第2章「楽園の守護天使」

未沙、特攻(1)


 カバリオの仕事はTRRの調整と保守である。

 衛戸申造の秘密主義もあってか、部下はいない。

 戦闘部隊が戦えるか否か、全てが彼の双肩にのしかかっていると言える。


 それを誇りに思ってはいるが、疲れた身体をベッドに投げ捨てるように横たえたときなどは、流石に助手の1人くらい欲しいと切に思う。


 シャワーどころか着替えさえしていないが、そのまま寝てしまおうと仰向けになった時だった。


「――お疲れのようね」

「ひっ――!?」


 自分1人しかいないはずの真っ暗な部屋の中、自分を見下ろす2つの目に気づき、カバリオは心臓が止まるのではないかというほどに震え上がった。


「どうしたの、そんなに怯えて」


 声の主が妻の未沙であると気づくまで、カバリオは数秒の時間を要した。


「な、なんだ、君か……驚かせないでくれ。寿命が縮まった」

「妻が夫の部屋にいることがそんなに驚くことかしら」

「灯りも点けずに部屋の中に座っていればね」

「節電よ」

「君は時々ボクの理解の及ばない行動をとるよね。そこが魅力的なんだけど」

「そう」


 未沙は特に面白くもなさそうに頷いた。

 自分が魅力的なのは当たり前だ、と思っているのかもしれない。


「それで、こんな夜遅くに何の用なのかな?」

「もう世間一般的には朝よ」


 時計を見れば、午前5時だ。

 昼間でも眠れるよう、遮光率の高いカーテンにしていた所為で気づかなかった。


「じゃあ訂正する。こんな朝早くに何の用?」

「どうなの、稀人は? あなたから見て」


 稀人がETOに編入されてから、もう2週間が経っていた。


「よくやっている。今日の敵だって、彼の機転が元でピンチを脱したんだ」

「……そうなの」


 未沙はそれを見ていない。赤ん坊に差し障ると言われ、エデンゲイターとの戦いに関する情報はシャットアウトされてしまっているからだ。


「何も問題はないっていうの?」

「ああ、ないね。ボクとしてはこのまま君の代わりを続けて欲しいくらいさ」

「…………」


 カバリオの発言は妻を安全な場所に置いておきたいという気持ちから発せられたものだが、当の未沙はそう受け取らなかった。


「……あたしはもう要らないのね」


 押し殺したその声は、もう意識の半分を夢の世界に送り込まれているカバリオの耳には届かなかった。


「もういいかなミサ、ボクは今すごく疲れていて――」

「ええ、邪魔したわね。おやすみなさい」


 既に寝息を立て始めた夫を残し、未沙は部屋を後にした。


 次に彼女が向かったのは、弟の部屋だ。

 寝ぼけ眼の稀人が出てくるまで、未沙は何度もインターフォンを鳴らしてやらなければならなかった。


「いや、1回目で聞こえてるから。『ちょっと待ってて』って言ったよね?」

「さっさと出なさいよ、餌にありつけないハイエナみたいに痩せてるくせにウシみたいに鈍重なんだから」

「……なんで俺、安眠妨害された上にディスられてんの……?」

「批難されるような要素を改善しないのが悪いのよ」

「人は完璧な存在にはなれないんだよ姉さん」

「それでもなろうとするべきだわ、このあたしのように」


 稀人は力ない笑みを浮かべるしかない。


「それでそのパーフェクトなお姉様が、俺みたいな凡夫に何のご用件でしょうか?」


 未沙は稀人に人差し指を突きつけた。


「決闘よ、稀人。あたしと2Cパイロットの座をかけて、勝負しなさい」

「その話、もう終わったんじゃなかったの?」


 稀人が辰刀と戦い、引き分けでもすれば産休を受け容れると言ったのは姉自身のはずだ。

 そして稀人が見事相打ちに持ち込み、勝利したのは彼女も見たではないか。


 いや、と稀人は考え直す。

 昔から往生際が悪くて執念深いのが姉だった。


「で、どうすればいい? また兄さんと戦うの?」

「辰刀は信用できないわ。あいつ、わざと負けたのかもしれないし」

「それは俺も否定しないよ。でもじゃあ誰が俺と戦うんだ。カバリオさんか?」

「あたしよ」

「……正気か、姉さん」

「あたしはいつだって正気だわ。やるの、それとも逃げるの?」

 


◆ ◆ ◆



 結論からいうと、決闘は僅差で稀人の勝利に終わった。

 信じられないという顔で未沙はシミュレーターのコンソールに突っ伏す。


「やっぱりこんなシミュレーターじゃなく、ミドルレイヤに行って戦いましょう」

「こんな時間に? 父さん達にバレるよ?」


 ふあああ、と稀人は気の抜けた欠伸をする。

 単純に眠気からくるものだったのだが、未沙は稀人が本気を出さずに自分と戦っていたものと捉えた。


(あたしは、いつの間にか稀人にすら追い抜かれていたというの……?)


 未沙は真っ暗な落とし穴を落ちていくような感覚に襲われた。


「……姉さん? 俺、もう部屋に戻るよ」


 呼びかけても返事をしない姉をおいて、稀人は自室に戻る。

 未沙はそれに気づいていなかった。思いつめる彼女の意識からは弟の存在は消えている。


(あたしの築いたものが、全て失われていく)


 2Cパイロットの座も、磨いた操縦技術も、父からの信頼も。

 それが無くなった今、自分にどんな価値があるというのか。

 子供を産むまでの辛抱と思っていたけれど、その後、はたして自分の椅子は残っているのか。


「みんなみんな、邪魔ばっかり……!」


 辰刀。2番目に生まれてきたのに、男というだけで父から1番に愛されている。

 稀人。出来損ないのくせに、あたしの地位を脅かす。

 まだ名も無き我が子。この子のせいであたしは。

 カバリオ。あたしを妊娠させておいて、自分は何も失わないなんて、許せない。


 未沙はギリギリと爪を噛む。

 いっそ階段から落ちるとか水風呂に入るとかして流産してしまおうかと思ったが、自分の身体がダメージを受けるのは、もっと馬鹿馬鹿しい気がする。


(……父さん)


 父は、喜んでくれると思っていたのだ。

 自慢の息子である辰刀には、もはや孫は期待できない。

 稀人に至っては恋人さえできるか疑わしい。

 だから自分が初孫を見せれば、父はきっと自分のことを1番に見てくれるようになるはずだった。


 しかし――。


 妊娠の報告を聞いた父は、眉をしかめてこう言った。


「稀人を連れ戻す必要があるな」


 何故そうなる、と呆気にとられて、すぐに未沙は理解した。

 父にとっては孫などよりも、TRRのパイロットに欠員が出る方が重要事だったのだ。


 それでこそ父だ。

 私事ではなく、世界平和を第一に考える高潔な精神の持ち主。

 そんな偉大なる父が凡庸な老人達のように孫に目が眩むと考えただなんて、まったく自分はどうかしていた。


 思えばすぐに中絶すると宣言するべきだった。

 だけどできなかった。少なくともあの時は、そうすることは「私は前言をペラペラ覆す恥知らずです」と言うようなものだと思えたのだ。


「……そうだわ」


 不意に、問題を解決する方法が頭の中に閃いた。

 未沙はにんまりと顔を歪める。


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