俺だけの巨大ロボ(2)


 その日、稀人がカバリオのオフィスに行くと、義兄はドーナツを口に咥えたまま中空に虚ろな視線をさまよわせていた。


「あー、脳に糖分が染みるよぉ……」


 もしかしてそのドーナツにかかっている白い粉は砂糖じゃなくて非合法の何かだったりするのだろうかと稀人は思う。


「カバリオさん」

「……んあ、マレト? ああ、マークワンのことか」

「完成しました、一応」

「それはよかった」


 カバリオは稀人から受け取ったメモリをコンピュータに差し込んだ。

 画面上で稀人のリデザインしたマークワンが立ち上がる。


「へえ、今までのと違って随分シンプルだねえ」

「……ええ、まあ」


 画面の中には、装飾性を取り去り、必要な機能を無駄なくまとめたコンパクトな機体が映っていた。


「ボクは好きだよ、こっちの方が」

「そうですか」


 機動シミュレーション・プログラム実行。

 画面の中のフィギュアめいたマークワンが、歩いたり座ったりという基本動作から、実戦的な空戦マニューバまでをこなしていく。


「おお、今回はいけそうだね!」


 画面を注視したまま、カバリオは陽気な声をあげた。全行程の半分までが終了しても、まだエラーは出て来ない。

 だが、それを背後から見守る稀人の顔は義兄とは対照的に暗く沈んでいた。退屈な授業が早く終わるのを待ち望んでいる子供のように。


「御調子が御よろしいのですか?」


 カバリオのためにコーヒーを運んできたネネコが、稀人とは反対側から画面を覗き込む。


「ああ、いいね……この分だと、これで完成かな。ロボットデザイナー・マレト君の第1作ってわけだ」


 その瞬間、稀人はマウスに手を伸ばしていた。

 停止ボタンにカーソルを動かし、クリック。

 98%まで進行していたシミュレーションが強制終了される。


「どうしたんだい!? せっかく――」


 カバリオは義弟の顔を振り返った。

 ひどく疲れたような顔が、そこにあった。


「……すみません。やっぱり、気に入らないのでもう一度考えてみます」

「そうなのかい? 全然かっこいいと思うけど?」

「……失礼します」


 稀人はUSBメモリを奪って、部屋に戻る。

 そのまま力なくベッドに飛び込んだ。


「こんなもの……!」


 メモリを部屋の隅に投げる。

 ひょっとしたらネネコがゴミと間違えて捨ててしまうのでは、とちらりと考えたが、どうでもいいやという投げやりな考えがそれを上書きした。


「御機器の御取り扱いが御乱暴なのは御感心致しません」


 だが衛戸家のアンドメイドは稀人が思っている以上には賢かったらしい。

 稀人の後から入ってきたネネコは器用にメモリをつまみ上げ、稀人の前に突き出した。

 それでも稀人は受け取らない。


「そんなのはゴミだよ」

「稀人御坊ちゃまが御頑張りになって御デザインされたものではありませんか」

「頑張ったところでゴミはゴミだ。いや、頑張ってすらいない」

「御説明いただいても?」

「それは確かに問題なく動くだろう。でも動くだけだ……!」


 アルムヌスに勝つためには、半端者のままではいけない。

 奴がセキュリティ・プログラムを擬人化した存在なら、こちらも人間をセキュリティ・プログラム化したような存在にならねば対抗できない。


 だから稀人は自分を殺すことにした。美学も自意識もなく、必要なことを必要なだけやるマシーンとしてマークワンをデザインした。

 結果できあがったのは他人が他人のために作った他人のマシン。

 本当に自分が描いたのか疑わしくなるような代物だった。


 それでも、実益を考えれば何の問題もない。

 動くという最低限の問題はクリアしているし、誰が乗っても同じくらいの安定した性能を発揮できるだろう。

 武器だってバランスよく配置した。飛び抜けて優れたものもないが近中遠距離どれをとっても隙がない。

 ついでに、カバリオからの評価も高い。


(なんだ、何も悪くないじゃないか)


 だったらどうして、自分はテストを中断させてしまったのか。

 稀人は殺風景な天井に問う。天啓は降ってこない。


 ネネコはじっと稀人を見つめていたが、やがて「少し御時間よろしいですか」と言った。



◆ ◆ ◆



 ミドルレイヤ上に構築したバスケットコートに、稀人は立つ。 

 コートの中央では、メイド服の少女がドリブルをしていた。

 頭から生える鼠の耳を模したセンサー。ネネコである。


「動きにくくないのか、その衣装設定?」

「御ハンデで御座います」


 はたしてハンデになっていたのかどうか。

 ネネコは稀人の脇を風のようにすり抜け、華麗にシュートを決めていく。

 対して稀人はあっという間にボールを奪われ、シュートの体勢すら取らせてもらえなかった。


「いやあ、いい御汗を御かかせていただきました」

「……息1つ乱れてないように見えるんだが?」


 ダンクシュートを決め、ゴールのリングにぶら下がるネネコには余裕が見てとれる。

 対照的に稀人はといえば汗だくで、肩で息をついていた。


「……電脳空間なんだから、もっとこう、自由に……NBAの選手並みのプレイができたっていいのにな」

「御特定の御動きを御再現するだけなら可能で御座いますが」

「わかってる。値段が張る上に相手だって対策済みなんだろう」

「そもそも公式戦ではレギュレーション違反で御座います」


 個人の骨休みに遊ぶだけなのですから、自分にできる動きの範囲で楽しめばいいでは御座いませんか――とネネコは笑う。


「現にワタシは今すごく楽しんでおります」

「……弱い相手を蹂躙して楽しむ心性って、ロボットにもあるのか」

「はい。しかし今の御場合はそれとは違います」


 ネネコはかぶりを振った。


「ワタシが楽しいのは、稀人御坊ちゃまの御相手ができたからで御座います」

「お愛想はいいよ」

「いいえ、そうでは御座いません。ボトムレイヤのワタシは俊敏に動ける身体では御座いませんから、御坊ちゃまの御遊びの御相手を務めることができず、ずっと御歯痒く思っていたので御座います」

