電子の海で、マンモスを追う(3)


 手に入れた獲物は居住区で売りさばくのが定例である。

 だが船員達はその前に、2人の殉職者への追悼と自分達の胃袋をねぎらうことを選んだ。

 船内空間に急遽きゅうきょこしらえた大広間にマンモスを運び込む。


「じゃあ、切り分けるぞ」


 ミドルレイヤでの戦闘の本質は、ハッキングだ。


 ミドルレイヤで日常を過ごす人間達が、プログラミングやハッキングに精通しているかといえば、そんなことは全くない。

 むしろパソコンだって使いこなせるか怪しい者が大半だろう。


 だが、熟練者しかできないようなことを素人にもできるようにするのが科学技術というものだ。

 コンピューター操作を人間にとってわかりやすい身体動作や視覚情報に翻訳するTRは、普通の人々を低級ハッカースクリプト・キディに変える。


 毛皮や肉、甲羅といった『防壁』を銃弾や殴打という『ウイルス』で突破し、命という『メインシステム』を掌握し、支配下に置く――。

 そんな原始的といってもいい殴り合いが最先端の電子戦のあり方だった。

 余談だが、昔気質のハッカーからは「TR使いのハッカーには知性がない」と疎まれている。「これまでのハッキングは理数系だったが、TR時代のハッキングは体育会系だ」とも。


 ……そうして今、マンモスの生殺与奪を握っているのが船長だった。

 なんならこの状態からでも今すぐマンモスを復活させることもできる。もちろんそんな無駄はしないが。

 船長はマンモスを構成するデータの1部を自分達のために切り取る。

 更にそれを各員へ平等イーブンに分割し、分配。


「各自、行き渡ったな」


 船長は一同を見回し、グラスを掲げた。


「――エデンレイヤに、乾杯!」




 ミドルレイヤが発見される、ずっと昔。


 ある冒険家が、電波など届くはずもない山の中で戯れにWi-Fiの接続先を探した。

 するとたった1件、詳細不明の接続先が表示されたという。

 冒険家がそれを選ぶと、かなりの時間待たされたあとに、見たこともない文字――あるいは図形――の羅列されたサイトが強制的に表示された。怖くなった冒険家はすぐに端末の電源を落としてしまったが、後にあれがなんだったのか確かめようとしても、2度とそのサイトには辿り着けなかった。


 謎のサイトの噂は冒険家の知己を通じて広まり、嘘か誠か、その後も目撃証言は続いた。

 その中の何名かはスクリーンショットを撮ろうとしたが、画像ファイルは破損するか真っ白の状態で、撮影に成功した者は1人もいなかったという。

 そしてやはり、謎のサイトのアドレスは一時ファイルからも閲覧履歴からも消え、2度と同じ方法ではアクセスできなかった。


 やがて複合現実MRデバイスによる3Dネットサーフィンがメジャーになった頃、1人の男が謎のサイトに接続する機会を得た。

 そして彼は知る。謎のサイトは2Dで見ても意味がない。3D情報として閲覧してはじめて、真の姿を捉えられるのだ。


 彼――万木まんき貞彦さだひこは言った。「神の国の扉を開いた」と。

 エルドラド、シャングリラ、ニライカナイ――古代の人々が海の向こう、深山幽谷しんざんゆうこくの奥深く、または荒野の果てに求めた理想郷は、この3次元物質世界のどこかではなく、コンピューターネットワーク上の仮想空間の隣にこそ在ったのだと。


「あれはサイトなんてものじゃない。1つの、異なる世界だ」


 万木は謎のサイト、いや謎の世界を『エデンレイヤ』と呼んだ。

 彼がエデンレイヤから持ち帰ってきた『知識』は人類の科学を超えたもので――後にそれはTR技術として活用されることになり、彼に多大な財産を与えた。


 エデンレイヤにはもっと多くの知識が眠っている。癌の特効薬、不老不死の秘術、恒星間飛行技術――。それは現代の宝島であり、そしてこの世界はそんな夢にすがらねばならなければ、誰も明るい未来を見いだすことができなくなっていた。


 エデンレイヤから知識を持ち帰ること。または安定してアクセスできる固定ルートを見つけること。それを目指してあらゆる国家、企業、個人が電子の海の冒険家となった。電子大航海時代の幕開けだ。


 ミドルレイヤも、その過程で発見されたものにすぎない。

 全人類をデータ化して放り込んでもまだ容量に空きがある広大な世界は、エデンレイヤとボトムレイヤの狭間にある世界として、電子の船乗り達の停泊地となった。


 この帆船の乗組員達も、そうした電子の探検者――エレクトロ・エクスプローラー、略してエレクプローラーの1組織だ。


「さっきは凄かったな。正式にうちの船員にならないか?」


 ホールの隅で所在なげにしている稀人に、船長が話しかけてきた。


「いえ……その、学校がありますので。ボトムレイヤに」


 穏便かつ迅速に断るために、稀人は適当な嘘をつく。

 だが船長に対しては逆効果となった。


「フン、学校か。しかもボトムレイヤに? 今どき、半端な学歴を積むくらいならエレクプローラーに専念した方がマシだと思うがね? 肉野郎ミートンに何か吹き込まれたかな?」

