。


 俺はその問いかけに答えるべく、重く閉じた瞼を上げた。




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