第17話 帰りたい場所
夕方、酒場ファザリオンに最後の配達を終え、俺はそのまま店を後にした。
いつもなら開店準備を手伝って夕飯をご馳走になるとこだけど、今日はメイヌーンとの約束がある。無口なマスターは余計な詮索はしないから、こういう時は助かる。冷やかされるのとか、ごめんだし。
ファザリオンはメイヌーンの家とは逆方向だ。本当はファザリオンの配達は、家が近いターサに頼もうかとも思った。けど、冷静に考えてやっぱりやめた。
その理由を話したりしたら、明日の朝どんな噂を立てられるか判ったもんじゃない。ありもしない事で騒がれるなんて、真っ平ごめんだ。
夕闇の街を行き交う人々は、皆陽気で賑やかだ。仕事終わりで、それぞれ思い思いの場所へ向かう。真っ直ぐに、家族の待つ温かい夕飯の用意された家に帰る人。仲間と景気づけの一杯をやりに行く人。彼氏、彼女との待ち合わせに浮かれてる人とか。
皆、それぞれの場所に向かってる。帰りたい、場所へ。
俺は、どうだろう。
帰りたい場所って、何処だ……?
メイヌーンが用意してくれた、温かい夕飯の待つ家?
それは違う。違う気がする。
心に、
誰も待っているわけもない、真っ暗なたった一人の小屋。
俺が、手に入れた場所。
ちっぽけでおんぼろな小屋。酷く、粗末で滑稽な。
《けどあいつは、その場所を嬉しそうに褒めてくれた。寸分の嘘もない笑顔で。産みたての卵みたいに、まっさらな綺麗な笑顔……》
思い出しかけた何かは、一瞬でシャボン玉のように弾けて消失した。
……俺今、誰の事考えてた……?
色彩は跡形もなく洗い流されて、そこには真っ白な画用紙だけが残されていた。
通りを行く人々の喧騒が、街のあちらこちらに転がっては消えていく。
夕闇に紛れてると、いつも余計な事まで考えちまうんだ……。
さっさとメイヌーンのとこに行かねえとな。せっかく作ってくれた夕飯が冷めちまう。
またチクリと、罪悪感のようなものが俺の内側を刺した。
俺、何も悪い事なんてしてねえ筈だよな……。
何故だか、確信がもてない。どうしてこんなに、後ろめたい?
誰かの影が、いちいち俺の中にちらつく。小さくて、華奢な影。
俺はその影を振り切るように、喧騒の街を速足に通り過ぎた。
「いらっしゃい! 良かった、冷めないうちに来てくれて」
ノックするとすぐに扉が開き、メイヌーンが嬉しそうにそう云いながら俺を部屋へと招き入れた。
暖かな照明の、白い壁の部屋。家族でくつろぐ、広い居間。
そういえば俺、メイヌーンの家に上がるのは初めてだな。いつも、店先で荷物の受け渡ししてるから。
それに俺、こういう家の雰囲気、慣れてない。俺ずっと、家族の団らんとかそういうものとは程遠い場所に居たから。
大きな木製のテーブルの上には、白い湯気がもくもくと立ち上る鍋が置かれていた。俺がリクエストしたシチューだ。すげえ、良い匂いがする。
急に腹が減ってきた。昼飯、あんまり食えなかったもんな。
「張り切り過ぎていっぱい作っちゃった! たくさん食べてね」
メイヌーンはそう云って、俺を椅子に座らせた。その向かいに、メイヌーンも座る。
メイヌーンは鍋からシチューを皿に掬い、俺に渡した。大きな皿の中に、具だくさんのシチューが目一杯よそられてる。旨そっ!
「いただきます!」
俺は大振りの野菜とシチューをスプーンに掬い、口に入れる。
「ん~! 旨い!」
お世辞じゃなく、本当に旨い。メイヌーンは自分の分のシチューを皿によそりながら、良かったと云って笑った。
しまった! メイヌーンが自分のを皿によそり終わるまで、待てば良かった。ご馳走になってるくせに、俺ってばすげえ意地汚ねえ奴みてえじゃん。
メイヌーンは自分が食べ始める前に、大盛によそったご飯を俺に手渡してくれた。何か、至れり尽くせりで申し訳ない感じだな。
「ソモル君、お仕事たくさん動くから、パンよりご飯かなって思ったんだけど……」
メイヌーンが、俺の反応を伺うように訊ねた。
「うん、俺、飯の方が嬉しい」
「良かった~!」
メイヌーンが嬉しそうにもう一度笑った。本当、良い子だよな。
メイヌーンは自分の分のご飯もよそると、ようやく食べ始めた。俺の半分くらいしか食わねえのか。ずいぶん少食なんだな。女の子って、こんなもんなのかな。
俺はただ黙々とシチューを平らげ、お代わりをした。メイヌーンは喜んで二杯目をよそってくれた。具がゴロゴロ入ってて、やっぱり旨い!
俺は黙々と食う。ふと視線を上げると、メイヌーンと眼が合った。びっくりしたような顔をして、メイヌーンは慌てて眼を逸らす。
俺ががっついてるとこ、ずっと見られてたのか? 急に恥ずかしくなった。
「……ソモル君、凄く美味しそうに食べてくれるから、つい、嬉しくて……」
メイヌーンは頬を赤くして、云い訳するように呟いた。
「だって本当に旨いもん。俺の方こそ、遠慮なさ過ぎだよな、行儀悪りぃし……」
「そんな事ない! 男の子らしくって、なんだか嬉しかったの」
メイヌーンは、そう云ってから俯いた。そして、ぎこちなくスプーンを口に運ぶ。そして、また一口。
俺も黙ったまま、スプーンを口に運んだ。
to be continue
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