第4話 いけない人

 夢の中の、ラオンの涙が気になった。


 たかが夢と、割りきってしまえばいいんだろうけど。俺、不器用だから、そんな気持ちの入れ換えもすんなりできるわけもなく……。


 こんな調子だから、仕事に身が入るわけがない。心ここにあらずな一日が終わり、ちょっと反省しながら仕事場のシャワーを浴びる。


 シャンプーの泡を洗い流しながら眼を閉じると、ほとんど必然的な感じで昨夜の夢の光景が浮かんだ。ラオンの視線を通して見た、浴槽の琥珀色の湯、弾くシャワー。そして、鏡に映ったラオンの頬を滑る、涙の筋。


 鏡の中のラオンは、悲しいとか、そういう表情じゃなかった。片方の眼からだけ零れた、涙の粒。


 気にし過ぎなんだよ、ただの夢じゃんか……


 ラオンに逆上のぼせ過ぎの自分に渇を入れる為に、最後は頭から思いっきり冷水を浴びた。肌を刺す冷たさに、少しだけ目が覚めたような気がした。



 全身の水気をタオルでワシワシ拭き取り、新しいTシャツとズボンに着替えたら、今日最後の配達荷物を台車に乗せる。


 酒場、ファザリオン宛の荷物二箱。帰宅途中のこの酒場に荷物を届けて、そのままマスターの作ってくれる夕飯にありつくのが俺の日課。店の掃除やらの開店準備を手伝えば、マスターの絶品飯が無料ただで食わせてもらえるんだから、ありがたい事この上ない。


 親方と運び屋のおっさんたちに挨拶して、俺はファザリオンの荷物を押して夕暮れの街に繰り出した。


            ∞



 開店準備の手伝いを一通り終えると、カウンター席にはすでにマスターお手製の夕飯が用意されていた。胃袋を刺激する旨そうな匂いにつられて席に着くと、相変わらず無口なマスターは黙ったままミルクを皿の横に置いてくれた。今日のメニューは照り焼きチキンと香味ライス! やった~! 大好物! まあ、マスターの料理はほぼ全部、俺の大好物なんだけど。


 ん~! やっぱ旨いっ! マスター最高!


 こんな調子でがっつくから、いつもあっという間に食い終わる。まだ胃袋に空きがあるな、なんて思いながら食後のミルクで落ち着く。

 そしていつも、ここで一息吐きながら思う。今日も一日、終わったなあ。



「ソモル! ソモルじゃねえか!」


 開店してポツポツ客も入り始めたファザリオンの店内で、聞き覚えのある懐かしい声が俺を呼んだ。声のした入り口辺りを見ると、ガタイのいい刈り上げ頭で無精髭のおっさん……いや、兄ちゃんが立っていた。ん、あれ? この人は、もしかして……。


「マルセルさんっ!」


 俺の中で、ようやくその名前と顔が結び付く。


 運び屋のマルセルさん。懐かしいなあ、会うの何年ぶりだろう。確か最後に会ったのって、俺が13歳になったばっかの頃じゃなかったっけ?


「元気だったかあ、ソモル!」


 人なつっこい顔に満面の笑みを浮かべながら、太い腕を大きく広げたマルセルさんが近づいてくる。



「ソモル、お前しばらく会わねえ間にずいぶん男前になったなあ! 女でもできたか?」


 でっかい声でそんな事を云いながら、俺の隣のカウンター席に座る。

 この人は、全く変わってない。


 運び屋のマルセルさんとは、俺がファザリオンに配達するようになってからの顔見知りだ。確か、宇宙の最果ての銀河に配達に行ってたんだっけ? 俺とマルセルさんの間で、微妙に宇宙時間の誤差が生じてるのかも知れない。



