未沙、特攻(5)
「……いつまでここにいるんですか?」
半時間ほど海を向いて立ちっぱなしの稀人に、ヒースヒェンが退屈そうに言う。
彼女が今回の遠出に否定的なのを差し引いても、じっと同じ場所で同じ景色を眺めることを楽しめる子供は希少だろう。当然の反応といえた。
「雄大な景色でも見れば、少しは何かいいアイデアが思いつくと思ったんだけどなぁ……」
「だったら、ここに住んでる人はみんなアイデアマンになってません?」
振り返ると、もう西の空が赤く染まってきたというのに、橋の上の人だかりはより数を増しているようだった。
「夕陽の見える時間に橋の上で告白すると幸せになる」という、とってつけたようなジンクスがあるのを稀人は思い出す。確かに、橋の上にいる大部分の人間はカップル客だった。
「やっぱり、ああいうの見ると『爆発しろ』とか思いますか?」
ヒースヒェンが意地悪く訊いてくる。稀人は首を横に振った。
「何を言う。他人の幸せを喜べないほど、人間腐っちゃいない。ただ……そのために俺が犠牲になるのは嫌だな」
父が命じるように、人類のために戦うこと自体は、実はそう嫌ではない。
誰かが死なずに済むのはいいことだと思う。
ただ――それが自分にとって何のメリットもないのが、たまらなく嫌だ。
「俺だって、守られる側と同等の人間のはずだ。誰かのために尽くせというなら、同じだけ誰かに尽くされたいんだ、報われたいんだ。それを望むのが、いけないことなのか?」
兄は違う。他人の幸せを我が事のように喜び、それを守るためなら自分が犠牲になることも厭わない。父や母や、おそらくは他の兄弟達も。
そんな善人の中に1人だけ異物が混じっている。
いっそ別たれてしまえば幸せなのに、正義の味方は正義を尊ぶが故に異物の感情は考慮してくれない。
「おまえの人生に口出しするつもりはなかったけど、あえて言うぞヒースヒェン。俺個人としては復讐なんて馬鹿馬鹿しいと思う。死んだ人のために何かしたところで、誰が何を返してくれるって言うんだ」
「……逆です。返したいから、やるんです。パパやママは、ヒースのためにいろんな物をくれました。でもヒースがそれを返す前に死んでしまいました。もうヒースには、他に返す方法が見つかりません」
「踏み倒していいんだよ。取り立てに来るなら、また会えるからいいじゃないか」
稀人には、会いたい人すらいない。
「……俺と逃げないか、ヒースヒェン」
稀人は幼い少女と目線を合わせ、言った。
少女は――首を横に振る。
そうだろうな、と稀人は微笑した。
彼女には復讐という目的がある。何もない自分とは違う。
自らの意思で戦いに身を投じる立派な理由が、彼女にはあるのだ。
この子に対して守らなければとか、側についてやらなければとか、そういったことをわずかながら考えていた自分が恥ずかしい。
ヒースヒェンは稀人なんかよりよっぽど、目的を持って人生を生きている。
「帰り方、わかるな? じゃあ、ここでお別れだ。頑張れよ」
「どこに行かれるのですか、稀人御坊ちゃま」
いつの間にか、背後にネネコが立っていた。
いつからそこにいたのか。最初からかもしれない。
ボトムレイヤでは注目を集めるであろう、『デフォルメされた大きなネズミ耳をつけたメイド』という姿も、ミドルレイヤのアバターとしては地味な部類に入る。
「……もしかして、俺が逃げないかどうか、ずっと監視してたのか」
「御想像に御任せします」
「頼むネネコ、見逃してくれ。俺には正義の味方みたいなのは無理だよ。みんなのために戦うなんて無理だ。そうする理由がない」
「御理由なら、ございます」
そこでネネコはヒースヒェンをちらりと見た。
「ヒースヒェン御嬢様、御先に御帰り願えますか」
「……わかりました」
除け者にされたようで傷ついたものの、言外に込められた拒絶を読み取ったヒースヒェンはあえて逆らおうとはしなかった。
「さて、御場所を御変えいたしましょうか。稀人御坊ちゃまのことですから、御聞きになれば御動揺されて御衆目の中御恥を御かきになられるのは御必至で御座いましょうから」
「…………」
2人はそのまま、橋に向かうカップル達とは正反対の表情で正反対の方向へと歩いて行った。
流石観光スポット、なかなか人の姿が途切れることはない。
静かに、誰にも聞かれず話をするのにちょうどいい場所を見つけるまで、10分そこら歩き続けねばならなかった。
最終的に辿り着いたのは、海岸沿いに点在するレンガ造りのベンチだ。
鉄柵の向こうにあるオレンジ色の海を、クルージング船がゆっくりと泳いでいく。
ネネコはベンチに腰かけたが、稀人は隣に座るのではなく鉄柵に背中を預ける方を選んだ。
稀人が全身から発する緊張感に、ネネコは苦笑を浮かべたように見えた。
「……これから御話しすることは、去年、旦那様が皆様に御話したことで――、稀人御坊ちゃまにも御聞きになる御権利があるとネネコ的には御判断します」
「…………」
「昔々、エデンレイヤにいた生物が、エデンレイヤを御追放されてボトムレイヤにやってきました」
「……は?」
突然現実離れした昔話が始まり、稀人は困惑する。
だがネネコはかまわずに話を続けた。
「彼等はTRシステムを使い、その時点で最も繁栄する御見込みが御高かったホモ・サピエンスの形を取って物理宇宙に御降り立ちになられました」
「…………」
「そうして人類に御同化された彼等は、いつしか御自分達がエデンレイヤから御越しになったことも、エデンレイヤから御持ち出しになったオーバーテクノロジーも御忘却されましたが、可能な限り純血を御保ちになることでその御記憶を御受け継ぎになられた一族が御座いました」
「……まさか、それが
「仰る通りです。というか、この御話の御流れでそれ以外のオチがあると御思いでしたか?」
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