第31話 ミシャ


 視界の限り、かたちを成すものは何もない。

 ただ、白い砂漠が何処までも続いているだけ。地平線の彼方まで、白い砂。その延長線上に覆う空は、黄昏と夜の交わる時刻のような濃密な青。



 この光景に、俺は覚えがある。

 四年前、ラオンと二人で辿り着いた、あの場所。



 遊星ミシャ……。



 ほんの一瞬の、宇宙の秩序の崩壊。その瞬間だけ、宇宙はこの星の存在を許す。

 宇宙のことわりを完全に無視した、酷くいい加減で曖昧な星。こうやって自分の眼で確かめた事がなかったら、俺は絶対にミシャなんて星の伝説を信じてなかった。


 俺はただ一人、そんな場所に立ち尽くしていた。ガラスの星で寄り添っていた筈のラオンは、そこには居なかった。


 振り返り、俺はラオンを探した。

 白い、白い砂ばかり。そこにラオンをかたどるものは、何もない。


 悔しい気持ちがしこりになって、息を詰まらせた。

 俺はまた、ラオンを見失った。傍に居るって、約束したのに……。


 ほんの数秒前までそこにあった世界は、残骸すらなく消滅していた。まるであの約束すら、嘘だったかのように。


 均一を乱して、曖昧にうつろいゆく空間。全部不確かなものばかり。


 けど、確かに感じたラオンの体温は、俺のこの皮膚に残ってる。

 俺は歯痒さに拳を固くした。


 ラオンと俺、ただ二人だけの世界。


 このままラオンの傍に居られるなら、元の世界になんて戻れなくていい。ずっとこのまま、このまま……ラオンとこのガラスの星で生きていきたい。


 俺はあの瞬間、本気でそれを望んだ。


 あの世界は、俺の願望そのもの。ラオンを俺だけのものにしたいと願う、俺の欲望が造り出した世界。


 俺はお前を、誰にも渡したくねえんだよ。

 それはどんなに望んだって、現実の世界では遠く叶わない願い。俺がマーズの貧しい一市民でラオンがジュピターの姫である限り、叶うわけもない想い。


 そして恋という感情を落としてしまったラオンが、俺に恋心を抱いてくれるわけもなく……。

 いくら心の結び目で繋がってたって、結局は背中合わせのままなんだ、俺たちは……。


 それでも俺は、ラオンに触れたいと思った。

 触れ合う寸前まで近づいた、ラオンの顔。ほんの数㎜の距離まで近づいた、唇。


 それでもラオンは眼を閉じる事すらせず、俺をじっと見詰めていた。俺の影を、その翡翠ひすいの瞳の中に不思議そうに揺らして。


 俺がこれから何をしようとしてるかなんて、全く理解してなかった。

 心がむず痒くて、じわじわする。全部が全部行き止まりで、気持ちが破裂しそうになる。



 ミシャ。


 ラオンはこの星で、恋という感情を落とした。欠落した感情は細かい粒子になって、ラオンの手のひらからこの星の砂の中に零れ落ちた。


 この、無数の砂の中に……。




 …………返せよ、ラオンの心の欠片を。


 ふざけんなよ……。


 クピトを手に入れた代償ってなんだよ。


 そんな事、ラオンは知らなかったんだ。なんにも知らずに、クピトを手にした。無邪気に笑いながら。父上と母上にクピトをプレゼントするんだって、嬉しそうに笑いながら。


 あいつはなんにも知らなかったんだよ! 卑怯じゃねえかっ!

 何も知らない奴から、心の欠片を奪うなんてさあ!



 …………返してやってくれよ、ラオンに。お願いだからさあ!


 …………その為なら、俺は…………。






 気配を感じた。


 何かが、来る。

 遠く、遠くから、恐ろしい程の速度で。



 圧……。


 途轍とてつもない質量。

 日常の生活をしていたならば決して出会う事もないモノが、現れようとしてる。



 空気の振動。


 俺は全身の筋肉を硬く収縮させたまま、立ち竦んだ。

 本能的な恐怖心。それは、間違いなく出会ってはならないモノ。



 空気が鈍く歪んでいく。


 その刹那、空間に生じた裂目から光が溢れ出した。





        to be continue


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