「別に俺の相手なんかしなくても、ネネコは家政婦としてよくやってるよ」

「それでは不充分なのです。ワタシの本来の御用途は、御家政婦ではなく、御子守なのですから」

「メインは、子守……?」


 TRの開発に忙しかった両親が、身の回りのことをしてもらうためにネネコを造った。

 稀人はずっとそう考えていたのだが。


「家事などは棍藤様がいれば事足ります。ワタシが造られたのは、子守をするためです。そして開発時期的に、ワタシが造られたのは稀人御坊ちゃまのためと言えます」

「俺の……? 狗宇矢や礼亥の間違いじゃなくて? 時期的にはそっちの方だろ?」

「いえ、稀人御坊ちゃまです。御設計から御完成まで5年ほど御かかりになってしまわれただけで」

「…………」


 そうか、父さんと母さんが、俺のために。

 ずっとネグレクトされてるとばかり思ってたけど、あの2人はあの2人なりに俺のことをちゃんと考えてくれてたんだな――。


 ――とは、稀人は思わなかった。

 全然、思わなかった。


 むしろ不快感が胸の中に渦巻く。


 なんだよそれ。結局、あの2人は俺のことなんてどうでもよかったんだ。

 むしろ面倒事としか思ってなかったから、家政婦ロボットに全てを押しつけて、それで親の責任を果たしたと思ってやがったんだ。


「あの、それより御願いしたいことが」

「なんだよ?」

「……降りられなくなったのですが」


 ゴールにずっとしがみついていたのは懸垂けんすいがやりたかったからではなかったらしい。


「手を離すだけでいいはずだけど」

「案外御高いので……その……怖いです。ちょっと下に御寝転がっていただけますか?」

「人をクッションにしようとするな。手を離すだけだ、頑張れ」

「……これが恐怖……。これが人間の持つ、感情……」

「そういう感動的なシーンで使うような台詞、こんなところで使わないで」


 仕方ないので、稀人はネネコの下で腕を広げる。


「ほら。下敷きになるのは勘弁だけど、受け止めてやるから飛び降りろ」

「了解しました」


 合図もなしにネネコは手を離す。

 ……結局、下敷きになってしまった。


 もしネネコの重量がボトムレイヤと同じであれば骨が折れていたかも知れないが、現実の肉体をそのまま変換した人間のアバターとは違い、ネネコのそれはミドルレイヤ用に新規設計されたものだ。


 平たく言うと、軽かった。柔らかかった。

 そして鼻腔を満たす甘い匂い。


「……いつまでワタシをお抱えになっておられるのでしょうか」

「あ、ごめん……」


 自分の足で立つネネコ。

 たぶん本人は何も考えていないだろうが、ネネコが服装の乱れを直す姿を見ていると、稀人は何か後ろめたいことをしてしまったような気になってしまう。

 気まずい――ただし稀人だけが――空気が流れる。


(いや、違うぞ。身体に触ったのは受け止めるためであって他意はない! そもそも触れるほどの大きさはなかった!)


「……御坊ちゃま、何かひどく御無礼なことを御考えになっていませんでしたか?」

「滅相もありません」

「そうですか。では、次の御ゲームは如何でしょう」


 バスケットボールのコートがテニスコートに切り替わる。

 稀人の衣装もバスケットボールのユニフォームからテニスウェアに替わった。

 ネネコは相変わらずメイド服である。


「そんなに好きか、メイド服。何度も言うけど、動きにくくないか、その格好?」

「ワタシの御アンダースコートや御太腿を見たくてたまらないと堂々御公言なさるとは。いつからそんな御恥じらいを捨てた御性欲マシーンになられたのですか? ネネコは悲しいです」

「違う! そんな意図などない!」

「本質的には御作業着なのですから、御見た目ほど動き辛くは御座いません。御気遣いは御結構です」


 ネネコはバレエダンサーのように軽く回転して見せた。

 ロングスカートが膝近くまで浮き上がり、その必要があるのかはわからなかったが、稀人は反射的に目を逸らす。


「御衣装に御関係なく御動きになろうとするから、御動き辛くなるのです。御衣装に御合わせになるかたちで御動きになれば、そう御不都合は御座いません」

「……衣装に、合わせる……」


 その時――稀人には、何かが見えてきたような気がした。

 主の口元に笑みが浮かぶのを見て、ネネコも表情を和らげる。


「なあ、ネネコ」

「はい」

「父さんにさ、自分を捨てなければアルムヌスには勝てないって、釘を刺されたんだ」

「はい」

「俺はアルムヌスに勝ちたい」

「はい」

「……だけどさ、やっぱり人間は機械にはなれないんだよな!」

「その通りでございます」


 良い意味でも、悪い意味でも。


「俺、またデザインを描き直すよ。さっきのはよくできてはいたけど、俺のじゃなかった。パーツを干渉させずに動かすという目的に従属するだけのゾンビだ。魂がないんだよ。俺は俺の魂がこもった作品で、奴をぶん殴りたい!」

「稀人御坊ちゃまの御好きなようになさいませ」


 ネネコは深々と頭を下げた。


「子供が御幸せであることが、子守ロボットの最大の幸福で御座います故」


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