守護天使(6)
ボトムレイヤに帰還したヒースヒェンに、礼亥は飛びつくように抱きついた。
「駄目だよヒースヒェンちゃん、TRRに忍び込むなんてことしちゃ!」
「……ごめんなさいでした」
「怖かったでしょう?」
「いえ……未沙おばさんが、ずっと励ましてくれたので、怖くはありませんでした」
は? とその場にいる全員の目がヒースヒェンに向けられた。
「馬鹿な、未沙姉が他人に追い打ちをかけこそすれ、励ますなんてことするはずが……」
「恐怖のあまり幻覚でも見たんだね、きっと」
狗宇矢はともかく、カバリオまでもがこの言い草である。
ヒースヒェンは未沙という女性が少し可哀想になってきた。
「本当です! 『大丈夫、稀人はともかく他の奴等は頼りになるはずだから安心しなさい』って言ってくれました!」
それで、ちょうど転換機から出てきたばかりの未沙は一同の生暖かい視線を一身に浴びることとなった。
「……なによ?」
「別に」
その中に、稀人がいないことにヒースヒェンは気がつく。
見れば、転換機から出てきた彼は脇目も振らず部屋を出て行くところだった。
「おにーさ……」
「稀人御坊ちゃまは、旦那様に呼ばれております」
稀人を追いかけようとするヒースヒェンの進路に、ネネコが割り込む。
「それよりヒースヒェン御嬢様には、御勝手に2Cに御乗り込みになった責を御受けしていただかなければなりません」
「う……」
ぴしゃり、と稀人を送り出した自動ドアがその寂しげな背中を少女の目から遮った。
◆ ◆ ◆
暖かみという言葉を全く連想しない、鉄と金属で囲われた我が家の廊下を稀人は進む。
(父さんの呼び出しって、なんだろう)
道に迷ったふりをしてすっぽかすという選択肢も浮かんだが、壁の電光掲示板は稀人のために矢印を表示し、子供のような言い訳を一切許してはくれそうになかった。
そうして辿り着いたのは、彼が家出期間中に住んでいたワンルームよりも広い部屋だ。
奥の壁には円柱形の大きな機械が半分壁に埋もれるように設置されている。
機械の前には母もいた。
「まずは戦闘、お疲れ様、稀人」
「…………」
母の物腰は柔らかいが、感情がこもっていないように感じられるのは何故だろう。
どういうわけか、稀人は幼い頃から母に親しみを感じたことがない。
「……父さんは?」
「ここだ」
円柱から父の声がした。
「通信装置越しで話すなら、わざわざ俺を呼びつける必要ないだろう」
「そうじゃないのよ、マー君。なんていったらいいか……」
「私はこの中にいる」
再び、円柱から父の声がした。
円柱の上半分、大の男の目線の高さより少し高いくらいの位置にモニターがあった。
そこに表示されたのは、趣味の悪いチューリップハットを被った男の
コンピュータ・グラフィックスで構築された父が稀人を
こんな見てくれの悪い男の顔を描かなければならなかったなんて、デザイナーは前世でどんな業を背負ったのだろう。そんなことを稀人は思った。
「この機械が、ボトムレイヤにおける衛戸申造の全てだ」
「冗談はいいからとっととその狭苦しいところから出てきてくださいよ。狭い場所がお好きならもっといい場所がありますよ。棺桶っていうんですが、なんでも天にも昇れるような心地になれるとか」
「相変わらずセンスのない返しだ。いっそ阿呆のように驚けばいいものを」
「つまりね」
母が説明を引き継いだ。
「お父さんは、国連経由で全人類に対し首から下を献体として供与したの」
「は?」
「TRRを、衛戸一族以外の者が使えるようにする、その一助になると考えたからだ」
「そして首だけになったお父さんは、この機械によって生命維持がなされている」
「…………」
そういえば、この家に帰ってから父と生身で出会うことがなかったのを稀人は思い出す。いくら屋敷が広くても、同じ家に住んでいれば顔をつきあわせることくらい、あったはずなのに。
「私は、既に自分自身さえこうして犠牲にしてきた。おまえが自分達子供だけ酷使されていると思っているなら、それは間違いだと言っておきたかった」
