第十三曲 少女と半年と船外活動

『うおりゃ!』


 渾身の気迫とともに振り下ろされたエイジオン・トゥイルの振動刃が、1体の大天使を吹き飛ばす。

 2体目の大天使を、展開した制御翼ごと機体を回転させ、刃のように翻すことで退ける。

 エイジオンは3体の大天使、そして4体の天使と激戦を繰り広げていた。

 すでに小型の天使4体は撃破済みだったが、いまだ大天使3体が健在だった。


 はじめてエイジがサンドゥン号で大天使を撃破してから、半年の歳月が過ぎていた。

 これまでに彼は、100体近い天使をすべて単独で撃破しており、エイジの名前は、クルーたちの間でも有名になりつつあった。

 アームドゴーレム、ひいてはクワイアの仕事をすべて奪ってしまう彼に対し、赤服たちは複雑な感情を抱いていたが、一般乗組員たちに限っては、純粋な好意を抱く者も多かった。

 エイジの活躍により、天使の脅威は遠ざかり。

 だからこそ、一抹の油断が彼らに生じていた。

 いま、エイジオンの雄姿を一目見ようと、数百人近い非番の乗組員たちが、戦闘地帯のすぐそばにまで押し寄せてきていた。


「下がって! ここは避難区域に設定されています! すぐに離脱してください!」


(バカか、こいつらは! 死にたいのか!)


 アカネはそんな内心を押し殺しながら、必死で乗組員たちの保護にいそしんでいた。

 ことあるごとにエイジがバースに乗ることを邪魔するため、また上層部から観察を徹底するようにとの通達を受けたため、訓練以外でアカネは戦うことができないでいる。

 そのことを歯がゆく思う一方で、楽士の死亡率が大きく低下したことを彼女は認めていた。


(もどかしさはある。あの男に対する怒りもある。天使を倒せと、心は叫んでいる! それでも──)


 人が死なないことは、いいことなのだ。

 彼女にとって、それは優先すべき事態だった。

 だからこそ、殺到する乗組員たちの軽率さが癇に障り、同時に恐ろしくもあった。


(いかにエイジオンが有用で、いかにエイジが強くとも、あいつは神ではない。現に、死傷者をゼロにすることはできなかった。多くの命が、消えていった。サンドゥンへと還ることすらできなかった。だというのに、こいつらは──)


「下がって!」

「いいじゃないか! 減るもんじゃないだろ!」


 誰かがそう声を上げる。

 すると、次々に──


「そうだそうだ!」

「娯楽は船員すべてが共有すべきだ!」

「天使が倒されるところが見たい!」

「私は天使に妻と子を奪われたんだ、せめて無残に誅殺されるところを見せてくれ!」

「いけぇー! 殺せー!」


 若い男が、若い女が、壮年の女が、壮年の男が、皆一斉に声を上げる。


(こいつら……エイジと天使の戦いを、見世物だと思っているのか……)


 歴然とした命のやり取りを。

 天使という恐怖そのものを。

 彼らは娯楽として消化しようとしていた。


 それは確かに、天使に対する憎悪や、恐怖の裏返しだった。恐怖の対象を、娯楽として卑小化することで、己の心の平穏を保とうする現象だった。

 だが、それ以上に強い欲望が──まるで何かに先導されているような、ひとつに束ねられた欲望がうごめいている。

 アカネを不快にさせたのは、彼らがアスノ・エイジという存在を、便利な兵器のようにしか捉えていないことだった。


(あいつは、命懸けで戦っているのに……)


「待て」


 アカネは眉間にしわを寄せる。


(なぜあたしは、こんなにもエイジの肩を持つのだろう。半年間一緒に暮らしても、いまだに謎めいた不審者であることは変わらないのに。あいつが敵か味方の判断すら、まだ決めかねているのに……)


 彼女がそんな物思いにとらわれている間にも、戦闘は進む。

 ハーモニック・シザースで2体の大天使を倒したエイジオン。

 その前に立ちはだかるのは、最後の大天使。

 天使の胸のコア──その外殻が開き、禍々しく闇がにじみだす。


『一撃必殺か! 受けて立つ! ブロード光子──』


 Y字のコアクリスタルに全身の粒子を集中しようとエイジオンが構えた瞬間だった。

 天使が。

 ぐるりと向きを変える。

 暗黒の砲塔が向いたのは──


(まずい!?)


