第34話 解き放つ

 眼を開くと、あれ程眩しかった光の集合体は消えていた。細胞にひしひしと押し寄せる圧も、全て跡形もなく失せていた。まるで、最初からそんなものは何もなかったように。



 俺の前には、ラオンが居た。

 それが当たり前であるかのように、ただ真っ直ぐに俺を見詰めて。


 ラオンは、そこに居た。


 引き留める間もれなく姿を消しては、瞬きする間に現れる。

 出会っては離れて、離れてはまた巡り会う。


 現実とは違うこの空間に落ちてから、俺たちはそんな事を繰り返していた。

 本当はずっと、すぐ傍に居たのかもしれない。


 ただ俺が気づけなかっただけで、ずっと隣合わせで絶え間なく寄り添っていたのかもな。


 心の結び目を手繰り、引き合いながら……。



 白衣の人は云っていた。ミシャに辿り着いた瞬間、俺とラオンは互いの心に触れ合ったって。

 体という境界を抜けて、心と心で……。


 いつの間にそんな事が起きたのか、俺は知らない。

 けどそれは、限りなくゼロに違いほんの僅かな可能性だったんだと思う。

 俺とラオンがマーズのひとつの小さな街の、一軒の小さな酒場であの日偶然出会えたのと同じくらいの、僅かな奇跡。



 ラオンは、俺の目の前にまた手のひらを差し出した。その白い柔らかな手のひらの中に、キラリ光を帯びた結晶。


 ラオンがこのミシャで手に入れた、愛の宝石クピト。

 このクピトのせいで、ラオンは心の欠片を失った。




「ソモルにあげる」



 前の時と同じ台詞。

 ラオンはそう云って、俺を真っ直ぐに見詰める。

 綺麗なふたつの翡翠ひすいの眼に、俺のかたちを揺らしながら。


 壊れてしまった、あのガラスの星で見詰め合った時のように。


 やっぱり、お前はなんにも判ってない。俺はそんなもの、いらねえ。そんなもの欲しくもねえ。

 お前の感情と引き換えにした、何処の誰のもんだか知らねえ感情の結晶なんて、そんなもんが欲しいんじゃねえよ。俺が、俺が一番欲しいのは……。



 ラオンは、何も気づいていない。気づいてないから、そんな無邪気な顔して笑ってるんだ。

 俺の一方通行のままの想いが、この体を突き抜けそうに暴れている。



 愛の宝石クピト。


 クピトを手に入れた者の愛するという感情が零れ落ちて、また別のクピトが生じる。その連鎖の繰り返し。

 ラオンの愛する感情の結晶であるクピトを手に入れれば、今度は俺の愛する感情が零れ落ちて次のクピトが生じる。

 ラオンへの想いを、まるごと奪われる。



 ……そんな事、されてたまるか。


 代償って、なんだよ。ふざけんなよ。俺は、ラオンが好きだ。この恋が叶わなくたって、死ぬまでラオンを想い続けるって決めたんだよ。


 酷くいきどおっていた。ラオンから心の欠片を奪った要因も、俺からこの感情を奪おうとする要因も、全部許せねえ。クピトを手に入れてその代償として感情を奪われ、やすやすとラオンへの想いを失っちまうかもしれない自分も許せねえ。



 ……この感情は、絶対渡さない!



「……ラオン、俺と一緒に帰ろう。いや、……帰れなくたって、本当はいいんだ。一緒に居られるんなら、何処だっていいんだ」


 ラオンの眼を見詰め返して、俺は云った。

 俺の素直な気持ち。


 傍に居られるなら、帰れなくていい。むしろこの均一を乱した空間で、誰にも邪魔されず二人だけで、ずっと離れず寄り添っていたい。


 元の世界に帰れば、また離れてしまうから。

 もう二度と会えないかもしれないくらい、遠く離れてしまうから。



 ずっと傍に居るから。だから、……離れないでくれ。




 ラオン。




 俺はラオンが差し出した手のひらから、クピトを受け取った。

 ラオンが心の欠片を失う要因になった、そのクピトを。




 ……光の集合体、まだ何処かに居るんだろ?


 これは、もういらねえ。この星に返す。ここに、きちんと還す。

 だから、代償として奪ったラオンの愛する感情を返してくれ。

 利子が必要だってんなら、俺の心の欠片を少し持っていってもいいから。ほんの少しだけならば、構わない。足りなくなった感情の分は、また何度でもラオンを好きになって足していけばいい。


 愛する感情さえあれば、俺はまたラオンに恋をする。

 呆れるくらい、何度でも……。


 喩え届かなくたって、叶わなくたって、俺はラオンを愛してる。




 目の前のラオンが、白に掻き消された。

 網膜を焼き尽くすような光が、全てを呑み込み溢れ返った。




           to be continue




 

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