「お前、あんなガキだったのに、すっかり大人だな!」


 マルセルさんのゴツイ手が、俺の変なとこに伸びてくる。


「やめろよっ! 何処触ってんだよっ!」


 俺が慌てて払い除けると、マルセルさんはヒャッヒャと悪戯っぽく笑った。

 こういうとこは相変わらず。全く、困った人だ。昔っから、俺をこんな調子でからかってくる。 

 そして俺に、いけない情報を吹き込んでくるのもこの人だ。俺の反応を面白がって教えてくる。だいぶ悪影響を与えられた。


「幾つになった?」

「もうすぐ、17」

「盛りじゃんか! よし、再会祝いだ! 俺がいいとこに連れてってやるよ」

「いーよ、行かねえよ!」


 この人の云ういいとこだ。どうせろくな処じゃない。顔見りゃ、判るし。


「遠慮すんなよ! お前に女の扱い方教えてやるよ」


 ……ほら、やっぱそう来た。


「行かねえって!」

「お前、お姉ちゃんに絶対モテるぞ! なっ? お前を男にしてやろうってんだ」


 絡みつくマルセルさんの重い腕を払い除ける。何だ、しつこいなあ。久しぶりだからって、からかい過ぎだぞ。


「興味ねえよ!」

「嘘云え~! そんなわけねえだろ!」


 マルセルさんが、俺の背中をバンバン叩く。ちょっと痛い。



「……お前、好きな居るだろ?」



 直前までふざけていたマルセルさんが、俺の眼を真っ直ぐに見ながら唐突に核心をついた。


 ドキッ!


 返す言葉も出ず、思わず俺は黙り込む。顔が赤くなるのが判った。



「やっぱり、女か」



 図星をついて、マルセルさんがニヤリと笑う。ヤバ、……バレた……。

 ずいっと、マルセルさんの顔が近づく。



「何処までいった?」


「……そっ、そんなんじゃねえよ!」


 マルセルさんの好奇心を、俺は慌てて否定する。実際にラオンとは、友達以上の進展はない。しかも最後に会ったのは、二年前。そう、悲しい事に……。


「何だ、この街の娘か?」


 俺は、そっぽを向いたまま首を振る。


「じゃ、隣街のファイン?」


 俺は、更にそっぽを向いて首を振る。


「何だよ、じゃあ何処の娘だよ」


「……ジュピター」


 反射的に、ぼそっと答える。しまった、云わなきゃ良かったかな。


「ジュピター!? ずいぶんすげえ星の娘に目ぇつけたんだな、何処で知り合ったんだよ」


 マルセルさんが、更に詰め寄る。ここだよ、このファザリオンで出会ったんだよ。そう心で呟きつつ、めんどくさいからだんまり。


「可愛いのか、その娘」


 夢で見た風呂上がりのラオンの顔が浮かび、俺はまた赤くなって俯いた。ラオンは、すげえ可愛い……。



「何だ、ソモル。お前、その娘に片想いなのか?」


「……悪いかよ」



 マルセルさんの言葉に、俺は不貞腐ふてくされたように呟く。マルセルさんはいきなり、俺の肩に腕を回してぐいっと引き寄せた。鼻先に、マルセルさんのタバコ臭い息がかかる。


「お前、カッコいいんだからさ、いきなりその娘の唇のひとつでも奪ってやればさあ、もうイチコロだぜ」

「そっ、そんな事できるわけねえだろっ!」


 思わず想像して、全身火がついたように熱くなる。


「上手な大人のキスの仕方、前に教えてやっただろ? あれだ、あれでいけ」


 あんたがその手の事をやたら吹き込むから、知識ばっか無駄に増えちまったんだろ! おかげで俺は、仲間で一番の耳年増だよ! 


 キス……。


 二日前の夢の中で、俺は寝てるラオンにキスをしようとした。結局直前で目が覚めたけど。実際に二年前、ラオンの寝顔を眺めてるうちにキスしたい衝動にかられた。どっちも未遂に終わってるけど。俺には面と向かって、ラオンに好きだって云う度胸すらない。


 複雑な気分のまま俯いてる俺の肩を、マルセルさんの分厚い手がぽんと叩いた。



「甘酸っぱい片想いか。頑張れよ、兄弟!」


 やにまみれの歯を見せて、マルセルさんがにっと笑う。俺もつられて、ちょっぴり笑った。

 どうしようもない人だけど、こういう時のマルセルさんは何だかとっても大きく頼もしく感じる。人生経験の違いってやつかも知れない。




「とりあえず今後のお前の目標は、その娘とヤル、だな」




 ……見直した俺が馬鹿だった。


 やっぱりこの人は、どうしようもない人だ。




         to be continue






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