バーチャルネット巨大ロボ
鯖田邦吉
プロローグ
英雄の死
ぼくはもう2度と、ヒーローに憧れることはないだろう。
その日、ぼくを起こしに来たネネコは、ぼくが既に上体を起こしているのを知って、驚きのあまり目をピコピコと点滅させた。
「御本日は、御本当に、御早う御座いますね、御坊ちゃま」
某有名遊園地のネズミを模したマスコットみたいな丸い耳をつけた、ピンク色のドラム缶。
それがネネコ――父さんの造った
底面にあるタイヤを転がして、ネネコはぼくに近づく。
「御汗、だらけ、ですね。御体調チェックを、行いま、す」
きょうび素人が初めて動かしたヴォーカロイドだってもっと
あと、とにかく『御』をつければ丁寧になるなんていい加減な学習をしてしまったAIもなんとかして欲しいところだ。
「汗をかいてるのは風邪をひいたからでもエアコンの設定を間違えたからでもないよ。怖い夢を見たんだ」
「御怖い、御夢、ですか」
「ああ――。まったくひどい夢だった」
◆ ◆ ◆
――戦闘機に手足がついたような機械に兄さんが乗って、空を飛んでいた。
どう見ても航空力学に反していそうなそれは、物理法則をせせら笑うかのように軽やかに宙を舞う。
「どうだ
空を仰ぎながら父さんが満足げに言えば、
「最高だよ父さん! 流石は父さんの造ったマシンだ!」
机の上に置かれた通信機から、兄さんの上擦った声が流れた。
ぼく達の両親は戦闘マシンを造っている。いつか来る脅威から人類を守るためだそうだ。
そして兄さんはそのパイロットをやっていた。
兄さんはああ言うけど、ぼくは父さんのマシンではなく兄さんこそが凄いのだと思う。
初めて乗った珍妙な機械をあそこまで自由自在に動かすなんて、きっとぼくには無理だから。
兄さんはなんでもよくできた。勉強もスポーツもトップクラスで、友達も多くて、優しくて、正義感があって、ハンサムだ。
おかげでぼくはよく比べられたけど、7つも年上の相手では張り合おうという気も起こらない。
――守りたいんだ。この世界を。
いつだったか、兄さんがぼくに語ってくれた。
かっこいい。
そう、ぼくにとって兄さんは、ヒーローだった。
だから。
無事に帰ってくるはずだったのだ。兄さんの乗ったマシンがいきなり失速して、大地に激突するなんて事態、ぼくは想像さえしていなかった。
そこからは断片的にしか覚えていない。
駆け寄ったぼく達が見守る前で、へしゃげたコクピットハッチが溶断機で焼き切られる、そのオレンジ色の火花。
ハッチが落ちた瞬間、中から溢れ出てきた赤い液体。
そしてその奥にうっすらと見える、なんだかよくわからない、ピンク色の――。
「うっ――」
胃袋が
すぐに慈悲深い暗黒がぼくの意識を塗り潰してくれた。
◆ ◆ ◆
「……変だろ。兄さんが死んじゃうんだぜ。ありえないよ、ありえないよな、ネネコ?」
「辰刀御坊ちゃまの、御乗りになった、御試作機が、御墜落あそばされた、のは、御本当です」
ネネコは冷徹に現実を突きつけてきた。
気を使うというプログラムを入れてくれるよう、父さんに言っておいた方がいいだろう。
「ですが、御安心くだ、さい。辰刀御坊ちゃまは、御存命であそば、されます」
「……えっ!?」
「御坊ちゃまが御ゲロを御吐きに、なって、御寝込みに、なっていた、あいだに、旦那様と奥様の、御奮闘の、おかげで、御辛うじて、御一命を御取り留めに、なりました」
「……本当!?」
「はい。今、工作室におられ、ま」
ぼくはネネコを突き飛ばす勢いで部屋を飛び出した。
兄さん。生きてたんだ、兄さん。
やっぱり我が兄は凄いよ。そうだ、兄さんがあんな簡単に死ぬわけがないんだ。
だって兄さんはヒーローなんだから。
自動ドアが開ききるのももどかしく、工作室にぼくは飛び込む。
「辰刀兄さ――」
「ん」と続くはずの言葉は、開いた口を閉じられなかったがために紡がれることはなかった。
人体の粗悪な
ポール・ヴァーホーヴェン監督のSF映画でピーター・ウェラーが演じたロボット警官を、ぼくは連想する。
腹部から下はなく、スタンド状になっていた。
ターンテーブルを回転させ、こっちに向き直る。
「やあ、おはよう」
兄の顔面を貼り付けた機械人体模型が、傘の骨のような、あるいは昆虫の
動く度に、キュイ、キュイ、とモーターが鳴く。
ぼくは1歩後ずさる。背後に感じる壁の気配にもたれかかろうとした瞬間、自動ドアは勢いよく開いて、ぼくにみっともなく尻餅をつかせた。
グレゴール・ザムザの家族の気持ちがわかる、とぼくは尻の痛みも余所にぼんやり思った。
「お兄ちゃんはもう大丈夫よ」
母さんが微笑み、父さんが頷く。
「むしろこれで、機体との同調率を上げることができるようになった。災い転じて福となす、だな」
待って父さん――あなたの言っていることがわからない。
「どうしたの、顔色が悪いわよ?」
「……なんとも思わないの、母さん? 父さんも!」
「いったいどうしたんだ。辰刀が生きていたのが、不満だとでもいうのか?」
ああ、生きていて欲しかったさ。
だけど――こんなのは、人間の魂への冒涜じゃないか?
しかも父さんはまた兄さんに危険な真似をさせるつもりでいる。
そしてそれで死んだら、また同じことを繰り返すのだ。
そんなことが――人間から死の安息を取り上げるなんてことが、許されていいのか?
それとも、生きていさえすれば後はどうだっていいと思えない、ぼくがおかしいのか?
「兄さんは平気なの!? そんな身体にされて!?」
「僕は納得してるよ」
出来損ないのマニピュレーターを動かし、兄さんは剥き出しの肋骨めいた胸部フレームを叩いた。
軽金属同士のぶつかり合う空虚な音が響く。
「父さんのおかげで、僕はまた世界のために闘える。こんなに嬉しいことはないよ」
今までなら、そういう兄さんのヒロイックな台詞を、ぼくは無邪気にかっこいいと賛美していただろう。
でも今、はっきりとわかった。わかってしまった。
この人は、簡素な機械人形にされるずっと前から空っぽだったのだ。
「どうした――」
ウィィィ、と駆動音を鳴らしながら兄が手を伸ばしてくる。
「――触るなッ! ロボットッ!!」
ボクは全力で兄だったものを拒絶した。
ははっ、どうして傷ついたような顔をするんだ? まるで人間みたいに?
他人のために戦い、他人の都合で死んで、他人によって生き返らされて、他人の所為でまた死ぬ。
それをおかしいとも思わないなんて、たとえその身が肉でできていたって――ロボット以外のなんだというんだ。
本人が納得してるからいいって問題じゃない。
父と母が兄にやった全てのことは、決して許されていいことではないはずだ。
ヒーローであれば、彼等の行動を
降りかかった理不尽を黙って受け止め、抵抗しないなんてヒーローじゃない。
そんなのは――弱虫で情けない、運命の奴隷だ。
そして、それはきっとぼくも同じなのだ。
父さんと母さんにとっては、このぼくも、使える限りリサイクルして使う機械部品に過ぎないのだから――。
ぼくはもう2度と、ヒーローに憧れることはないだろう。
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