第28話 プラットホーム

 眼を閉じて、そのまま眠っていたのか。

 夜を走っていた列車は、いつの間にか古びたプラットホームに停車していた。


 何処に到着したんだろう。それとも、まだ途中の駅なのか。


 冷たく吹き込む風に気付きふと見ると、列車の扉が開いていた。立ち込める白い蒸気がプラットホームを包み、風景を霞ませる。

 まるで踏み込んではいけない別の時間。此処とは違う何処か。


 俺は何とはなしに、扉の外のプラットホームを眺めた。扉が閉まる様子も、列車が走り出す気配もない。


 俺は僅かに躊躇ためらいながら、座席から立ち上がり列車の外のプラットホームに降りてみた。


 空気はふわりと暖かい。列車が蒸気を吐き出すシューッという音、それ以外に何も聞こえない。遠くシグナルがチラチラと点滅する。


 やっぱり、誰も居ない。

 見上げると、プラットホームの屋根の端から星が点々と散らばる夜空が覗いていた。


 ふと見ると、向かいのホームにも列車が停まっていた。

 いつの間にプラットホームに入って来たのか、それとも最初から停まっていたのか。その列車には乗客が居ないらしく、開いた扉からは誰も降りてくる気配はない。


 俺はぼんやりと、プラットホームのベンチに腰を降ろす。

 立ち込める白い蒸気の中に、さっき風の中に感じた果物のような甘い匂いがした。


 淡く、淡く、甘い匂い。春を思わせる匂い。春風に薫る、恋のように。

 喩えるならそれは、初恋の香り。


 可笑しなくらい、心が踊った。ふわふわと舞い上がる心地。

 俺にとってそれは……それは……そう、ラオンそのもの。

 俺にとっての恋心、それはそのままラオンに繋がる想い。



 刹那、ラオンの気配を感じた。

 大きな鼓動が、俺の中心を打ち付ける。




「ソモルは、ついてきちゃ駄目だよ」




 後ろからラオンの声がした。

 俺は弾かれたように振り返る。



 ラオンは居なかった。

 そこにあるのは、甘い香りの余韻だけ。


 向かいのホームに停車していた列車の扉が閉まるのが見えた。



 ラオン!



 俺は反射的に立ち上がった。あの列車に、ラオンが乗ってる。

 そう、気づいた。

 何故だか判らない。けど、直感的に気づいた。


 列車がゆっくりと動き出す。



「ラオンッ!」



 俺は列車を追って駆け出した。


 何処だ、ラオン。何処に乗ってる?


 追いかけながら、車両ひとつひとつの窓を覗き込む。

 空席だけの車両。


 ラオン、ラオン、何処だよ、ラオン!


 速度を上げ、ホームを流れていく列車。俺の足では追いつけない程。

 俺の目の前を流れ過ぎる最後尾車両に、ワインレッドの髪の小さな人影が幻のように揺れていた。


 ラオン。



「ラオンッッ!!」



 ラオンの名前をすがるように叫びながら追いかける。


 流れていく列車。ホームの道は途切れ、俺は置き去りにされた。

 遠ざかり小さくなる列車を、俺は茫然と見送る。



 交差する時間の中で、今確かにラオンに出会えた。


 せっかく、出会えたってのに……!


 俺には、ラオンに追いつく術もねえ!


 湿った夜の風に交じって、甘い残り香が漂う。淡い恋の香り。

 香りが、俺の目の前ではらりと散っていく。


 立ち込める蒸気が、ゆらりと俺の視界の全てを包み込んでいく。


 俺はもう一度、強く強くラオンを求める。



《ソモルは、ついてきちゃ駄目だよ》



 いくらお前の頼みだろうと、そんな事きいてやれるか。追いかけるに決まってんだろ!

 だって、俺はお前を……



 空間は、またゼロになった。




           to be continue


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