エアリアル・ファイト(3)
小さい子供のように――あるいは子供らしく――泣くヒースヒェンの姿に、稀人は束の間言葉を失った。
「……兄さん。まさか、本気で叩きのめしたってのか」
兄の方を見ずに、稀人は言った。
ああ、とこともなげに答える兄の声。
「復讐なんて何も生まない。自分の力量を思い知らせて、すっぱりあきらめさせた方がいいと思った」
「……人間の人生そのものが無意味って考えもある」
「は?」
「何か生もうが生むまいが、それをするしないはそいつの勝手だろ」
自分でも何を言いたいのかよくわからない。
きっと正しいのは兄なのだろう。兄はいつだってそうだ。
でも――正しいかどうかと、納得できるかどうかというのは別の話だ。
でなければ正論ばかり言う奴が嫌われたりしない。
稀人は励ますようにヒースヒェンの肩を軽く叩――こうとして、事案になりそうだったのでやめた。
その代わり、兄に向かって宣言する。
「選手交代だ、兄さん。俺が、ヒースヒェンの代わりに入隊試験を受ける」
「替え玉受験か。犯罪だよ? いいけど」
「――面白そうじゃない」
そう言って割って入ってきたのは、未沙だった。
「騒がしいから来てみれば。――そこのお嬢ちゃん、わめくんじゃないわよ。泣けば誰かが助けてくれると思ってんの?」
「…………!」
ヒースヒェンは未沙を睨む。
人は泣きたいから泣くのであって、いちいち下心を捏造されるのは不愉快極まるというものだ。
だが未沙にとっては泣かれるよりは睨まれる方がマシだった。鼻で笑う。
未沙は模擬戦のセッティングに駆り出されていたカバリオに歩み寄り、なにやら耳元で呟く。
カバリオの顔色がさっと青くなるのを稀人は見た。
いったい何を吹き込まれたのか。悪い予感しかしない。
「おまえが残ってくれるなら嬉しいが、この4年で腕が落ちていればいても仕方ないからな……。本気でいくぞ、稀人」
どこか嬉しそうに、兄は言った。
◆ ◆ ◆
ミドルレイヤの空を横切る影があった。
四角い箱から申し訳程度の機首と翼を伸ばした不格好な形状の、全長5メートル程の小型電気飛行機だ。
その狭いコクピットの中で、稀人は必死に外部カメラの映像とにらめっこする。
「どこにいるんだ、兄さん!」
その声に応えるように、雲を突っ切ってもう1台のトリファイターが飛び出す。
機首先端のバルカン砲が火を噴いた。
「ちっ!」
稀人は戦闘機をのけぞらせながら後退させ、ジグザグに飛行し雲の中に隠れた。
同時に急制動をかけ、その場で180度ターン。小川を流れる笹舟のように低速で移動しつつ、敵の出方を窺う。
小型とはいえ、トリファイターはTRR各機のコクピット兼エンジンとなる機体だ。
この時代の戦闘機が可能なマニューバは一通りやれるだけのパワーはある。
「ネネコ、被害状況は!?」
Gに悲鳴をあげる身体をなだめつつ、稀人は後方の
そこに座るのは、メイド服を着た
頭には黒い円盤が2つついたカチューシャをつけている。
これがネネコの、ミドルレイヤでのアバターだった。
「御機首に御掠り傷ができただけです。後少しでも御前進されていたら御コクピットに御直撃で御陀仏で御座いました」
喋り方も
視界の隅で通信ウインドウが開く。
心底弱った風なカバリオが顔を覗かせた。
「マレト、頼む。勝てとまでは言わないが、もう少しいいスコアを残してくれ。でないとミサが安心して出産に踏み切ってくれないんだ」
「だったら気を散らすな!」
稀人と辰刀の戦いは、シミュレーターではなく、ミドルレイヤ上に構築した海の上で行われる実戦となった。
そしてその戦いは姉夫婦にとって「中絶か出産か」の賭け試合でもあることを、稀人は出撃直前に知らされた。
状況は劣勢。というよりは惨敗だ。
4戦して4敗――もうすぐ5戦5敗になるだろう。
そして5敗すればゲームセット。
「なんで俺、赤の他人のためにこんな事してるんだろな……!」
稀人自身には勝つ必要がそもそもない。
むしろ戦力外とみなされて放り出されるくらいがちょうどいい。
それでも敗北に抗うのは、もはやプライドの問題、ただそれだけだ。
打算も損得勘定も投げ捨てて、兄に一泡吹かせたいと切に思う。
いや、一泡吹かせずに帰れるものか。
「ネネコ、サポーターとして乗り込んでくれてるなら、サポートしてくれ!」
「しております」
「だっせえなぁ稀兄、ネネコに泣きつくの?」
観戦中の狗宇矢が茶化すように笑う。
「お兄ちゃん、頑張って!」
「頑張ってください、おにーさん!」
礼亥とヒースヒェン、愛らしい2人の少女の声援も、今の稀人には神経をかき乱すノイズでしかない。
(頑張ってるよ……! これ以上何をどうすればいいんだ!?)
「御左です、稀人御坊ちゃま!」
左翼に浮かんでいた雲から、辰刀のトリファイターが飛び出した。
並ぶように飛びながら、こちらに向けたバルカンの砲塔を微かに動かして最終調整。
直後吐き出された火線から、間一髪、稀人は機体を垂直上昇させて逃れた。
「お見事!」
そういう辰刀の声には面白がる響きがある。
遊ばれている、と稀人は悔しさを新たにした。何が『本気でいく』だ!
お返しとばかりに、ほぼ真下にいる敵に砲口を向ける。
だが辰刀は既に雲の中へと隠れてしまっていた。
格下の相手とばかり戦ってきた稀人とは違う。
エデンゲイターとの戦いの最前線にいた辰刀は、4年前以上に強くなっていた。
(だからって、負けるわけには!)
お互いレーダーは使用せず、目視のみで相手を見つけ、バルカン砲だけで攻撃するのがルールだ。
雲に隠れれば相手を見失うのは向こうも同じはずなのに、何故さっきから一方的に攻撃されているのか?
ゴス、と後ろからシートが蹴られた。
「……稀人御坊ちゃま」
ネネコがこめかみ、いや自分の目を指差して、囁くように言った。
「ルールは、レーダーを使わないこと、です」
(そうか……!)
わかった後では、何故気づかなかったのか自分でもわからないほどの単純な仕掛けだ。
稀人はコントロールパネル・ウインドウの1つをドラッグ。
念の為に音声入力ではなくタッチ操作で、モニターの表示設定を通常描画から赤外線センサーに切り替える。
いた。
真下にある雲の向こうに熱源。
既に互いの射程範囲。今撃たなければ、やられる!
稀人はバルカン砲のトリガーボタンに指をかけた。
毎秒数百発の弾丸
「え?」
引き裂かれた雲のカーテンの向こう、そこにあるのは遙か下方に広がる海面だけ。
「御上です!」
その瞬間、上空からお返しとばかりに機銃弾の雨が降ってきた。
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