「ふざけるなよ。あんたがどんな犠牲を払ってきたか知らないが、俺が同じ犠牲を引き受けるかは俺の勝手だ、関係ない」
子供を勝手に兵器のパーツとして養育し、それ以外の進路を許さない。
自分の子供だから、人類のためだから、自分もこれだけ犠牲を払ったのだからこれくらいは我慢してもらおう。そういう甘えでこの男は稀人達の人生を踏みにじってきたのだ。
それを許せなかったから、稀人は家を飛び出した。
誰からも賞賛されず、うらやましがられることもないであろうその日暮らしの人生でも、自分で選んだ生き方ならば悔いはない。
なのに――。
稀人は衛戸家に引き戻されてしまった。
「謝罪はしない。私は、正しい解を選んできたという自負がある」
衛戸申造は、ただの救世主願望をこじらせた人物ではない。
自分達が英雄であるために、ETOの持つ技術を独占するようなことはなかった。
マルスウェアはTRR-Mk1の技術を公開したからこそ生まれたものだ。
そんな父を公明正大な人物だと思っていた時期は、稀人にもあった。
しかし――自分の肉体まで供与したと聞いて、稀人が感じたのは恐怖だ。
「父さんは狂ってるよ。なんでそこまでできるんだ」
「人類を守るためだ」
「それは、何のためだ?」
「何のため……?」
申造は質問の意味がわからない、という顔をした。
「人類を滅亡から救うのに、理由がいるのか?」
「いる!」
稀人は断言する。
人が動くのは正義のためではない、利益のためだ。
人類愛、名声欲、金銭――。何にせよ、その者自身が欲する何かが得られてはじめて、人間は動こうとする。
自分の身体まで投げ出して、その代償として得られる利益とは、何だ?
父のそれが、稀人にはわからない。
まるで、人類を守るようプログラムされた生き物のようだ。
「……セキュリティプログラムが、人間の形をして動いているみたいだ」
「人間型セキュリティか」
CGの父の顔は口の端を吊り上げた。
「――上手いことを言うな。そう、私は、いや衛戸一族とはそういうものかもしれん」
「大昔ならともかく、今どき、一族の使命に殉じるなんて馬鹿じゃないのか」
山奥の寒村か絶海の孤島に引きこもり、他の価値観に触れることなく生きてきたならそれもありうる。
だが今の時代、どこにでもネット端末は転がっているし、通信にしろ通学にせよ学校には通う。社会と接触する機会はいやでもある。
そうした中で自分を縛り付ける滅私奉公的価値観を選び取る人間なんているはずがない。
「だが実際に、私はそれを選んだ。そしておまえにもそれを選んでほしいと思う」
「……俺には無理だ」
アルムヌスとの対話でわかってしまった。
自分は人類愛など持ち合わせていない。家族も、人類も、大嫌いだ。
「俺には、恋人も、友人もいない。あんた達だって好きじゃない。不遇なまま生涯を終えた芸術家が死後に持て囃されたって話を聞く度、人間って奴の信用できなさに絶望したよ」
ひょっとしたら、まともな両親の元ですくすくと育っていても、やはりあの場はああいったかもしれない。
「だからこそだ。愛ではなく、義務で戦う者にこそ、衛戸一族の資質がある」
己を捨て、1個のセキュリティ・プログラムに徹することができる者こそ英雄になれる――そう、父は言った。
「僕は……いやだ」
自分は俗物なのだと稀人は自覚する。
利益がなければ動けない。動きたくない。正義の味方には、程遠い人物だ。
芸術家にさえなれない凡人。
ひょっとしたら兄や姉は父の献身的な生き方に感動したかもしれない。
けれど稀人には、今すぐこの家自体から出て行ってしまいたいという思いしか浮かばなかった。
「だが、己を殺し、防人という1個の機械に徹するくらいの気持ちがなければ、アルムヌスには一生勝てないぞ」
それでもいいのか、と父が問う。
「アルムヌスを……」
倒したい。力で奴をねじ伏せて、自分の方こそ正しいと言ってやりたい。
そのために、己を捨てねばならないというのなら。
俺は。
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