電子の海で、マンモスを追う(2)


 帆船を包む泡が広がった。

 泡の直径が数十メートルから数百、数キロへと飛躍的に拡大する。

 それに合わせて虹色の海は泡の中の青空に侵食されていった。そして空の下には、彼方に山脈を臨む草原が広がる。


 本来、ミドルレイヤは虹色に輝く電子情報だけが存在する、宇宙空間に等しいものだ。

 ミドルレイヤをありのままに受け容れることは、人間の精神が耐えられない。

 人類が活動するためには、まず環境から構築する必要があった。


 稀人達の乗っている帆船は、人間や貨物と同時に人類が活動可能な『環境』を輸送し、場合によってはそれを広範囲に拡大するデバイスなのである。


 その力によって、ミドルレイヤを疾駆する光点――野生の電子情報体型生物、通称『電子精獣』にも、本来ないはずの姿形が生まれた。

 彼等自身の姿ではなく、人間達が用意したCGスキンを無理矢理当てはめたものだ。

 データサイズが大きい順に、マンモス、サイ、シカ、ウサギ。合成する動物の選出基準は船長の趣味である。


「……なあマレト、おまえ絵が描けるんだろ? せっかくだから、こう、ドラゴンとかユニコーンとか、ファンタジィなスキン作ってくれない? こう、ちょちょっと」

「嫌だよ。あれ作るの大変なんだ。どこかのサイトに売ってるだろ、船長に買うように言ってくれ」

「あー、無理無理、ウチは万年金欠だし。船長、それでなくともケチだし」


 そう言っている間に、船の速度が落ちていく。

 ボトムレイヤで重い荷物を背負った人間の歩みが遅くなるように、ミドルレイヤでは積載するデータ量が増えれば増えるほど、積載する側の動作が重くなる。


 だからこの帆船では普段、緊急時用の2機を残し他の機体を全てアーカイブ化しているのだが、今は大規模な狩りに備えて全機が解凍されていた。速度低下はそのためだ。


 そして解凍の済んだ稀人の機体が、ついに全身を現わす。

 蒼い甲冑をまとった騎士を思わせる、気品と重厚さをもつデザインだ。


「いつ見てもかっこいいな、おまえの『ゼフテロス』は」


 タイガの賞賛に、稀人は鼻を高くした。

 マルスウェアは各社から様々な種類が売られていて、武装や外観はユーザーがカスタマイズすることができる。ハイデルン重工製のゼフテロスに己の美意識をたっぷりと詰め込んだゼフテロス・マレトカスタムは、稀人自慢の一品だった。


「まあ、見た目だけなんだけどね」


 イナバが茶化す。実際、稀人の機体は性能面において一切手が加えられていない。敢えて手を加えなかったのではなく、見た目を整えるだけのことに予算を注ぎ込みすぎて他に手が回らなくなったのだ。


「普通、見た目なんか最後だろ……」

「いいんだよ、見た目さえあれば。美しさこそ正義だよ。性能は腕でカバーしてやる」


 そう言い切れるほどに、稀人の操縦技術は実際高い。人付き合いの悪い彼がなんとか人並みに世渡りをやっていけているのは、ひとえにその卓越した技量あってのことだ。


「前から聞こう聞こうと思ってたけど、どこでマルスウェア操作の技術、磨いたわけ?」

「……さあ」


 そっぽを向いた稀人にタイガはため息をついた。

 人間誰しも触れられたくない過去はあるが、どうもこの友人はそれが多すぎやしないか。


「総員、傾聴!」


 狩猟作業部隊の副隊長が怒鳴った。ミドルレイヤでは受声音量を個人で調整できるのだから普通に話してほしいと稀人は思うのだが、この手の役職に就く者はどうしても己の声を張り上げねば気が済まないらしい。


