家族という名の砂地獄(4)
『稀人、おまえを呼び戻した理由を話そう。実は、未沙が妊娠した』
「今、3ヶ月なんだよ、稀人お兄ちゃん」
「そうなんだ……。おめでとうございます、未沙姉さん、カバリオ
姉はもうすぐ30代だ、別におかしくはない。
むしろ、その後の姉の反応こそ驚きだった。
「別にめでたくはないわよ。あんたの不細工なツラを拝むことになったのも含めて」
「…………」
「父さん母さん、あたしはまだ戦えるわ。2Cパイロットの役目はしっかり果たせる」
なるほど、と稀人は理解する。
姉夫婦の慶事を報せるだけなら電話1本で済む。わざわざ家に引っ張り込んだのは、姉が産休を取る間の代理をさせたかったかららしい。
しかしどうやら姉本人はそれに納得していないようだった。
「駄目よ未沙、TRが妊婦にどう影響を与えるか、まだわかってないんだから」
「だったらあたしで調べればいいでしょう?」
稀人は引き受けるなどとは一言も言っていないのだが、稀人以外の人々にとってそれは確定事項らしい。説得の焦点は稀人ではなく未沙の方だった。
姉がこのまま突っぱねてくれた方が有難いのだが、好奇心から稀人は尋ねずにはいられない。
「姉さん、なんでそこまで戦いたがるんだ。自分の赤ん坊が心配じゃないのか?」
「平和ボケが完全に染みついたようね。今は赤ん坊なんて作っている状況じゃないって、ミジンコでもわかるでしょうに!」
「状況……」
「エデンゲイターはあんたよりオツムの出来が遥かにいいのよ。日に日に強く、狡猾になっている。ここで熟練パイロットが1人いなくなるのがどれだけ痛手か想像もつかないというなら、あんたの脳細胞はゴミと同じだわ!」
言ってることはもっともらしく聞こえる。
だがその台詞は横から口を出す者が言いそうなことではないか。
子供を作った当人が吐く言葉ではない。
だから当然、稀人はこう返すしかなかった。
「……だったらまず、なんで作った!?」
「…………」
未沙は目を背けた――が、それも一瞬だ。
すぐに稀人を睨み返して、こう言う。
「――気の迷いよ」
「なんだよ、それ……!」
妊娠3ヶ月目では脳味噌さえできていないだろうが、稀人はまだ見ぬ甥もしくは姪に心底同情した。
いや、違う。ないがしろにされてきた子供の1人として、いい加減な気持ちで子供を作る親が許せなかったというのが正直な気持ちだった。
自分のために、稀人は怒る。
「なんなんだよ、その言い草は! 気の迷いで、命を生み出すな!」
「ああ悪かったわよ、だったら堕ろせばいいんでしょう! それで満足!?」
「ミサ……!」
「お姉ちゃん!」
カバリオと礼亥が口を挟もうとしたが、未沙は聞く耳持たぬとばかりに立ち上がって、部屋を出て行く。
「野良犬臭くて気分が悪いから先に休ませてもらうわ。ネネコ、部屋の換気、ちゃんとしておきなさい」
そう言い残した顔色は本当に悪いもので、引き留められる者は誰もいなかった。
「……とにかく」
姉が出て行ってから、稀人は一呼吸して、言った。
「俺は未沙姉さんの代わりなんかやらない。俺には俺の人生がある」
「わがまま言わないでちょうだい、マー君」
母の口ぶりは聞き分けのない幼い子供に対するようで、それは稀人の怒りを煽る。
「……わがままだって!? 自分の人生を自分で選ぶことの何がわがままなんだ!」
「稀人お兄ちゃん……!」
「礼亥、狗宇矢だってそうだ。おまえらももう高校生なら、自分の人生を考えた方がいい。自分のことを道具としか考えない親のために犠牲になることはない」
「そんなことない。お母さんはマー君もみんなも、ちゃんと愛してる。お父さんだって」
「嘘も大概にしろよ、母さん! 子供の頃、どれだけぞんざいな扱いをされてきたか、俺は忘れてないからな!」
「……なんだ、結局そういうことかよ」
我関せずという顔でそっぽを向いていた狗宇矢が、嘲笑を浮かべた。
「どういうことだ、狗宇矢」
「いい歳こいてみっともないぜ
狗宇矢の演技があまりにも
「……俺は別に今更、親のふりをしてくれなんて言ってない!」
「親ならちゃんとやってくれたでしょう?」
今度は琴巳が参戦する。
「生活費も学費も出してくれた。ちゃんと兄弟全員分。未沙さんなんか、海外留学まで……」
「生きているだけで誉めるのが流行だからって、そんな当たり前のことで恩着せがましくしないでくれ!」
「……お兄ちゃん、それは酷くない?」
「…………」
琴巳が中学生の頃、彼女の両親は共に事故で亡くなった。
『当たり前のこと』を完遂することができないまま、帰らぬ人となったのだ。
自分の発言は彼等への侮辱になるのだろうかと稀人は自問する。
だとしても。
(なんでみんな、俺がやられ放題の時は黙ってるくせに、俺がやり返そうとしたら死人を担ぎ出してまで配慮を求めようとするんだ?)
