家族という名の砂地獄(3)


 ネネコに扇動され、稀人は見知らぬ実家を歩く。

 内装は、個人の邸宅である以上に軍の施設のようだった。

 もっと俗っぽい表現をするなら、秘密基地。

 廊下も、家の間取りも、稀人には初めて見るもので――もう自分の思い出の場所はどこにもないのだと、稀人は実感する。


 廊下が枝分かれする部分の壁には電光掲示板があって、御丁寧に道案内をしてくれる。

 それを無用の長物とは言い切れないほどに、廊下は入り組んでいた。


「御館内には、御人間の、御方向感覚を、狂わせる御電磁波が、御放射されて、います」

「なんでそこまでする」

「御外部に漏れる、わけにはいかない、御機密が多数、御座いますので」


 確かにTRRがどこかの国に奪われれば、世界のパワーバランスが一変しかねない。

 もっとも、得体の知れないPMSCが所有しているというのも一般市民にとっては不安の種だろうが。


 ヒースヒェンは部屋に置いてきた。

 聞き分けの良さそうな子供だ。ホテルの部屋のように、室内には冷蔵庫もトイレもある。自分が家族と話をつける間くらいはお利口にしていてくれるだろうと稀人は考えていた。


「こちらで、御座います」


 基地のような内装の洋館において、居間は人間がくつろげる内装を有していた。

 カーペットの敷かれた広い洋室。壁には暖炉があり、部屋の中央には四角いマホガニーの机。

 その三方にソファが配置されている。


 いかにも高級品でございという顔をした調度品達は、家出してからの4年間に貧乏人根性の染みついた稀人には鼻持ちならないものに感じられた。


 暖炉を正面にして、右側のソファにはキツい顔をした女が腰を下ろしている。

 ETOを運営する衛戸家、その長女であり稀人の姉、衛戸未沙みさだ。

 その隣では彼女の夫であるカバリオが小熊のような図体を押し込んでいた。


 その向かい側にはそっくりの顔をした高校生くらいの美少年と美少女がくつろいでいた。

 三男の狗宇矢くうやと次女の礼亥れい

 2人は双子である。

 稀人が家を出る前は髪型までお揃いにして見分けづらかったのだが、今は違う。礼亥は髪を肩まで伸ばし、すっかり少女らしくなっていた。


 そして最後に残った、暖炉と向き合う位置のソファには、母・美奈羽みなはと義姉・琴巳ことみが左右の端に腰かけている。


 4年前はセミロングにしていた髪を肩の上くらいのボブヘアに変えた義姉の姿を見て、稀人の胸は懐かしさと恥ずかしさに痛んだ。


――あんたの面倒をみてるのは、辰刀さんへの点数稼ぎよ。それ以下であっても以上じゃない。


 青春の苦い1ページを直視する前に、稀人は心の中のアルバムを閉じる。

 ガラスのように砕け散った初恋のメモリーを笑って眺められるほど、彼はまだ老いてはいないのだ。

 

「あらためて、久しぶりだな、稀人」

「…………」


 母と兄嫁の真ん中にいる『兄だったもの』を直視する勇気は、まだ稀人にはない。



「全員揃ったようでございますな」

 

 母の後ろに衛兵のごとく立つ正装姿の男が言った。

 衛戸家執事の棍藤こんどう十丑郎とうしろうである。

 4年前は白髪交じりだったその髪と口髭は、すっかりロマンスグレーになっていた。


 稀人が家出する前とはみなどこかしら見た目が変化している。

 自分はどうだろう、と稀人は思う。


「稀人お兄ちゃん、こっちに座りなよ」


 礼亥が座る場所を空けてくれた。

 ちょっと嫌だな、と稀人は思う。何故なら、姉と対面になるからだ。


 クールを通り越して冷酷に見え、その実ヒステリーと隣り合わせの熱い内面を持った姉を稀人は正直苦手にしている。琴巳さんの3分の1でいいから人当たりがよければいいのに、と願ってやまない。


「どうしたのよ、座りなさいよ」


 姉がそんな優しい声をかけてきたことに、稀人は心底動揺した。


(『座りなさいよ』だって? 『そこの駄犬、椅子の使い方を理解する知能がないようね。地べたに這いつくばれと言えばわかるかしら。それさえ無理ならどこかのゴミ箱でも漁っておいで、目障りよ』とかじゃなくて?)


 稀人の内心の動揺を見透かしたように、礼亥が微笑む。


「……お姉ちゃんね、カバリオさんと結婚してから少し丸くなったの。ほんの少しだけど」

「やかましいわよ、礼亥」


 そう言ってたしなめる声のトーンも大人しい。

 奇跡ってこの世に実在するんだな、と稀人は思った。


「ところで稀人、なんであんたそんな野良犬臭い襤褸切ぼろきれ羽織ってるの? ただでさえ足りない脳味噌をどこかに置き忘れてきたの?」


 うってかわって、不快感をこれでもかと表した表情で姉は吐き捨てるように言う。

 訂正。やはり奇跡なんてなかった。


「御着替えを御用意した、のですが、稀人、御坊ちゃまは、男1人暮らしの自堕落に、御ふけりになるあまり、御召し物を、御着替えになるという御文化を、御忘れに、なられたようで」

「違う。あんなユニフォームみたいな服、着られるか」


 衛戸家の面々は、色こそ違えど同じようなデザインの服に身を包んでいた。

 ETOとしての制服なのだろう。

 稀人に用意されたのもそういった服で、着てしまえばもう参入を承諾したと見なされてしまいそうだった。


「ちょっと、臭うわよ」


 未沙は手で鼻を覆う。


「そこまでひどくないだろ」

「……すまないマレト。彼女、今すごく臭いに敏感みたいで」


 姉婿が申し訳なさそうに6つも年下の義弟に頭を下げる。かえって稀人の方が申し訳なくなった。


「では、話を始めましょう」

「待って、父さんは?」

『私ならここにいる』


 暖炉上の壁面がスライド、モニターが現れる。

 そこに表示される父――衛戸申造の顔。


(……なんだ、このギミック)


 稀人は棍藤を振り返る。


「……あの仕掛け、俺の部屋にもついてたりするのか?」

「個人部屋にはありません。プライバシーは守られております、御安心を」

「つか、声だけでよくない? わざわざ顔見せる必要あるのか?」

「顔をつきあわせて話をするのは人間の精神衛生上、重要でございましょう」


 俺の精神衛生には気を配らなかったくせに、と稀人は心の中で毒づく。


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