インターミッション 虹色の胎動

幕間 悪夢は動き出す

「なんだっていうのかね!」


 能天使が討滅された数日後、サンドゥン号、楽士準備室。

 人類存亡敵性体〝天使〟から人類を守るエキスパート──赤服たちが、待機するための施設。

 トレーニング器具と机、蒸留水サーバー、そして譜面の自動配布機だけが置かれた殺風景なそこで、ひとりの男が、大荒れに荒れていた。


 肩まである長い茶髪、不自然なほど白い整った歯並び。

 普段のさわやかさは、見る影もない。

 同僚からも尊敬と思慕を集めるエリート、サクライ・アキラ。

 バース楽士期待のホープとして、これまで彼が積み上げてきた輝かしい経歴に、いまひとつの瑕疵かしが、鈍い爪痕を残していた。


 自らの甘い状況判断によって、3名の同僚を失ったこと。

 自らが戦場を放棄し逃走したこと。


(いや──そんなことはどうでもいいんだ。僕が生き延びていることが、それが最重要なんだ。生きているだけで、僕はみんなの羨望の的なのだから。その、筈なのに──)


「そのはずなのに……なんだというのだね、あの巨人は!?」


 毒づきながら、彼はテーブルを殴りつける。

 コップが横転し、口もつけていなかった蒸留水がこぼれ出す。


「たった一日で、天使を3体も撃破だと!? 大天使2体に、能天使まで! 能天使の単独撃破記録なんて──ほとんど前例がないではないかッ!」


 アームドゴーレムが、能天使に全く無力だということではない。

 78機の綿密な連携による飽和攻撃によって、能天使を討滅した記録は、20年前にも存在する。

 だが、独力で能天使を打倒したのは、事実上エイジオンだけであった。


(認められるものかね、そのようなものを……とても認められるものではない……)


 この数日で、アキラの評価は失墜した。

 表立って彼を罵倒する者はいない。

 それでもアキラは、自身がないがしろにされ始めたことを知っていた。自分をもてはやしていた者たちが、急によそよそしくなったことを、誰よりも敏感に感じ取っていた。


(それもこれも、すべて奴が目立ったせいなのだ。あの巨人と──生意気な新人がね!)


 ボドウ・アカネ。

 彼女はいま、バース操縦楽士の中で、誰よりも注目されていた。

 大天使との絶望的な戦いから生還し、アキラを救い、また謎の人物と関係深い人物として。

 アキラは、己以外が脚光を浴びることが、なにより許せなかったのである。

 どれほど貶されても折れない彼の自尊心は、しかしそれだけのことで、たやすくへし折れるほどだった。


 ゆえに、


「許せない……」


 彼は今、憎悪にうなされるように八つ当たりをしているのだ。

 どれほどトレーニングに打ち込もうと、嗜好品に手を出そうと──アルコールを飲んでも、その憎悪は止まることがない。

 準備室に入ってきた同僚たちが、彼の姿を見て青ざめた顔で踵を返しても。

 ちらちらと様子をうかがうものがいても、それすら目に入らないほど、彼は怒りと恨みに翻弄されていた。

 彼に近づく者が、いなくなってもなお。


 ──だからだろう。

 だから彼は。

 


『────』


 のっぺりとした、顔のない人型。

 シリコンのような真っ白な肌に、棒のような手足。

 ゆらゆらと前後に揺れ動くその存在は、有りもしない目で、じっとアキラをのぞき込んでいる。


「──な、なんだね、きみは!?」


 背後の異常な存在に気が付き、彼がようやく声を上げたとき。

 すべては始まり、そして終わっていた。


 のっぺらぼうの顔に、すっと縦のラインが入り。

 それは次の瞬間、巨大な口となって、サクライ・アキラ先任楽士を飲み込んでいた。


(い、いやだとも! こんなことで、こんな事故みたいなもので、死にたくない。僕は、もっと注目されなくてはいけなくて──)


 それが、彼の最後の思考だった。


 体積が二倍に増えたのっぺらぼうは、しばらくゆらゆらとうごめいていたが、やがてその姿を大きく変える。

 赤い制服、半端な長さの茶髪、不自然なほど白い歯。


 そこに立っていたのは、間違いなく寸前まで存在していたサクライ・アキラだった。

 ただ一つ、決定的に違ったのは──


 その両目が、虹色の輝きを放っていたことだった。


「彼によって、我々〝カウンター〟は干渉手段を獲得した」


 〝カウンター〟。

 人類に天使と呼ばれるその存在が。

 エイジが倒した能天使が──ただこのためだけに送り込まれた運び屋トランスポーターに過ぎなかったことを、誰も知らない。


「ではこれより、試練の加速を始めよう。疑心を、猜疑を、告発の種を蒔く。我々は、カウンターであるがゆえに──」



 災厄の火種が、確かに今、夜明けの光サンドゥンにもたらされたのだった。

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