守護天使(3)
稀人の意思を受け取って、マークワン改は彗星の如く飛ぶ。
「あいつ、1人で突進しやがって……!」
狗宇矢は舌打ちを隠せない。
何のために、マークワンを2C救出に直行させず一旦2Bを合流させたのか。
いつもそうだ。狗宇矢より年上のくせに、稀人はすぐ感情的になって突っ走る。
だから稀兄と組むのは嫌だったんだ――と狗宇矢は思うのだが、家族が揃う=仲良しと無邪気に考えていそうな礼亥の気持ちに水を差すのが嫌で、言葉を呑み込む。
しかし母の胎内からの付き合いである妹にはお見通しだったらしい。
「……我慢してあげようよ」
狗宇矢の後ろ、少し高い位置にある砲手席に座った礼亥はやれやれというようにそう言った。
「あれが稀人お兄ちゃんのいいところでもあるんだし」
「あれがいいところなら、世の中に欠点なんてものはないね!」
そんな
妨害するドローヴンを叩き落としながら2Cに向かう。
「御燃料の御残量に御気をつけください」
ネネコが警告する。
重量が重い分、少し動くだけでも燃料の消費が早い。
あまり調子に乗って飛び回ると、すぐにガス欠で動けなくなるだろう。
「あ、御ヘッドアンテナが御破損で御座います」
頭部の角が空気抵抗に耐えられず折れたのだ。
そんな細い角、急旋回でもしたらポッキリいっちゃうよ――とカバリオに言われたのを意地でつけていたが、やはり駄目だったらしい。
モニターに表示されていたウインドウの1部が砂嵐になった。ネネコは無用の長物となったウインドウを閉じていく。
その、ウインドウを閉じたばかりの空間に、スパム広告のように新たな警告メッセージが現れた、
「御新しい大型エデンゲイターが現れました!」
それはすぐに、稀人の視界に入ってきた。
「あれもエデンゲイター!?」
燃え盛る火の玉、としかいいようのない物体だ。
「御回避を!」
足元を狙うように海上すれすれを飛んでくる火炎弾。
その真上を跳び越えたとき、稀人はそいつの正確な形を捉えることができた。
「剣……?」
正面からではわからなかったが、それは燃え盛る巨大な剣だった。
そう、剣だったのだ。
過去形なのは、それが変形したからである。
その姿に稀人は心を奪われた。
複雑な形態変化を経て、焔の剣は、燃える甲冑を身にまとう美しき戦乙女の姿を現した。
ギリシャ彫刻を思わせる
キューピッドの矢に貫かれたようだった。
稀人の心臓は狂おしくも激しい、煮えたぎった情動のマグマを全身に送り込みはじめる。
「素晴らしい……! ああ、まさに炎の天使……!」
「稀人御坊ちゃま……?」
「それに比べて俺のデザインときたら……! 所詮は性能と現実の制約に媚を売った贋物じゃないか!」
「御落ち着きになってください、稀人御坊ちゃま。マークワンの方が強そうですよ」
「強いとか、性能とかはどうでもいいんだ! 大事なのは美しさだよ! ああ、あんな美しい機体にTRRなぞが傷をつけていいんだろうか!? それは美に対する侮辱ではないのか!」
「…………」
ネネコは無言で稀人の座席を蹴り飛ばした。
「気をつけて、みんな」
緊迫を帯びた母の声が通信機から流れる。
「そいつは『イオフィエル』! 行動隊長クラスが使うエデンゲイターよ!」
「――そう、その通り!」
燃える美の化身が『声』を発する。
「余の名はアルムヌス! エンピレオヘイム守護騎士団『ヘルヴィーム』行動隊長、プリンス・アルムヌスだ!」
「なッ……!」
「エデンゲイターが……喋った!?」
ETO、いや人類にとって、エデンゲイターとは対話不能な怪物だった。
別の世界に棲む生物、人間とは相容れぬもので当たり前と頭から思い込んで疑わなかった。
それがたった今覆されたのだ。
信じていた世界がひっくり返された衝撃に、狗宇矢や礼亥はもちろん、辰刀さえ操縦を忘れ、うっかり撃墜されそうになる。
稀人もまた打ち震えていた。
感動に。
「イオフィエル。それが『彼女』の名前か……。ああ、まるで天使のように気高き尊名……!」
「何言ってるの、稀人お兄ちゃん!?」
「炎をまとった戦乙女、紅蓮を抱いた天使、或いは天上の薔薇の如く
「いや、マジで何言ってんの稀兄!?」
稀人にとって、エデンゲイターが対話可能な相手だということは、ひとまずどうでもよかった。
自らを魅了する美しい造型の敵、その名を知った喜びに胸をときめかせる。
「稀人、しっかりしろ!」
「そうだ、スケッチ……! なんとしても描き写さねばッ!」
「何言ってるの稀人お兄ちゃん、今どういう事態かわかってる!?」
その時――イオフィエルが動いた。
あっという間に稀人の眼前へと迫る炎の女神。その頭部に浮かぶ人の顔そっくりの
その酷薄な笑みさえ美しいと、稀人は思う。
「御坊ちゃま、御歯を御食いしばって!」
ネネコは不甲斐ない主人に代わって回避運動を取ろうとした。
しかしイオフィエルの電光のごとき
腹部を蹴られたマークワンは身体をくの字に曲げ、サッカーボールのように後方へ蹴り飛ばされる。
「――所詮はカオスへイムのヘルヴィルス、やはりこの程度か!」
「言わせてていいのですか、稀人御坊ちゃま。早く御反撃を」
「しかしだな……」
アルムヌスの言い様には腹が立つが、それでも稀人にはイオフィエルを傷つけることに躊躇いが出てしまう。
――あの美しい機体に傷をつけることは許されることなのだろうか? それは、美に対する冒涜ではないか?
人命と美術品、どっちが優先されるべきかと考えれば、そりゃ考えるまでもなく美術品だ、と稀人は答える。
人間の命と同じように、美術品も同じものは2度と作れない。
稀人が生き残ったからといって、イオフィエルと同じものを作り出すことは不可能だ。
どうせ人間はどう足掻いたって100年そこらしか生きられないし、生きている限り劣化し続ける。だが美術品は保全し続ければそれ以上――そして平凡な人間が生涯で関わるよりずっと多くの人々を感動させられるではないか。
ゴス、と後頭部に衝撃。
ネネコが後ろからヘッドレストを蹴ってきたのだ。
「御坊ちゃま、いいからさっさと御突貫なさいませ。御忘れですか、未沙御嬢様とヒースヒェン御嬢様のことを」
「……あ、そうだった……」
マークワンの新しい近接武器として稀人が選んだのは、先端に棘鉄球のついた槍だ。
稀人はマークワンの腕を操作して、背中に保持したそれにを握らせようとした。
だがそこで、モニターに赤い警告表示。間抜けにも聞こえるブザー音。
「あれ……?」
マークワンの手は、背中に届かなかった――。
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