家族という名の砂地獄(1)


 エデンレイヤは巨万の富をもたらす宝の山で、ミドルレイヤは可能性を秘めた新天地だ。

 だから諸外国の例に漏れず、日本もエデンレイヤ探しに力を傾けることとなった。


 しかしミドルレイヤはエデンゲイターが横行する危険地帯でもある。

 米軍がエデンゲイターに大敗を喫し在日米軍が本土に撤退した今、自国土の防衛網を維持しつつミドルレイヤ在住の国民を守るためには、もはや自衛隊だけでは絶対的に手が足りなかった。


 最終的に、日本はミドルレイヤ内においてのみ、市民の武装を特例として許可した。

 邦人エレクプローラーがマルスウェアを所有できているのはこのためだ。

 そしてその流れで、日本でも民間軍事会社PMSCの営業がミドルレイヤ限定とはいえ許可される。


 衛戸TRオペレーションEto Tr Operation――通称ETOは、その1つだった。

 マルスウェアを圧倒的に凌駕りょうがする機動兵器『TRR』――TR-Robotにより、エデンゲイターとの直接戦闘においては、トップクラスの戦闘能力を誇っている。


 だが、彼等の実態は謎に包まれていた。

 民間人クラスでは彼等と取引する窓口を見つけることもできない。

 現実にTRRが大活躍していなければ、その実在ことさえ疑問を持たれただろう。


 だから人々は知らない。

 寂れた地方都市の山の上、木々に身を隠すように建てられた瀟洒な洋館がETOの本拠地であるということを。


 その洋館の一室、広いベッドの上で稀人は目を覚ました。

 半ば無意識に手を動かして――その手が、何か柔らかく温かいものに触れる。


「うっ?」


 薄い金髪を長く伸ばし、小麦色に焼けた肌をした小学生くらいの少女が稀人の隣で眠っていて、稀人の指は横向きになった少女の二の腕に触れていた。


 彼女が誰だったか思い出すよりも先に、これが余人に見られれば絶対的にまずい状況であることが意識にのぼる。

 部屋に見覚えはなく、ここがどこか知らないが、稀人のような男と幼い少女が同衾どうきんしているという事態こそ、何をおいても問題だ。国によっては死刑も視野に入る。


(まずはこの子を起こして、いや、起こさない方がいいのか?)


 とりあえずアイテムボックスからスケッチブックを取り出そうとして――こんな時にスケッチを始めようとするとか動揺しているにも程がある――しかしハンドジェスチャに反応はなかった。


 それで稀人はここがボトムレイヤであることを察する。


「いつ、ログアウトしたんだっけ……?」


 その時、ノックもなしにドアが開いた。

 稀人は跳びはねるように侵入者から少女を隠す位置に移動。

 見ようによっては彼女を守ろうとしたようにも見えるが、その実態は悲しい。


「ちちち違うんです僕は何もやましいことはやってないです信じてください」

「御起きに、なられて、おいで、でしたか、稀人御坊ちゃま」

「え……その声……その喋り方……!」


 ドアを押し開いて入ってきたのは、丸い円盤を2つ頭から生やした、ピンク色のドラム缶だった。

 ドラム缶にはタイヤとマニピュレーターが生えていて、上部には顔のつもりだろうか、2つの丸いランプと横一文字のスピーカーがくっついている。


「ネネコかぁ!?」


 稀人の顔がぱっと和らぐ。タイガあたりが見れば、普段とのギャップに顎が塞がらなくなっただろう。


「ここ、どこなんだ?」

「稀人、御坊ちゃまの、御家おうちです。衛戸えと家の、御屋敷です、よ」


 そしてネネコは、衛戸家で使用されている女中型人造人間アンドメイドだ。

 稀人の父が作った一点物。

 たどたどしい喋り方も、とにかく『御』をつけるいい加減な丁寧語も、稀人が衛戸家を飛び出した4年前から変わりなかった。


「そうか。全然気づかなかったよ。天井も壁も、知らない顔しててさ……!」

「稀人御坊ちゃまが、御家出なさって、から、すぐ御改築、致しましたので」


 それでようやく思い出す。

 戦闘の後、稀人とヒースヒェンはETOによりボトムレイヤへと連行された。

 意識していた以上に疲労していたのだろう、転換機を出たところから意識がない。


「……ということは、この子はヒースヒェンか」


 寝息を立てる少女を見下ろす。少女のアバターの中身は少女だったわけだ。ひょっとしたら女装男子かもしれないが。


「でも、なんでこの子が俺と一緒のベッドで眠ってるんだ?」

「はい。稀人御坊ちゃまが、いきなり御倒れに、なった、ので、御心配のあまり、御一緒を、御希望でしたので」

「いや、だからって一緒に寝かせるのはまずいだろ」

「は? 稀人御坊ちゃまは、このような、御幼い御女子おなごに、御よろしくない御戯れを、なさる御危険が、あるのですか?」

「ない!」


 思わず荒げてしまった声がきっかけで、ヒースヒェンは目を覚ましてしまった。

 瞼をこすりながら上体を起こす。


 お仕着せの大人用パジャマの襟元からチラリと肌が覗く。

 稀人は反射的に目を逸らした。頬が熱を持っているような気がする。


「いや、違うぞ? 意識なんかしてないぞ?」


 何か言いたげなネネコのランプに気づいて、稀人は慌てて弁明した。


「……おはよーございます、おにーさん。大丈夫ですか?」


 どうみても日本人ではなかったヒースヒェンが流れるような日本語で挨拶あいさつをしてきたので、稀人は驚くと同時に安堵した。

 聞けば、両親はドイツ人だが彼女自身は日本で暮らしていた期間の方が長いらしい。

 ちなみに、ミドルレイヤ内では翻訳アプリが自動で実行されている。


「あ、ネネコちゃんもいますね」

「そう、ネネコちゃん、ですよ」


 ネネコはラバーに覆われたマニピュレーターでピースサイン。

 ヒースヒェンが笑う。


「普通、ネネコを見たら大声で悲鳴をあげて気絶しそうなものなのに」

「稀人御坊ちゃまが、ワタシの、外見について、そういう風に、御考えだったとは、実に、御遺憾です」

「ゆーべ、初めて見たときはびっくりしましたけれど、今は大丈夫です」

「やっぱり驚かれてるんじゃないか」


 それよりも――と、稀人はネネコに向き直る。


「タイガはどうしてる? 俺と一緒にいたエレクプローラーだが」

「エデンゲイター撃破、以外のことは、我々の御業務には、入っておりません」


 ETOはエデンゲイターとの直接戦闘のみを業務にしている。

 エデンゲイターが現われれば駆けつけ、殲滅せんめつした後はすぐに去って行く。


「御推測ですが、BEIL-03撃破と、御同時に、宙域封鎖も御解除されたので、普通に、御帰りになられた、かと」

「だといいけど……」

「それより、稀人御坊ちゃま、御居間で、御皆様が、御待ちです」

「俺には関係ない」


 突然ブリザードのようになった稀人の声が、ヒースヒェンの身を固くした。


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