守護天使(2)


 暗い海の底を泳ぐ影があった。

 サザエの甲羅を背負ったヒトデというべきそれは、どういう原理によるものか、身体をくねらせることもなく、何かを噴き出すこともせず、滑るように移動する。

 時折、甲羅から気泡が立った。


 サザエを被るヒトデ――ドローヴン達はやがて進行方向に目指すものを見つけた。

 それは、動く力を失ったように見える紺碧の装甲列車――2Cだ。


 別の方向からも、同じ物を捜索していたドローヴンが合流する。

 合計6体のドローヴンは2Cを包囲し、触手を伸ばす。

 すわ、そこから死の弾丸が動けぬ2Cに放たれる――と思われたが、意外にもドローヴン達はそのまま距離を詰めていく。


 彼等は2Cを鹵獲ろかくするつもりなのだ。

 操縦席に座る未沙は焦燥に駆られるが、こみ上げる嘔吐感は彼女から一切の行動の自由を奪っていた。


「ヒースがやります」


 補助座席に座っていたヒースヒェンが、傾いたコクピットの床を這うようにしてコンソールに辿り着く。

 その目には強い意志の光と――喜びの色がある。

 こういう状況を期待して、彼女は2Cに潜り込んだのだ。

 これで何らかの戦果を上げることができれば、敵の2C鹵獲作戦を打ち砕ければ。

 さすれば頭の堅い大人達も、彼女をパイロットとして採用することに頷くしかないはず。


「無理よ、お子様」


 それだけの言葉を吐くのでさえ、未沙には大儀だった。


「やってみなければわからないでしょう」


 稀人の訓練を覗き見ていたのだから、だいたいはわかる。

 そう考えていたヒースヒェンだったが、しかし、現実は彼女が思っていた以上に冷酷だった。


 動かせるかどうか以前に、操縦桿を掴んだ時点で警告音が鳴り響く。

 赤く表示されたエラーメッセージ達が、幼い少女に対して大人げないまでに存在否定の言葉をぶつけてきた。


「……あなた、知らなかったの……? TRRを動かせるのは、衛戸家に生まれた者だけよ」


 稀人はそんなことも教えなかったの、と未沙は呆れた。

 まさか稀人も今日知ったばかりとは思わなかったし、一家の誰もが少女に冷たい現実を突きつけかねていたなど想像もしていなかった。みんな、誰かが代わりに言ってくれるだろうと考えていたのだ。


