第9話 ソモルにあげる

 気がつくと、そこはきりの中だった。

 瞬きして、眼を開いたら世界が一変していた。そのくらい唐突に、俺はそこに居た。


 これは、夢なのか……?

 白昼夢?


 現実の出来事としては、あまりに受け入れがたい。

 一瞬前まで、俺は確かにターサと二人でファインの街のレストランに居た。それが今、視界の四方八方を遮られた濃厚な霧の中に居る。


 こんな事が、現実に起こる筈がない。

 だってここは、幻の星ミシャで俺を呑み込んだ、あの霧の中だった。


 この淡く光を孕んだ霧、俺は覚えてる。

 また、昔の夢を見てるのか?


 記憶を手繰たぐるように。鮮明に、生々しい夢。


 周囲を取り巻いていた深い霧が、ゆらりと晴れていく。大気に蒸発して、その先に蜃気楼のような人影。


 心臓が跳ね上がった。俺は眼を見張る。


 1メートルの間もないその先に、ラオンが立っていた。


 俺の記憶の中の、小さなラオン。二人でミシャに辿り着いた、あの日のままの姿で。

 11歳のラオンは、真っ直ぐに俺を見詰めている。


 そうか、こんなに小さかったんだっけなあ。


 あの頃も俺より頭ひとつ分背が低くかったラオンは、17歳を目前とした今の俺の目線からは、びっくりする程小さかった。

 そんなちっちゃなラオンが、俺に向けて両手を差し伸ばした。閉ざした手のひらを、ゆっくりと開きながら。


 花弁のように開いた指の隙間から、光るものが覗く。


 キラリ


 ラオンの手のひらの中心に、仄淡く輝く宝石。

 えっ? これって……


 愛を司る宝石、クピト?

 ここ幻の星ミシャで、ラオンが手に入れたもの。


 ラオンが、柔らかく微笑む。ああ、やっぱり可愛いなあ……。


「これ、ソモルにあげる」


 ラオンの笑顔に見とれていた俺は、その台詞にはっと我に返った。


 えっ? なんだって?


 目の前に差し出された、宝石クピト。


 何で、俺に……?


「だってこれ、ラオンが父さん母さんにあげる為に手に入れた、愛の宝石クピトだろ?」 


 俺は、わけが判らずラオンに訊ねた。

 ラオンは大きな眼を1ミリも逸らす事なく俺に向けている。


「うん、いいの。ソモルに受け取ってほしいから」


 俺は、ドキッとした。


 ……俺に?


 愛の宝石を俺に受け取ってほしいって……、どういう意味だ?

 気持ちをときめかせながら、思わず深読みしてしまう。


 脈拍を騒がせたまま、俺は11歳のラオンを見詰める。黙ったまま、ラオンの次の言葉を待つ。


 沈黙が長い。

 そう感じてしまうだけなのか、実際に間が長いのか、その判断すらつかない程今の俺は舞い上がっていた。


 これって、所謂いわゆる告白……?

 そう受け取ってもいいのか? なあ、ラオン……。



「……ラオン」


「これは、ボクの心なんだ」


 俺がラオンの名前を囁いたのとほぼ同時に、ラオンが云った。


 目の前に居たラオンが、刹那まるで幻のように揺らいだ。いつの間にか再び立ち込めた霧が、ラオンを呑み込んでいく。


 俺は、慌てて手を伸ばした。

 ラオンを引き止めようと差し伸ばした指先が、宙を切る。


「ラオン!」


 煙る霧の向こうに、ラオンは消えていた。手のひらにクピトを持ったまま、跡形もなく。


 俺一人が、わけも判らず残された。


 何がどうなってんだ。


 俺と不完全燃焼のままの恋心だけが、置き去りにされていた。


 これ、やっぱり夢だよな。

 そう思っても落ち着かない。早く、目が覚めればいい。


 不意に胸が締め付けられた。切ない、苦しい。

 まるで、俺のラオンへの一方通行の恋心、そのもの。



『……ボクの欠片』


 ラオンの声がした。

 俺は振り向いた。けど辺り一面、霧しか見えない。


「ラオン、何処だ!?」


 俺の声が、僅かに反響する。



『ボクの、心の欠片』


 もう一度、ラオンの声がした。


 瞬間、俺は気づいた。

 耳に聞こえてるんじゃない。


 ラオンの声は、俺の心に直に響いていた。



『ボクの心の欠片が、淋しいって、ボクを呼んでるんだ……。暗い、ひずみの向こうで……』



 ラオンの、心の欠片……?


「どういう意味だよ、ラオン!」


 ラオンが俺の目の前に差し出した、クピト。


 これは、ボクの心の欠片なんだ。ラオンは、そう云っていた。


 俺の中に、嫌な予感を孕んだ不安だけが満ちていく。


 夢の中のラオンの、片方の眼から零れ落ちる涙。

 衛星モニターの画面の向こう、15歳のラオンの片方の眼から零れ落ちる涙。


 ラオンの内側で、何かが起こり始めている……?


 不確かだったそれが、ほぼ確信へと変わる。



『だから、向かえに行かなくちゃ……』


 ラオンの声が、霧の中に途切れる。



「ラオン!!」


 その時すでに、世界に歪みが生じていた。



         to be continue




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