第3話 君のヒメゴト

 その日の夜も、ラオンの夢を見た。

 二日続けてラオンの夢って……飢えてんのかな、俺……。


 夢の中の俺は、これが夢である事を自覚してた。だってこんな嬉しくて都合のいい事なんてそうそう起こるわけないし、しかもそれは俺ではなく、ラオンの視覚を通しての夢だったから。


 つまり、ラオンの眼から見た風景。情景。


 俺が見た事もない、広い廊下。鮮やかな絨毯が引かれた廊下の左右では、侍女らしい女の人が穏やかな顔で頭を下げる。見上げた先の高い天井には、何かのお伽話とぎばなしか神話をしたような絵画が描かれていた。


 ジュピターの、城の風景か?

 そして、唐突に場面が変わる。


 キラキラとした、床が見えた。大理石……?

 その上に、バシャバシャと水滴が跳ねる。そして、湿った熱を帯びた真っ白な湯気。再び雨のような飛沫しぶきが、大理石の床に叩きつける。


 ……シャワー? もしかしてここ、浴室……?


 気づいた瞬間、俺の意識がパニック気味に暴れ出す。


 何て夢見てんだ、俺っ! 馬鹿馬鹿っ! 俺のスケベ野郎っ!

 しかもラオンの眼を通しての風呂の様子って、何考えてんだ、俺はっ!


 程なくしてシャワーが止まり、浴槽が見えた。

 琥珀色の湯の表面に、ラオンのワインレッドの長い髪がゆらゆらと広がる。まるで水面に散った鮮やかな花弁みたいに。


 ラオンの腕が、視界に入った。俺の心臓が跳ね上がる。

 しなやかで、柔らかそうな白い腕。小さな手のひらが、ひらひらとお湯を掻く。指先は、ほんのりピンクに染まっている。


 ドクンドクン、ドクンドクンドクン


 俺の鼓動が、激しさを増していく。


 いくら夢とはいえ、これはヤバいだろ! ラオンへの罪悪感と、それとは対照的に高まっていく期待に俺の心は激しく動揺した。


 見たい……けど見ちゃいけない……やっぱり見たい。



 不意に、視界が黒い幕に閉ざされた。


 えっ、何だ、ここ。場面が変わった?


 夢だからって、そうそう都合良くいかない。判ってるけど、ちょっとガッカリ。……いや、だいぶガッカリ。


 黒い幕の先に、何かの風景が浮かび上がった。

 何処までも続く白い砂。砂漠? その上をおおう、夜の始まりのように濃度の深い空。


 目の前に突然、光が現れた。

 現れた……というより、溢れ出したと云うべきか。まるで空間の裂け目から、膨大な光が束になって溢れ出して来た……そんな感じ。そのたくさんの光の束が、渦を巻くようにするすると集まり、重なっていく。


 網膜に焼きつく程に強い光。なのに、眩しさを感じない。それどころか、ずっと眺めていたい。そんな風に思った。不可思議な感覚。


 今この光を見ているのは、俺じゃない。ラオンだ。

 唐突に、そう気づいた。


 ラオンはじっと、その光の束を見詰めていた。片時すら、逸らす事なく。


 ラオンの、記憶……?


 そう思った瞬間、再び琥珀色に揺らめく湯の表面が見えた。水音を立てて、大きく波打つ。そしてまた、湯気にかすむ大理石の床が見えた。


 視界の端に、淡いピンクの布がひらめく。


 いきなり、ラオンの顔が見えた。

 ラオンが、ラオンを見てる? 鏡……?


 ドキリとした。


 ラオンの眼を通じて見る、鏡に映ったラオンの姿。風呂から上がったばかりの濡れた髪、ほんのり染まる頬。水滴の残る、首筋、肩、そして、鎖骨……。


 ……うわっ~!


 洗面台の鏡なのか、肩から上しか映ってないのがすげえ残念……いや、いやいやいやいや、そんな事は思ってないけど……。うん、思ってないぞ、絶対に!


 ラオンは濡れた髪も拭かずに、じっと鏡の中の自分を見詰めていた。何だか、こうして俺が覗き見てる事まで見透かされてるみたいで、落ち着かない。

 俺もラオンの眼を通して、ラオンを見詰める。


 ラオン、本当に綺麗になったな……。あらためて、そう思う。そしてその綺麗になったラオンを見詰めながら覚える胸の疼きに、俺はこのに恋をしてるんだなって、まざまざと実感させられる。


 ラオンの白い頬に、筋が下るのが見えた。髪が孕んだ水滴が零れ落ちたんだと思った。


 えっ、違う……。涙……?


 ラオンの大きな翡翠の眼、その片方だけから涙の粒が零れていた。




             to be continue




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