 アカネたち、乗組員たちが集中している一角だった。

 とっさに隔壁体を構築する譜面を起動したアカネだったが、それよりもずっとはやく。

 天使のコアが、暗黒に発光した。

 ブォウン。

 すべてを根こそぎにするような音を立てて、破壊の具現である未知のエネルギーが天使から発射される。

 まっすぐにアカネたちを目指すそれは、彼女たちの命を奪う力を秘めていた。

 上がる悲鳴と、今更逃げ出そうとする人々。

 アカネは思わず、目を閉じて──


『がああああああああああああああああ!!!?』


 苦しげな、絶叫を聞く。

 目を開けると、すぐ目の前にエイジオン・トゥイルが片膝をついて、両手を広げている。


「盾に、なったっていうの……」

『ぐ、ぅ……い──言ったはずだ! 俺は流浪のアイサイト! 人類を──見守るものだとっ!』


 呻きながらも立ち上がるエイジオンは、大天使へと向き直る。

 その背中を見たクルーたちから、悲鳴にも似た声が上がった。

 エイジオンの背中は、見るも無残に破損していた。

 鎧としての装甲は砕け散り、内部にある素体がむき出しになって、それも火花を散らしている。

 またべったりと、暗黒の虹がその機体をむしばみ汚染していた。

 エイジオン・トゥイルは機動力に重点を置いた形態だ。

 その防御力は、特殊合金アカゴタイト製とはいえ、バースより幾分まし程度でしかない。

 一つ間違えば己の命が危うくなる中で、エイジはためらいなく人々を守ったのだ。


「おまえ……」

『……さすがにこの姿じゃ、もう動けないな。再出力リ・プリント!』


 エイジオンから聞きなれた旋律が鳴り響く。

 その全身を巨大な光の卵が多い隠し、殻が砕けた時、そこには赤色の機械巨人エイジオン・プレインの姿があった。

 しかし、そのコアクリスタルは、いまにも消えかかりそうなほど光が弱い。


『資材が足りなくてな。悪いが──一撃で決めさせてもらう! HEATパイル!』


 疾走を始めるエイジオン。

 迎え撃つ大天使。

 大勢の乗組員たちは。

 アカネは。


「────」


 ただ言葉を失って、その戦う姿を見つめていた。


§§


「怪我はいいの?」


 アカネたちは今、クワイア本部と上位組織である統括局から呼び出しを受け、セントラル・セクタに向かっていた。

 ちょうど商業区画を通りかかったころ、エイジはそんな言葉をかけられたのである。

 エイジは大いに面食らったようで、その緑色の瞳を何度も瞬かせて、「え? 俺?」と自分を指さした。


「ほかに……誰がいるのよ」


 今更になった自分の発言を後悔したらしく、アカネは頬を赤くしてそっぽを向いてしまった。

 困ったように頭を掻きながらも、エイジは答える。


「大丈夫、だと思う」

「思う~?」

「待て、やめろ。その拳を下ろしてくれ。説明すると、何があってもまだ、俺は死なないよ。そんな運命は存在しない」

「嘘くさいわね……」

「運命という言葉が嫌いだというのなら、そう──設計図には書かれていない、かな」

「────」

「どうした?」

「いえ、ちょっと」


(ちょっとだけ、その言い回しに聞き覚えがあっただけだ。ただ、それだけ……)


 続けるようにアカネが促すと、エイジはあっさりと頷く。


「すくなくとも、決定的なその時までは、俺は君を戦わせないし、人類を守るよ」

「あたしは戦いたいの! 天使を倒したい、この手で!」

「それは今日、統括局に言えばいい。俺だって、いつまでも君を押しとどめておけると思うほど甘ちゃんじゃないさ。本音で言うなら、ちっとも戦ってほしくないけどな」

「…………」


 彼の言い分にむすぅっと黙り込むアカネ。

 エイジは困ったように、帽子の位置を直す。

 そんなとき、近くで譜面の物々交換をしていた女性が、エイジの姿に気が付いた。


「あの」

「え? 俺ですか?」

「はい……あなた、ひょっとして……赤いバースに乗って戦っている人ですよ、ね……?」

「えっと……」


 エイジはアカネのほうに伺いを立てる。


(別段、隠すように言われているわけでもないしな)