「ヒースでは、TRRは動かせない……?」


 ヒースヒェンが呆然と呟く。それは、彼女自身の手で家族や知己の仇を討つことが実質不可能になってしまったことを意味していた。

 さっきまでその眼にあった光は霧散し、暗い洞窟のような闇が取って代わる。


 がくん、と機体が揺れた。

 遂に2Cに取り付いたドローヴンが、自分達の陣地へ運び込む作業に取りかかったのだ。



◆ ◆ ◆



 ETO本部・管制室に戻った稀人は真っ先に戦況を確認する。


 2Cは海中で動きを止めていた。2A、2Bはそれに近づこうとしているが、ドローヴン達がそれを許さない。


「稀人、今まで何処に……!」


 参謀である母の咎める声が飛んだが、稀人は言い訳などしなかった。


「琴巳さん、俺とマークワンを現場に転送してください」

「デザイン変更、途中だったんじゃないの?」

「途中ですが、飛びながら直します!」

「かまわん」と申造が言う。「発進を許可する」

「わかりました。稀人君、10秒後に送信するわ。9、8……」


 稀人はマークワンのデザイン修正アプリを呼び出し、途中保存していた作業データを修正していく。

 直前にカバリオから指摘されていた、可動の妨げになっていた部分は全て削った。

 穴の開いた背広のまま出勤するような応急処置だが仕方ない。


「1……ゼロ」


 カウントが終わると同時に、チャンネルを変えたように稀人を取り巻く風景が切り替わる。



 主戦場の後方、サーバーシティ上空にノイズが走り、スパークが散る。

 マルスウェアとは桁違いのファイルサイズを誇るTRRが強引に割り込んでくる痛みに、世界が悲鳴をあげているようだった。


 だがそれも数秒のこと。

 一瞬の閃光と共に、何もなかった空間にトリコロールの巨人が現れる。

 残響のように、一筋の紫電が散った。


「あれが、新デザインか……」


 後方を振り返った辰刀が嘆息する。

 生まれ変わったマークワンの勇姿は、もはやかつての原形を留めていない。


 大きさは1.2倍ほど。円柱を積み上げた格好の旧デザインと違い、アニメのロボットもかくやとばかりに複雑な立方体で構成されている。

 横に大きく広がった肩アーマーは胸部を守るようにも伸び、たとえるならかみしも肩衣かたぎぬのよう。


 下腕部には右腕にロケットランチャーを2門、左にブロッカーを取り付けてある。

 その分増加した重量を補うため、腿や脹脛ふくらはぎにはブースターを増設。

 単純な直線移動ならば出力で勝るマークツーに追いつくことも可能な計算だ。

 マークワンは飛行ができないという弱点があったが、それも克服している。


 だがそんな機能的な改良点など、稀人にとって瑣末さまつなものである。


 肩アーマーにある龍のレリーフの精緻せいちさにまず感動してほしい。

 絶妙な流線を描く肩部・腕部末端の美しさよ。

 そしてなにより、ヒロイックさと威圧感の同居する端整なマスク。


 ヴン、と唸りをあげてツインカメラが発光。


 かつてのマークワンはヒーローというより十把一絡じっぱひとからげにやられていく雑兵の趣があったが、この威厳あるフェイスを見てそう思う者はもはやいないだろう。


 完璧だ、とコクピット内で稀人は満足げに頷く。これでまともに可動するならば。

 いや、一部分のデザインを涙を呑んで妥協したのだから、動いてもらわねば困るというものだ。

 きっと動く。動くはず。たぶん動くんじゃないかな。


 幾分かの不安を胸に、稀人は操縦桿に手を伸ばす。

 コクピットの大まかなデザインはマルスウェアと大差なく、操作に不安はない。

 問題は操作通りに機体が動いてくれるか、だ。


「稀人御坊ちゃま、さっさと前進を」


 後部座席に座るネネコが、稀人のシートを後ろから蹴る。


『稀人君、まずは2Bの周りにいる敵を一掃して!』

「了解、マークワン改、行きます!」


 2A、2B各機は敵に包囲されていた。

 稀人の現在地に近い2Bから敵を撃破していき、2Aと2Bを2Cに接近させ、強制合体させる。そういう作戦の意図を稀人は察した。

 可能ならヒースヒェンのところに直行したい気分だったが、ここで駄々をこねて結果として救出を遅延させるような愚行は犯さない。


「いけえ!」


 右手に握らせたビームライフルを発射。

 融通が利かないくらいまっすぐに飛んだ光線が、2Bの周囲を蝿のように飛ぶドローヴンを貫く。


「ロケットランチャーの試射もさせてもらう!」


 ホーミング・ロケットはビームよりはゆっくりと、ただし敵を追いかけるように動く。

 ドローヴンは逃げようとしたが、遅い。

 光の花火がいくつか上がる。2Bはフリーの状態になった。


「やった、稀人お兄ちゃん!」


 自らも敵を撃墜しながら、2Bの砲手担当である礼亥は顔を輝かせた。

 どんな形であれ、兄弟全員で一丸となって戦える。それは礼亥にとっては心強く、喜ばしいことだ。

 だが嬉しそうな双子の妹の様子を盗み見る狗宇矢は、歯の隙間に挟まった物が取れないでいるような表情を浮かべながら視線を逸らした。


「次は2A!」

「いや、僕なら自力でクリアできる。3人はそのまま2Cに向かってくれ。敵は2Cを連れて行くつもりだ」


 味方を青、敵を赤の光点で表示した広範囲レーダーマップでは、2Cを表す光点がそれに群がる赤と一緒に移動していた。


「あいつら、2Cを……ヒースヒェンを連れて行くつもりか!」


 稀人はフットペダルを踏み込んだ。

 マークワン脚部のブースターが眩い光のエフェクトを表示して、機体を前方に押し出す。


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