天の獄卒、地に立つ守護神(2)
少女を見捨てると言い放った稀人に対し、イナバの冷たい視線が突き刺さる。
間違ったことは言っていないと稀人は自分に言い聞かせ、視線に対して正面から迎え撃った。
「本気なの、マレト?」
「それはこっちの台詞だよ、イナバ。自分の命を捨ててまで他人を助ける義理はなし、またそれを強制する権利なんて、誰にもない」
「女の子がいるんだよ!?」
「それがなんだ? 女の子なら助けなきゃいけなくて、男の子や、あるいは成人だったら見捨てていいのか? 違うだろ? 最初に見捨てるつもりだったのなら、相手が誰でも見捨てればいい!」
「……偽善だって、言いたいわけ?」
その時、外部カメラの映像の中で光が瞬いた。
キャラバンの1体が撃墜されたのだ。
「もういい。アタシ達だけで行く!」
無駄な言い争いなどしていられない、とイナバとタイガが背を向ける。
慌てて稀人は2人の肩を掴んで引き留めた。
短い間だったが、一応は友人だったのだ。
友達が危ない橋を渡ろうとするなら、嫌われてでも止めるのが友情だろう。
「待てよ。そもそも、本当は女の子じゃないかもしれないじゃないか……」
ミドルレイヤにおいて、見た目の年齢と性別などあてにならないものだ。ボトムレイヤで化粧や変装をするよりずっと簡単に、そして自由にアバターのカスタマイズが可能だからである。年齢性別を偽るなど、造作もない。
それは稀人よりミドルレイヤでの生活が長いイナバの方がわかっているはずだ。
だが。
イナバの手がひるがえり、稀人の頬で大きな音を立てた。
ビンタされた稀人は床に倒れ込む。
「ミートンみたいなこと、言わないでよ! ボトムレイヤじゃどうあれ、ミドルレイヤで女の子なら、女の子だよ!」
「イナバ……」
イナバはゆっくり息を吸って、吐いた。
「……実はアタシ、ボトムレイヤじゃ男なんだ」
「は? え? あ?」
いきなりのカミングアウト。稀人は呆気にとられるしかない。
「別に性同一障害とかそんなんじゃなくて、ただ男であることが息苦しくてたまらなかった。ウチはみんな頭が堅くて古くてさ、男は泣いちゃ駄目だとか、弱音を吐くなとか、甘いもの食うのは恥ずかしいとか言われるんだ。理不尽だと思わない? だからアタシはミドルレイヤで女になったし、今も女だと思ってる」
だからイナバにとって、あそこにいる少女は嘘偽りなくただの小さな女の子なのだ。
「大人だったら見殺しにして、子供だったら助けようとするのは、確かにマレトの言うとおり偽善かもね。でも、だったら、何? 人を助けたい気持ちに、真実とか嘘とか、どうでもよくない?」
「……それは」
「でもって、あの子を見て気づいたんだ。男らしくしないってことは、卑怯になることでも、かっこつけないってことでもないんだって!」
「…………!」
イナバの姿がかき消えた。コクピットに転移したのだ。
「ごめんなマレト。あいつ、その場のノリ最優先の
でもさ――、とタイガは困ったような、気落ちしたような、微妙な表情を浮かべる。
「おまえが来てくれるんなら、やれそうな気がしたんだけどな」
苦笑を残して、タイガも後を追った。
間もなく、帆船の外に2人のマルスウェアが出現する。
バーニア光を閃かせ、機影が打ち出されたように帆船から離れていった。
「……勝手にしろよ」
撤退という判断自体は妥当だったし、周囲の圧力に屈することなく己の意見を貫き通せた。
個人主義者を目指す稀人にとって、胸を張っていいはずだ。
自分の判断は間違っていない。
何故俺がイナバのメサイアコンプレックスに付き合わなきゃならないんだ。
そうだ、自分の命を他人より優先することの、何が悪い?
あいつらがおかしい。正しいのは俺だ。
「死にたいんなら、死ねばいい」
稀人にとってあの2人は友人とは言い難い存在だった。
馴れ馴れしく近寄ってきて、嫌がらせをイジリと評し、人の安息をかき乱すことが善意と思っているような手合いだ。根っこの部分で相容れない存在で、『仲良く』できていたとしたら、それは稀人の忍耐によるところが大きい。
これでいなくなるならむしろ清々する。
それなのに、柔肌を爪でかきむしられるような苛立ちが稀人の心をざわつかせ、いつまでも解放してくれなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます