第3章 極限虚空のインフィニウム

第十二曲 少女と夢と過去の少年

(夢を見ている──)


 ボドウ・アカネは、自分が置かれている状況を一瞬で理解した。

 あり得ない光景が、これは夢であると彼女に断定させた。

 青い偽りの空の下で、いまよりずっと幼い彼女は、草原に腹ばいで寝そべっていた。居住区のはずれにある、森林区画だ。

 彼女は足をパタパタと動かしながら、ハミングするほどご機嫌で、真っ白な画用紙にせっせと何かを描いている。


(これは夢だ)


 過日の出来事。

 すでに過ぎ去った何時かの記憶が、彼女の脳内でアーカイブスを参照するように上映されているのだ。


「なにをかいているの?」


 熱心にお絵かきにいそしむ少女に、同じぐらい幼い声がかけられた。

 少女がゆっくり振り向くと。

 そこには/ NOISE /色の瞳をした少年が佇んでいた。


(これは……あたしとあいつが初めて出くわした日の夢か。だとしたら、悪趣味にもほどがある。だって、このあとあたしは──)


「テンシさまをかいているのよ!」


(……こんなにもバカげた、救いようのない返事をしてしまったのだから)


 幼い彼女ではなく。

 いまのアカネの、その視線の先で、それは起きていた。

 巨大な質量同士のぶつかり合い。

 砕け散る街並みと空。


 旧型のアームドゴーレム数体と、指揮官機である強化型バース、そして大天使級天使が熾烈な戦いを繰り広げていた。

 大天使の翼に断ち切られ、アームドゴーレムの手足が宙に舞う。

 降り注ぐ破片の雨を潜り抜け、指揮官機が大天使へと突撃する。


「あのテンシさまと、いちばんユーカンにたたかっているのが、あたしのおじさまなのよ! すごいでしょう?」

「うん、防人だね。とてもかっこうがいいよ」

「サキモ……そう、それなの!」

「じゃあ、どうして君は、そのおじさんじゃなくて、天使を描いているんだい?」


 少年の問いかけに、少女は少しだけ悩んで、


「きれいだからよ!」


 と、答えた。

 彼女はまた画用紙と向き合うと、べたべたとクレヨンの色を重ねていく。


「でも、うまくいかないのだわ……」


 虹色のはずの天使は、しかしいくつもの色を重ねたことで、真っ黒に染まっていた。

 幼い彼女にとって、それはひどく不本意なことだった。

 しかし、少年は彼女の絵を肯定する。


「いいや、それはすごくうまくいっている。君はね、この世の真理を描いていたんだよ。天使は──人類存亡敵性体は、混ざり合って溶け合った、たった一つの試練なんだ」

「……よくわかんないことばかりいう子なのね、あんたは」

「よく言われる」


 困惑した少女の言葉に、少年ははにかんだような笑みを浮かべた。


(そうだ。こいつはいつも訳の分からないことばかり口にしていた。この百年で最大の才能だとか、神童と呼ばれるずっと以前から。……みながこいつを嫌う前から。初めて出会ったときから、こいつは訳が分からなくて──そしてなんのことはない、ただのバカだったのだ)


 事実、彼女の記憶と同じように、夢の中の少年は突拍子もないことを口にした。


「でもね、本質的に黒は白と同じなんだ。君は真理を描きあてたけれど、それはいつだって多面的で、黒いものだって白である瞬間が確実に存在するんだよ。量子的な視点での観察というのは、つまりそういうことなんだ」

「…………」

「今はまだわからなくてもいい。ぼくだって、たぶんこの時点では理解できていないだろう。正しい答えに行きつくのは、10年先か、20年先か……その時まで、人の営みが続いているのなら、きっと真理は現れるだろう。けれど」

「けど、なぁに?」


 少女の問いかけに、少年は答えなかった。

 代わりに、振り返って。


(あたしを見て?)


 この夢を観測しているアカネを見つめ、彼は言った。


「もし、人類の歴史が途絶えるのなら、なにもかもすべてを代償に払った先が、行き詰まりでしかないのなら、ぼくらは絶滅するしかないのだろう。あるいは、その定められた滅びを超えるために、さらなる犠牲を求めるかもしれない」


(こいつは、なにを言っているんだろう……こんな記憶は、あたしにはない。いや……そうか、これは夢だから──)


「そう、これは夢だ。今の時間軸に縛られない唯一のそれだ。過去を貫き、未来より投射される、現在という名のうたかたの夢。だからね、アカネ。ぼくを大切に思ってくれた君に、真摯な心で、こう言おう──」


 少年が、アカネを見た。

 彼女は思わず、生唾をのんだ。

 彼の顔、その上半分を覆う闇の名から、ぞっとするほどの渇望をたたえたライトグリーンの瞳が、ギラギラと輝き、アカネを見つめていたからだ。


「目覚めるんだ。君も、人類も、滅びるのは──いまじゃないんだから」


(────)


 そこで。


(──……)


 ボドウ・アカネの意識は。


「……そうか」


 現実に、追い付いた。


「あたしは……サンドゥン号と離れ離れになって──」


 彼女の全身を包んでいるのは、ぴっちりとしたパイロットスーツ。

 鳴り響いているのは危機を告げる警報。

 彼女は巨大兵器アームドゴーレムの中で、それを見た。


 絶対真空の暗黒。

 きらめく星々の海。

 そこは宇宙──宇宙空間。

 彼女は乗り込んだ機体ごと、サンドゥン号の外を──宇宙空間をさまよっていた。

 船外活動。

 資源採取のため、その役目に従事した結果だった。


「そこを、天使に襲われて──」


 ようやく。

 ここでようやく、アカネは自身に起きている絶望的な状況に思い至った。

 そう、彼女の視界のどこにも。

 センサーが感知できる範囲のどこにも。


 サンドゥン号は、存在しなかったのである。


 ボドウ・アカネは、絶対広漠なる宇宙を、あてどなく漂流していたのである。


「参ったわね……」


 途方に暮れるアカネに。

 バースの計測器具が急接近する敵影を伝えていた。

 アカネは歯を食いしばりながら、どうしてこうなったのかを、思い返していた。

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