「目標はマンモス級1、サイ級5、シカ級8、ウサギ級21だ。この後も探索があり、損耗は避けたい。よってマンモス級には一切手を出さず、シカ級以降を確実に仕留める」


 背中をつつかれて振り返った稀人は、タイガの意味ありげな瞳とぶつかった。


――マンモス級、やっちまおうぜ。


 瞳はそう言っていた。

 稀人は曖昧に頷き、顔を戻す。


「よし、全機、準備ができ次第、発進!」


 艦橋に座すリーダーの号令に従い、稀人達は自分の身体アバターをコクピット内に転送した。ペダルのついたシート1つと4本のレバーだけがある狭い空間が稀人を迎え入れた。


 マルスウェアの操作はレバーやペダルによる操縦形式と、アバター操作と一本化する――つまりは機体と一心同体になる融合・憑依形式がある。だいたいの人間は後者を選んだが、稀人は前者だった。慣れさえすれば、より複雑な操作が可能だからだ。


 閉所恐怖症患者なら悲鳴をあげそうな、狭く暗い空間。

 立っているのとさして変わらない急傾斜のシートに稀人は腰を下ろした。

 セーフィティバーが降りて身体を挟み込む。


 スタートスイッチに視線を合わせ、まばたき数度。それを合図にジェネレーターが唸りを上げ、コンディションモニターが緑色の光でコクピット内を染め上げた。


 機体状況を示すホログラム・グラフがコクピット内の空間に投影される。

 グラフは搭乗者の顔と常に正面から向き合うように動く仕組みだ。

 稀人は各グラフを指でドラッグして、見やすく邪魔にならない位置に整えた。


 最後に、前方の壁一面が外界の風景を映し出すモニターとなる。

 それでようやく、狭苦しさが和らいだ。無意識に稀人は深呼吸する。


 起動シークエンスが終了すると同時に、稀人は船外の空間に機体を送信。

 結局のところは電子情報であるマルスウェアの発進に、「行きまーす!」と勇ましく滑走路から射出されるプロセスなどは全く必要ない。

 瞬時に格納庫の壁が消え、代わりに開放感溢れる青空が広がる。

 太陽もないのに明るい、不気味な青空。


「獲物は……?」


 カメラを下に向ければ、一面の草原と、そこを駆け抜ける電子精獣達が映っていた。

 安物の環境プログラムが描く緑の絨毯は、風にも獣の足音にもその身を揺らすことはない。


「稀人機、突貫します!」

「あ、こらおい、アルバイト!」


 他の船員をその場に残したまま、稀人の機体はバーニアからの光――ただの動作確認を兼ねた演出で、実際必要ない――を激しく瞬かせながら群れの先頭に向かって突っ込んでいった。


 マルスウェアは各部の推進機関の力だけで空を飛ぶことができる。

 ボトムレイヤでは絶対に無理な注文だ。どころか、こんなサイズの機械が素早く動くことも難しかろう。

 しかしミドルレイヤにおいてはそうした制約はない。故にマルスウェアはアバターを防護する作業用パワードスーツとして重宝された。環境プログラムが破損して虹色の海に投げ出された際の、最小という側面もある。


 コクピット操縦方式でも憑依方式でも、人間が操作するのは主推進器くらいだ。他の推進器はマルスウェア側のオペレーティングシステムがオートで制御する。だが稀人は全ての推進器をマニュアルで操っていた。


 フィギュアスケートの選手のように美しく軽やかに宙を滑りながら、稀人は群れの進行方向に回り込む。足底のバーニアを噴かしながら、着地。そのまま慣性に任せて地を滑る。

 緑の大地に黒い傷跡が刻まれたが、雑な環境プログラムのおかげで数秒後には元の緑を取り戻す。


 稀人はゼフテロスに握らせた多様型バラエティライフルをショットガンモードに切り替えていた。マルスウェアの手の中で銃の形が変わる。

 0.2秒後、武器ステータスウインドウに『使用可能』の文字が表示されると同時に、群れの先頭に向かって発砲。散弾の雨に撃たれたシカやウサギ達が打ちのめされ、地に転がる。


 血飛沫は上がらなかった。肉片が飛び散ることもない――少なくとも稀人の視界では。

 そういう表示設定にしているからだ。命中・非命中を識別するためのヒットエフェクトさえ表示してくれれば、度を超した過剰な演出は処理速度を下げるだけである。


「おい、勝手なことをするな!」


 副隊長機から怒号が飛ぶ。

 稀人の行動は完全に独断専行だったし、更にいえばこのチームの中で稀人は臨時のアルバイトに過ぎないのだから、睨まれるのは当たり前だ。


 しかし稀人は悪びれない。

 自分の勝手な行動がチームワークを乱していることは理解している。

 理解したうえで、やっている。


 別にタイガに乗せられたからではない。

 どんな時でも己を曲げない、そんな人間でありたいと稀人は思っていた。

 集団に埋没することもなければ、同調圧力に屈することもなく、情に流されることもない。己の信念のみに従う、そんな人間に。

 そういう人間ならば、きっとこうするはずだ。それにこっちの方が早く終わる。


 だから稀人はチームメンバーに少々の罪悪感を抱きながらも――更に勝手なことをした。


 群れのボスと思わしきマンモスに狙いを定める。

 マルスウェアよりなお巨大なマンモス。まさに大物だ。


「馬鹿野郎、そいつは俺がいただくぜ!」


 後ろから追突され、危うく稀人は転倒しそうになる。

 稀人を押しのけて前に出たのは、航海が始まったときから新参者を敵視していた古株の船員だった。マンモスに向かってマシンガンをばらまく。


「おい、マンモスには手を出すなと!」

「余所者にいい格好はさせられっ――」


 その瞬間、赤い輝きを放つ熱線が巨象の眉間から迸った。


「かぁぁ!?」


 シュールな絵面だが、当然といえば当然だ。彼――メスかもしれないが――にマンモスの皮を被せたのは人類の勝手であって、彼にマンモスらしく振舞う義理はないのだから。


 大気を切り裂くように飛んできたビームを避けきれず、左肩を蒸発させられた古株の機体は、バランスを崩して駒のように回転しつつ地面に落下。あえなくマンモスに踏み潰された。


 ミドルレイヤにも死は存在する。

 TRが肉体そのものを電子化する技術である都合上、アバターの破壊はその当人の死とイコールだ。


 自分はただ狩られるだけの存在ではないと、マンモスは執拗しつようなビーム攻撃をもって主張する。

 タイガが言ったように、ドラゴンのスキンを被せてやるべきだったのかもしれない。


 また1機、ビームに腹部を貫かれて消滅。アバターパイロットが脱出する時間はなかっただろう。


「だから手を出すなって……!」


 隊長が呻くが、もう遅い。群れを襲われ、自らも攻撃された巨象は完全に興奮してしまっている。


 稀人はマンモスに対し単騎突撃つっこんでいく

 自分を狙ってくるビームを大きく回避。自慢の外観に火傷痕をつけられてはたまらない。


 左手にダガーナイフを取り出し、すれ違いざまにビームの砲門――マンモスの眉間に突き立てる。

 苦悶するマンモスを尻目に、稀人はバラエティライフルをマシンガンモードに切り替えつつ、機体をターンさせる。照準がマンモスに向くやいなや連射。ただ弾丸をばらまいているように見えて、その実、数カ所を集中攻撃している。


 マシンガンの弾倉が空になる直前、稀人はグレネードランチャーモードを起動。

 拳大の榴弾りゅうだんがマンモスの鼻先で炸裂する。

 頭をふらつかせた巨象はゆっくりと横倒しになり、大地を揺らした。


「……ふう」


 ほっと一息ついた稀人を、周囲の面々が畏怖の目で見つめる。

 嘘だろ、と誰かが囁く。

 あの野郎、1人で大物をのしちまいやがった。


「……おまえ、どこでそんなテク、覚えたんだ……?」


 隊長がおそるおそる尋ねる。

 だがやはり、稀人はそれについて黙秘を貫いた。

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