 そう考えて、アカネは鷹揚にうなずいて見せた。

 エイジは首肯する。


「ああ、そうだ。俺がエイジ。赤いバースことアームドゴーレム・タイプドゥーン:エイジオンを操る護衛視さ」


 帽子を押さえ、気取ったポーズをとって見せるエイジに、その女性は目を輝かせる。


「わー! やっぱりそうだったんですね! このまえの戦いアーカイブで見ました! 命がけで私たちを守ってくれるところに感動して……あの、これ、もらってください!」

「これを? 俺に?」

「はい!」


 エイジが手渡されたのは、キャラメルゼされたリンゴのパイ──タルト・タタンだった。

 女性は胸を張りながら告げる。


「私、これだけが得意料理で! ほかのものは後回しにして、リンゴとかをついいっぱい出力しちゃうんです。それで、結局素材に困って、物々交換するんですが……今日は一番上手に焼けて! 突然だと思うんですが、応援しています。是非受け取ってください!」


 そういって、ぐっと押し付けられるタルト・タタン。

 エイジはアカネの顔を見て、


「もらえば?」

「え、いいの?」

「だめなことは、ないでしょ」

「じゃあ、ありがたく。貴重な甘味、いただきます!」


 微笑みながらエイジが受け取ると、女性は花が咲いたように、ぱぁっと笑い。

 それから恥ずかしそうに顔を赤くすると、どこかへ走り去ってしまった。

 手を振って見送るエイジと、背後から彼をジトっとしたまなざしで睨みつけるアカネ。


(まったく、調子に乗って……)


 ため息をつきそうになったアカネだったが、異変を感じて顔を上げた。

 周囲は、いつの間にか人だかりになっていた。

 その中心にはエイジがいて。

 あれよあれよという間に、エイジが様々なプレゼントを押し付けられ始めたのを見て。

 アカネは意味が分からないまま、頬を膨らませるのだった。


§§


「ボドウ・アカネ新任楽士。及び自称アイサイトであるアスノ・エイジ。両名には船外活動による資源採掘任務を命じる。予定は三日後。異議はあるか?」


 統括局局長室に入るなり、アカネとエイジを、サコミズ・ゴードンのそんな言葉が出迎えた。

 巌のような表情のゴードンに、アカネは問う。


「それはつまり、サンドゥン防衛の任を解くということでしょうか?」

「答えは否だ、ボドウ・アカネ新任楽士。これは、君の問題ではない」

「つまり、どういうことでしょうか」


 彼女の問いかけには答えず、ゴードンはエイジを見つめた。

 ゴードンの威圧的なまなざしを、エイジは肩をすくめて受け流す。


「簡単に言えば、俺がサンドゥンに貢献する意思があるかどうかを確かめたいんだろ?」

「そうだ。そしてその交換条件として、ボドウ・アカネ新任楽士に現状維持を認める」


(どういうことだ? 叔父様はなにを言っている?)


 アカネには理解できなかったが、ゴードンはこう言っていたのである。

 これまでのエイジの独断専行と問題行為のすべてを制止できなかったアカネの、その責任を問わない代わりに忠義を示せ──と。

 同時に、アカネには拒否権はなく。

 エイジが辞退すれば、アカネは一人、危険な船外活動に臨むことになるのだとも。

 代わりに、この条件をのめば、統括局はエイジの意思を汲み──アカネをこれまで通り扱うと言っているのだった。

 それを理解したエイジは、ため息とともに了承を告げた。


 三日後──エイジとアカネは、初めて二人だけで、サンドゥン号の船外活動へと赴くことになった。


(そして、あたしたちは天使に襲撃されたんだ──)

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