第37話 心の結び目を手繰れば

 夢だったのかも知れない。不意に、そんな風に思う。

 それくらい不確かで、現実とは酷く遠い場所にある曖昧な夢のような感覚。


 俺とラオンは心の結び目で繋がっていて、ラオンの零れ落ちてしまった恋する感情を取り戻す為に均一を乱した空間を彷徨った。


 薄い膜をめくるように、幾つも幾つも記憶と空間を辿りながら、俺はようやくラオンの心を手繰り寄せ、落としてしまった感情の欠片を拾いあげた。


 そして、二人で帰ってきた。この現実という世界に。




 目が覚めた時、俺は一人だった。

 いつもの朝と同じ、一人の寝床で目が覚めた。


 ぼんやりと、見慣れた古い天井をまだ焦点の定まらない眼で見詰める。

 意識が、水の中に居るように揺れていた。



 あれ……? 今までのは、全部……夢……?



 そんなわけがない。


 俺は確かに、ラオンを感じていた。ラオンの心を、直に。俺のこの心で。その触れた感覚、暖かさだって覚えてる。

 ほんの一瞬前まで寄り添っていた。傍に居た。

 ラオンと心の結び目を引き合いながら、ここへ帰ってきた。


 そう、ラオンと一緒に……。


 あれ、おかしいな。何で俺、こんなとこに一人で寝転がってんだ。

 しかもここ、俺の小屋じゃん……。


 あれ、朝……? 夢……?



 ……そんなわけないじゃん!



 何度も何度も、堂々巡りにそんな思考を行ったり来たり繰り返す。

 夢……? そんなわけがない。そんなわけがない。


 そんな自問自答を繰り返し、結局俺の中で決着はつかず終い。

 そんな事をしていたもんだから、俺は仕事に30分遅刻した。


 


 曖昧な余韻は俺につきまとい、日中はずっと上の空。荷物の仕分けは間違えるわ、配達ミスはしかけるわ、どうしようもない一日だった。


 どうせ夜遅くまで変な事してたんだろ。今夜はいい加減にして、さっさと寝ろよ。

 親方や運び屋のおっさん達からは、からかい半分の注意を受けた。そんな理由じゃないと、反論する気も起こらない。


 シャワーで全身の砂汚れを洗い流して服を着替えてから、一日の最後の配達先『ファザリオン』の荷物を台車に乗せる。


 集積所の裏手の砂漠に落ちる夕暮れの低い陽射し。

 マーズの青い夕暮れ。幻想的な青い粒子が、この街を染め上げていく。


 まるで水の底に沈むように。

 ゆらりゆらり、こことは違う何処かへいざなわれていく。


 ラオンとただ二人で佇んだ、青いガラスの星を思い出す。

 あの星の上で交わした約束。



 ずっと、傍に居るから……。



 この現実へ帰る時も、同じ約束を交わした。

 確かめ合って、頷いた。


 二度交わした約束。夢なんかじゃない。



 俺はもう二度と見失なわない、お前を……。

 お前と繋がるこの結び目を、一生掴んで離さない。


 不思議なくらい、穏やかな心地だった。心がぐらついていない。

 この結び目を手繰れば、その先にラオンは居る。

 それを知ったから。


 俺はラオンに恋をする。

 その満たされた想いの先に、ラオンが居る。


 心と心で触れ合った瞬間、俺の想いはラオンに包み隠さず伝わった。言葉にするには酷く難しくて躊躇ためらわれる感情まで、全て。


 感情は嘘をつかない。

 ラオンは全てを受けとめ、微笑んでくれた。


 そして、約束した。


 夢なんかじゃない。そうだろ? ラオン……。




 ファザリオンに荷物を配達して、俺はいつものように店の掃除などの開店準備を手伝う。

 一通りの作業を終えた俺にマスターが用意してくれた本日の夕食は、オムライスだった。


 俺の胸が、ドキッっと予感にざわめく。


 俺の中のジンクス。

 ラオンはいつでも、何の前触れもなくこの酒場に現れる。ラオンがファザリオンに現れた今までの三回とも、夕食のメニューはオムライスだった。


 もちろん、二週に一度くらいの割合でオムライスなわけだから、圧倒的に何も起こらない確率の方が高い。

 なのに俺の全身の細胞は、おかしなくらい高揚していた。まるで、揺るがない確信を得たように。


 そうだ、これは、予感というよりも、確信。



 結び目は、引かれた。



 カウンター席の俺の隣に、気配を感じた。

 トンッと、心臓が合図のような鼓動を打つ。


 意識を火照らせながら、眼を向ける。



 真っ直ぐに俺を見詰める、ラオンが居た。

 約束を交わしたあの時と同じ、1mmもたがわず俺達は視線を重ね合う。



 心と心がほどけていく。

 言葉なんかなくたって、それだけで互いの想いが判ってしまう。そんな感じがした。




「また、黙って城を抜け出して来たのか?」


「うん」


 問いかけた俺に、ラオンが短く答える。



「ジイやに、叱られるんじゃねえか?」


「叱られると思う」



 ラオンがちょっと悪戯っぽい眼をした後、少しはにかんだように微笑む。



「けど、約束したから」


 ラオンの言葉が、粒子のようにキラキラと舞った。ラオンの手のひらから零れ落ちた、恋の欠片のように。




「……傍に居るって、離れないって、ソモルと約束したから」





 この恋が叶う事は、きっと途方もなく難しい。

 そんな事は判ってる、最初から。

 けど、もう誰にも邪魔はさせねえ。絶対に。



 幾重にも絡めた結び目を、しつこい程に硬く絞める。

 ほどけるもんなら、ほどいてみろ。全てを込めて、硬く結んだこの糸を。



 結び目を手繰ってラオンの心を探りながら、俺達を引き離そうとするだろう全ての奴らに、俺は宣戦布告をした。






             《END》






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ヒメゴト―未成熟な俺たちは、パラレル宇宙で恋をする― 遠堂瑠璃 @ruritoodo

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