守護天使(5)


(……なんだ? 今こいつ、なんだって?)


 稀人は耳を疑う。


「は? そんな……人類のどこが素晴らしい生き物なんだよ? あんた達の方が確実に科学力は上だろ!? たいしたことないって!」


 人類の愚かさなど、説明するまでもない自明の理だ、稀人にとっては。

 自分達と違う者、劣った者、悪と判じた者に対して人はあまりにも残虐である。強ければ弱い者に対して冷酷に振舞い、弱ければ醜く泣き喚いて配慮を強請る。

 即物主義と商業主義ばかり優先し、文化や倫理や高潔さ、他者への思いやりなどすぐに捨ててしまう。あるいは、道徳さえも他人を攻撃する武器にするかだ。

 目的のためには手段を選ばない。それがリアリストのやり口だと言い張る浅ましさとせせこましさは見るに耐えないほど醜悪だ。

 他人を道具のように支配し使い潰す、それだけの価値が自分にはあると信じて疑わない厚かましさは、いったいどこで手に入れたのだろう。


 もちろん、かくいう自分自身だって非の打ち所はありすぎるということは、稀人も自覚している。

 それこそが最も絶望的なことだ。


 正直、人類なんか滅んでしまえばいいとさえ稀人は思っている。

 そしてそんな生き物が徘徊するこの星自体も、ろくでもないものであるだろうとも。


 なのに、アルムヌスはそれを肯定するという。


「限られたリソースしかない世界において争い合うのは必然。それを醜いと感じられるのは、それだけ高い理想を抱いている高潔さの証左と言えよう」

「どこが高潔だ。あんたは何もわかっちゃいない。醜いものはそのまま醜いんだよ。人類なんて粗野で野蛮で無知蒙昧むちもうまいな未開の猿じゃないか」

「汝等は既にそのTRRで何度も我々の攻撃を凌いできた。充分な文明を有している」

「いや、そんなのまぐれまぐれ。ラッキーヒット、ビギナーズラックですよ。それにTRRなんて地球じゃ例外中の例外だし、それを基準にされても困るっていうか」

「まぐれもこれだけ続けば実力と判断すべきだ」

「おい。なんでそんなに地球と人類を買ってるんだ? バカなの? 目玉か脳味噌腐ってるの?」

「は?」

「いい加減にわかれよ! 現実見ろ! 人類なんざ滅んだ方がいいクソだって言ってんだろうが!」

「なんだおまえは!? もっと同胞を信じたらどうだ!?」

「信じられるか! 俺はおまえみたいに頭ン中お花畑じゃねーんだよ!」


「……可哀想な奴だな」


 ぽつりとアルムヌスは呟いた。

 最大限の哀れみを込めて。


「自分の住む星を愛せず、隣人を信じられず、きっと己自身すら受け容れられぬのだろうな」

「…………ッ!」


 その瞬間、憎しみが愛を超越し、稀人は美の信徒であることをやめていた。

 マークワンの脚がイオフィエルに叩き込まれる。遠隔操作だ。

 肩から落ちそうになった稀人だが、即座にアバターをコクピットに転送。


「貴様!」


 アルムヌスは青筋を立てた。

 話し合いだといって出てきてみれば、一方的に打ち切られた挙句攻撃されたのだ、仕方ない。

 だが頭に血が上っているのは稀人の方でもある。


「何が……何が悪いッ!?」


 稀人は奥歯をこすり合わせる。


 自分の住む場所に愛着がわかなくて悪いか。

 家族や他人が愛せなくて悪いか。

 自分自身を認められなくても、それを他人にとやかく言われる筋合いはない。


 ――切り捨てられ、突き放され、否定され、実の親からさえ道具のように扱われても、それでも「世界は美しい。人間は素晴らしい」と言わなければならないというのか!?

 それは、あまりにも一方的じゃないか!


「わかった風な口を利いて、人を哀れむな!」


 敵に向かって自分を正しく理解してほしいなどと言うのは、酷くみっともないことだと思う。

 その情けなさも相まって、稀人はひたすらマークワンの四肢をがむしゃらに動かし続けた。


「おまえに! 俺を理解する知能も器もないのは勝手だがッ! 見下される筋合いはないッ!」


 駄々をこねる子供のようにじたばたと、傍目にはみっともなく動くマークワンの手足は、しかしイオフィエルには全くダメージを与えていない。

 性能が違いすぎる。湿った泥のような絶望が稀人の心を押し潰していく。


「――稀人!」


 マークワンを掴んでいたイオフィエルの腕が肘から断ち切られた。

 そこには、剣を構えるTRR-Mk2の姿。

 稀人とアルムヌスが会話をしている間に、辰刀達は2Cの奪回を果たしていたのだ。


「やはり罠だったか……!」


 アルムヌスは憎しみのこもった目を、マークワンに向けた。


「そうだ!」


 実際には違うのだが、稀人はそう吐き捨てるしかない。

 怒るがいい、アルムヌス。この汚いやり口こそ、人間の所業と知るがいい。人間を信じ賞賛した、己の不徳を恥じるがいい。


「やはりカオスへイムの住人など、信ずるに値しなかった! やはり貴様等は選ばれた民たりえない! 稀人といったな、この不義理には報いを受けてもらうぞ!」


 再び炎の剣と転じたイオフィエルは、風のように戦闘領域から離脱していく。


(何をやってるんだ、俺は)


 稀人はシートベルトが深く食い込むほど、身体を脱力させた。


 散々嫌がっていながら結局父の走狗に堕ち、マークワンを仕上げることもできないまま、美と芸術を愛する者でありながら激情に任せてイオフィエルを攻撃し、自ら話し合いによる決着をぶち壊し、そして――ヒースヒェンを救い出す役目さえ、自分の手で成し遂げられない。


「……稀人御坊ちゃま」


 ネネコは傷心の主に何か声をかけようかと迷ったが、彼女の電子頭脳は適切な語句を検出してくれはしなかった。



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