「いえ……」


 ミートンとは、TR技術やその利用者に強い嫌悪感を抱くボトムレイヤ至上主義者への蔑称べっしょうだ。

 逆にミートン側はミートン側で、ミドルレイヤ至上主義者を電気幽霊エレストと呼んで見下している。


「エデンレイヤに到達し巨万の富を得る確率は小数点以下でも『ある』が、真面目にコツコツ働いて報われる可能性は『ゼロ』だ。ティーバッグみたいに散々絞り尽くされた挙句、捨てられるのがオチだよ」

「は、はあ……」


 ブラック企業が横行する暗黒時代の最盛期を過ごしたらしい船長は、勧誘という当初の目的を忘れ社会への怨み節を繰り返す。稀人は表情設定を営業スマイルモードに固定し、陰鬱な呪詛じゅそのリフレインが終わるのをひたすら待つ。


 やがて副隊長が船長を呼び、稀人はめでたく解放された。

 狩りにおける独断専行から副隊長は稀人をトラブルメーカーと認識している。

 お互いの利害が一致したわけだった。


「……なあマレト、なんで断ったんだ? 嘘までついて」


 タイガがそっと話しかけてくる。

 彼とイナバは、稀人がバリバリのエレクプローラーであることを知っていた。


「俺は孤独を恋人に、孤立を友人に、孤高を相棒として生きる男だからだ」

「翻訳プリーズ」

「……1人でやるのが性に合ってる」

「一匹狼、か。すごいね」

「いやいやイナバ、全然凄くないぜ。こいつ、単に意地張ってるだけだから。自分のマルスウェアの維持にもピーピー言ってるくらいだもん。なあマレト?」


 タイガの指摘は当たっている。

 そうでなければ余所のチームのヘルプになど入っていない。


 1人ではやれることも限られていて、扱える仕事も小さくて、ましてや稀人のように家を飛び出してきた人間には現状維持すら手一杯だ。

 だが反面、取り分は全て自分のものだし、わずらわしい人付き合いもない。

 何より。


「……他人の都合で動かされるロボットになるのは嫌だからな……」

「ん、なんだ、翻訳くれ。意味わからんうえ、よく聞こえんかった」

「ただの独り言だよ」


 稀人は手に持った皿を見下ろした。

 マンモスの切り身はまだ手つかずでそこにある。


 3Dフォトをハサミで切り取ったかのように分割されたマンモスの姿は、屠殺場にぶら下がる解体されたばかりの獣肉とはまた別ベクトルでグロテスクだと、稀人は思う。


 電子精獣の肉にはデータの質の違いはあっても味の設定など存在しない。稀人は調味料アプリを起動した。この前購入したばかりの、高級ステーキレストランの味設定をマンモスの肉に付与。アプリのアイコンに被さった使用限度カウントが1つ減る。


 かじりつくと、舌の上でとろけるような上質の牛肉の食感と、芳醇ほうじゅんなオイスターソースの味が口の中に広がった。

 データ密度の高いマンモスの肉は歯応え食べ応え共に満点である。


「うお、やっぱ美味うまっ……、いや、えっと、絶妙な……絶妙なまろやかさとコクのハーモニーが……えっと……」

「芸術家ぶって難しいこと言おうとしなくていいって」


 戦闘がハッカーとセキュリティの攻防を表現するものなら、食事は相手のデータを取り込む操作のボディ・ジェスチャだ。

 取り込んだ分だけ喪失した自己のデータ容量が回復し、本来持っていたデータまで失う危機から1歩遠ざかる。

 満腹感というシグナルが、容量が規定値まで回復したことを教えてくれた。


「エデンレイヤに行けば、もうあくせく狩りをしたり畑を耕したりしなくていいのかな」

「さあ」


 ボトムレイヤと違い、食事プロセスが終了した途端口の中から食べ物の味が消えるのは味気ないな――と稀人が思った次の瞬間。


 船が大きく揺さぶられた。


「何事だ!?」

『て……』


 観測手は口の中で処理中だった食事データを強制終了してから、言った。


『……敵襲です!』


 エレクプローラーに敵は多い。彼等を一攫千金狙いのアウトローと鼻つまむ世間の目は除外するとしても、攻撃的な電子精獣、ライバルを物理的に潰そうとする同業者、あるいはいわゆる海賊、そして。


『エデンゲイターです! エデンゲイターの編隊が!』


 観測手が外部映像を全員にシェアする。

 そこには、ミドルレイヤで最も危険な存在が映っていた。


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