確かに両親のやってきたことは偉大だと、稀人も認めざるを得ない。
人類がエデンゲイターの侵攻に耐えているのはETOのおかげだからだ。
だからって――そのために捨て置かれた子供が恨みを抱くのは間違っているのか。
子供が親に親をやって欲しいと願うことはいけないことなのか。
幼少期に放置された孤独感と疎外感は今も稀人の心にわだかまりを残している。
大きくなればそのうち解消されるかと思っていたが、全然そんなことはなかった。
むしろ強くなっていくようだ。まともに子供をやれないまま大人になってしまったという、取り返しのつかなささえ感じる。
『やれやれ、数年放っておけば頭も冷えるかと思っていたが、おまえは何一つ変わらんな』
「何!?」
『エデンゲイターを倒さなければ、人類に平穏はない』
そんなこともわからないのか、と嘲る風に父が言う。
頼み事をする相手にとる態度ではない。
いや、両親が稀人に頼み事をするはずがなかった。テレビやエアコンに毎度毎度「どうか動いてください」と頼み込む奴がいるだろうか。
命令を聞いて当たり前。そのために作ったのだから。それが彼等にとっての稀人だ。
そう、自分がETO参加を嫌がっているのは、遅れてやってきた反抗期でもなければ親の育児に不満があるからだけではない。意思と尊厳を持つ1人の人間を、道具として扱う傲慢な者への怒りこそが本質だ、と稀人は思う。
だというのに、彼を取り巻く周囲の目はどこか哀れみというか、生暖かさに満ちていた。
大きな子供が駄々をこねているものとして扱われていると、肌で感じる。
こうなればもう、まともに取り合ってもらえない。
「そうよマー君。人類が滅亡したら、マー君の未来だってないのよ?」
「その時は俺の力が足りなかっただけだ。素直に死を受け入れるよ」
『ほう、あの時2Cに乗り込んでおいてか?』
「…………」
『今度は間に合わんかもしれんぞ。それでもいいのか。守りたいものも守れず、ただ路傍の石ころのように蹴散らされる最期がお望みか?』
それを言われては稀人に返す言葉はない。
あの時、父の手など借りず大人しく死んでいれば――いや、そんなことはできなかったから、自分はここにいる。
自分とヒースヒェンを生かすためには、戦うしかなかった。
『エデンゲイターを倒すことこそ衛戸一族の使命なのだ。そこから逃げることはできんぞ』
「は……?」
『おまえが乗らないなら妊婦が乗り込むか、でなければ人類の敗北だな』
「…………」
稀人は歯を食いしばる。
使命だのなんだの、大仰な妄想はともかく――。
確かに自分が矛を収めて言われるままになれば、それで全て丸く収まるのだろう。
だけどそれは何か違う、上手く言えないけど、何かが間違っている。
たとえそれが人類の滅亡に繋がっていたとしても。
しかしそれを周囲に納得させられるように話す表現力は、稀人にはなかった。
代弁してくれる者もいない。
自分の味方などこの家にはいないのだと稀人は理解した。
実の家族でさえこうなら、ましてや他人など言わずもがなだ――。
「――おにーさんをいじめないでください!」
舌足らずな声が、居間に響いた。
全員の目が扉に向けられる。
そこに立っていたのは、ヒースヒェンだった。
「ヒースヒェン……」
「ごめんなさい。退屈で、探検してました。迷子になって、声がしたから、こっちに」
『ネネコ』
「はい、旦那様」
さあ御部屋に御戻りましょう、とネネコがヒースヒェンの手を引く。
しかし少女は動かなかった。
「おにーさんを、無理に戦わせよーとしないでください。嫌がっていると思います」
「ヒースヒェン……」
だから、とヒースヒェンは自分の胸に手を当てる。
「代わりに、ヒースを……わたしをTRRに乗せてください! みんなの仇を討ちたいです!」
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